壊れた俺に差し伸べたのは、君の手だけだった。

里村詩音

壊れた理由

新しい朝が来た 絶望という朝だ




『泥棒!』『犯罪者!』『痴漢!』

『死ね!』『ゴミ!』『消えろ!』


身に覚えのない罵倒が俺に降りかかる。

言葉というのは、凶器だ。

たった一言で、相手の人生そのものを破壊しかねないものである。

それを俺は、小学生の頃に学んだ。

だから、俺は―――








「···懐かしい夢を見たな」




目覚まし時計のアラーム目が覚め、上半身を起こしてポツリと呟く。

目覚めは最悪だ。

また、夢を見てしまった。あの頃の夢を。

もう何年も経っているのに、やはりそう簡単には克服出来ない。




「さて、起きるか」




クローゼットから新品の制服を取り出し、それに着替えてから部屋を出て洗面所に向かう。




「あら、彼方かなた。おはよう、随分早いのね」




朝一番に挨拶をしてきたのは、キッチンで朝食の準備をしている母。

俺は軽く会釈し、挨拶を返す。




「おはようございます、舞桜まおさん」




舞桜というのは、母の名前だ。

俺は自分の母親を名前で呼んでいる。

いや、母親だけではない。




「おはよう、彼方。制服、似合っているじゃないか」


「おはようございます、すすむさん。ありがとうございます」



リビングのソファーに腰をかけ、新聞を片手にこちらに挨拶をするのは父親にも名前で対応する。

もちろん、どちらも血の繋がった親だ。

普通は、こんな子供は居ない。

しかし、俺の中ではこれが普通になっている。

そんな両親も、少なからず渋い顔を見せた。

それに構わず、俺は洗面所へと急ぐ。




「···そうか、


「もう何年も経っているのに···どうして、あの子はああなっちゃったのかしら···」




二人の低い声が届いていた。

そんな二人の心情は知らないが、俺の心は揺れることはなかった。

俺がこうなった原因は二人にもあるが、それを二人は忘れているからだ。

しかし、もはや関係がない。

俺は顔を洗いに行くだけである。






顔を洗い、再び自室へと戻っては鞄を取る。

自室を出ると、隣の部屋のドアが開いた。

ひょこっと顔を覗かせたのは、妹のさくらさんだった。

眠たそうな顔をしていたが、俺を見るとぱぁっと顔を輝かせる。




「お兄ちゃん、おはよー!早いね!あっ、制服かっこいい!似合ってるよ!さっすが私のお兄ちゃん!」




早口に捲し立てる妹。

中学三年生の割に大人びているが、中身はまだ子供っぽい奴だ。




「おはようございます、桜さん」




妹に対してまで俺はさん付けで呼び、丁寧に挨拶を返す。

妹はそんな俺の言葉に一瞬だけ表情を曇らせるが、すぐに明るい顔になった。




「あ、あのね!私、お兄ちゃんとまた一緒に学校に行きたいんだ!だからさ···!」


「すみませんが、もう出ますので。それでは、失礼します」





妹の言葉を途中で遮り、端的にそれだけを話して玄関へと向かう。




「あっ···ま、待ってよ!お兄ちゃん!」




『待ってよ!お兄ちゃん!』。

昔、幼い頃に二人で遊んでいた光景が脳裏に蘇る。

いつも後ろから小さいなりに頑張って、俺の後を必死についてきた妹。

多分、その頃の俺は妹を溺愛していたんだと思う。

でも、今は何の感情も浮かばない。




「行ってきます」



「お、おい、朝食は―――」




父の言葉を無視し、俺は玄関を出た。

家族にとって、俺は腫れ物扱いだ。

厄介者で存在してはいけないものだ。

だから、俺が居ないほうがいい。

彼らにとって、俺は存在してはいけないのだ。




「···良い天気だ」




空は快晴だった。

入学式に相応しい日和である。

俺は、学校に向けて歩を進めた。




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