第27話 引越し
「ふーっ、取り敢えずはこれで何とかなるし、今日はこの程度でいいか」
初めての庭付き一戸建て。涼太は折り畳んだ段ボールをPPテープで縛りながら大きく息を吐いた。部屋にはまだ段ボールが積まれているが、リビングにキッチン、トイレとバスルームは使えるようになった。一応の衣食住には事足りるだろう。
絢は段ボールでの基地ごっこに飽きたようで、庭に出て草を観察している。絢に散々せがまれた北海道行きだったが、どうせならと涼太は引越しを決意したのだ。突然会社の本拠地を北海道に移すと宣言した涼太に従業員たちは驚いたが、ネットがあればどこにいてもあまり変わらないという涼太の話には説得力があった。元よりアセットの殆どない会社だ。総務担当者を東京に残し、各地のサテライトオフィスに分散した従業員たちも、大して苦労なく業務を続けている。
涼太が苦労したのは寧ろ生活の事だった。絢の体調は考慮しなくてはいけないので、医療機関があって、小中学校も近く、なおかつ雪の中でも買物に苦労しない地域、という条件と、絢の主張する『香住ちゃんの近く』を組み合せて不動産屋にリサーチを頼んだ。幸い不動産屋がスマホで生中継しながら物件を紹介してくれたので、手頃な中古住宅を短期間で手に入れることが出来たのだ。
絢は早速『香住ちゃんに会いに行くー』と言い立てたが、市内と言う事以外、詳しい住所も判らない。さすがに西立山病院は、例え退職者であっても個人情報を簡単には明かしてくれなかったのだ。
「ま、周辺の偵察からだな」
自宅兼本社事務所の書斎で、庭を走り回る絢を見ながら涼太は業務用パソコンを立ち上げ、総務担当者をビデオ通話で呼び出した。
+++
その夜、絢が寝静まった後、涼太はリビングでノートパソコンを睨んでいた。早速の週末、絢をどこかに連れてゆかねばならない。涼太は『市内の子どもとお出かけスポット』を次々にクリックしていた。間もなく雪が降ると言うこともあり、なるべく早いうちに見ておきたい。しかし川を遡るシャケが見られる水族館やアウトレット以外では公園ばかりだった。確かにこれほど広々とした公園は都内では少なかろう。何しろ空が大きいのだ。涼太はふと、とある公園の解説に目が留まった。
『神来公園』
メルヘンチックな名前だな。ふーん、昔々神が舞い降りたという話が伝わる…か。それでこの名前。幾つかのリンクが貼ってあるが、人文科学分野での伝説の考証に混じって、一つだけ『自然科学的な考察』と言うものがあった。地元の国立大学の理学部教授のブログである。そのブログには『とても論文として発表できるようなものではない』と冒頭に断り書きがあったが、斜め読みしても面白いものであった。すなわち、
『この森の中ではテスラメーターに通常ではない地磁気を観測することがあり、地下資源の影響かも知れないが専門外なので詳細は不明である。そして異種の生物が一緒に群れていることを一般より多く見受ける。これもまた定量的な観察ではなく、哺乳類、鳥類から爬虫類、両生類に至るまでに散見されることであるから何らの有意な観測データとは言えない。従って不確かな二つの傾向に相関があるかどうかも全く断定できず、おとぎ話のレベルである。しかしながら神が舞い降りたと言う伝説はなんらの自然科学的な異常状況を示すものと推測されるから、あながちフィクションとも言えない』
要約するとこういう話であり、幾つかの実例の写真が掲載されていた。
「ふうん。さすがにこれでは論文にはならんわ…」
涼太も呟いた。公園を掘り返して地下資源を採掘するような理由もないことから、いわば都市伝説のレベルで今後も伝承されるのだろう。しかし『異種の生物が一緒に群れている』って何だろう。野鳥の世界で、シジュウカラの群れの中にメジロが混じっているようなことは間々あると知っているが、それ以上の事なのだろうか。ワニの口の中を掃除する鳥のような共生関係なのだろうか。掲載されている写真には大柄のキツツキが彫った穴に小柄なキツツキが入っているもの、小型の猛禽類と小さな野鳥が並んで木の枝に留まっているもの、キツネとリスが一緒に木の実を食べているものがあった。共生と言うより一緒に暮らしていると言った方が当てはまる。共通の敵でもいるのだろうか。神はこの地に何を与えたのだろうか。
しかしながら、この写真だけではブログの記述通り『一緒に群れている』だけで、たまたまと言えなくもない。教授もそれ以上追究する気もないようで、記事には数年前から何らの進展もなかった。
しかし、面白い…。
翌日、涼太はそのブログを執筆した教授に連絡してビデオ通話を申し入れた。ノートパソコンの画面に映っているのは白髪に眼鏡をかけた、如何にも学者然とした初老の男だった。
「いやぁ、あの話はその後何にもやってないからあれきりなんですよね」
教授は笑った。
「しかし先生、伝説には何らの自然科学的な根拠がある筈っていうご意見には肯けるものがあるんでね、もしブログ以外にご存知のことがあれば教えて頂けないかと思いましてね。特に異種の生物が群れるって話」
「うーん、そうですねえ、えっと豊田さんは東京から引っ越して来られたんですよね」
「ええ、つい先日」
「じゃあご存知ですかね。三鷹にある公園の池でボートに乗るとカップルが別れるって話」
「あー知ってますよ。有名な話ですよね。でも都市伝説っていうのか、マジかどうかは判らないですけど」
教授はにんまりとした。
「神来の森はあれと逆の話が時々あるんですよ」
「逆? ですか」
「そう。別れ話のために訪れたカップルが復活したとか、見知らぬ男女があの公園で仲良くなって結婚したとか」
「へぇ?」
「ま、これもちゃんと調べた訳じゃないんで、都市伝説以下の噂話なんですけどね」
「へぇ」
「恥ずかしくてブログにも載せられんのですよ。地磁気とどう関係するのか見当もつかないし」
教授は頭を掻いている。
「そりゃそうですね」
「だけどまぁ、月の満ち欠けが人の精神や感情を左右するって話もありますからね、真向否定も出来んわけで」
「はぁ、なるほど」
「ま、豊田さんもくっつけたい男女が身近にいるなら、セクハラにならん程度であの公園を紹介してみて下さいよ。出来れば結果を私に教えて下されば助かります」
声を上げて教授は笑い、涼太も軽く調子を合わせてビデオ通話は終わった。
涼太は腕を組んだ。教授も今以上に掘り下げる気はなさそうだ。
「ま、ナンパの名所になっても名を汚すしな。でも絢を連れて行くには丁度いい公園だ。シマエナガでも見られたらラッキーだし」
涼太はノートパソコンを閉じ、未開封の段ボール箱から週末のために絢のレインブーツと手袋を取り出し、玄関に並べた。
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