第28話 合奏
美芽は部活に行く前に沙良に声を掛けた。気になっていたのだ。小野田さん、この頃ずっとオカリナ吹いてない気がする。どげんしたんやろ、ウチは美月に言われて、文化祭に集中するために暫くお休みしてたけど、この前からちょこっと吹き始めた。美月ももうとやかく言わないし、前から思ってたように沙良と一緒に吹けたらいい。
「小野田さん」
沙良はびくっとして振り向いた。
「ごめん、びっくりさせたと。あの、小野田さん、もうオカリナ吹かんと?」
「ううん、吹いてるよ」
「あれ。聴こえとらんかっただけか…」
「学校では吹いてないから」
「なんで?」
「あの、山名さんに注意されたんだ。私が中庭でオカリナ吹くと綿貫さんとかの練習の邪魔みたいで、私、そういうの全然気が付かなかったんだ。ごめんね、気が利かなくて」
美芽は驚いた。そういうこと…だったのか。あの美月の剣幕なら有り得る話だ。
「そうやったん。こっちこそごめん、気を遣わせたみたいで。もう大丈夫よ、文化祭も終わったし」
「そう?でもまあ、やっぱ学校ではやめとくよ。周りから変に思われてるかもって私もようやく気が付いた。学校でなくても吹く場所あるし」
「どこで吹いとると?」
「ウチの近くの公園。神来公園。あんま人いないからさ、ちょうどいいの」
美芽は行ったことのない場所だった。神来公園…。ふうん。
「そんならいいけど。また聴かせてね。いっつも持っとるんやろ?」
「まあね。でも綿貫さんも楽器頑張ってね。山名さん、めっちゃ応援してたよ」
「うん、ありがと」
美月の親切というかお節介というかは有難いけどちょっと出過ぎの気もする。ま、いいか。小野田さんもそれほど気にしてそうにないし、ウチが吹けばまた中庭で吹いてくれるかも。美芽は切り替えて音楽室に向かった。
+++
杵屋先生は、新チームの練習曲として、文化祭でも演奏した『優しいあの子』を選んでいた。パート分けが少々
その日は練習が終わってから、先生は主力メンバーである2年生を見回してため息をついた。
「3年生が多かったから何だかスカスカって感じねぇ。来年頑張って新入生たくさん勧誘してよ。だいたいフルートの1年が二人も転校しちゃうなんて前代未聞よねえ。雪が積もる前に引越しって解らないでもないけど」
聞いていた美月がはっとした。フルート…か。美月は手を挙げた。
「先生!」
「ん?」
「私、フルートに即戦力を一人勧誘してきます」
「そう?心当たりあるの?」
「はい」
杵屋先生は怪訝な表情を見せたが美月は構わずに自分のサックスを取り上げた。
「美芽!クラ持って一緒に来て。じゃ、失礼しまーす」
バタバタ出てゆく美月を、慌てて美芽がクラリネットを持って追いかけ、杵屋先生の視線が不思議そうに見送った。
+++
「美月、どこ行くと?」
「図書室」
「図書室?」
「いいからいいから」
渡り廊下を歩いていると図書室の方から沙良が歩いてきた。
「よし!予想的中!」
美月はサックスを持ったまま手を振り上げた。
「小野田さん!」
沙良はびっくりした。美月が手を振っている。
「ど、どうしたの?」
「あのさ小野田さん。オカリナ、今日持ってる?」
「うん。あるけど…」
美月は美芽をちらっと見て、沙良の肩を片手で抱いた。
「一緒に合奏しよう。中庭で」
「が、合奏?」
「うん。もうオカリナ解禁だよ」
「え?」
「いいから行こう」
美月に連行されるように沙良は中庭に向かった。美芽もついて来る。
+++
美月に急かされて、沙良はオカリナを取り出す。
「じゃあさ、小野田さんがいつも吹いてた曲、S&Gだっけ、明日に掛ける橋。美芽も覚えてるよね。ユニゾンでやってみよう。小野田さん吹いてみて。ついていくから」
沙良は訳判らないながらオカリナを吹き出す。
♪ When you’re weary Feeling small ・・・ ♪
久しぶりに中庭に沙良のオカリナが流れた。美月は器用にサックスで合わせ、美芽もぎこちなく吹き始める。
三つの音色が一つにまとまる。
♪ I will dry them all I’m on your side When times get rough ・・・♪
沙良は思いがけない合奏に胸に酸っぱい、しかしほんのり甘い思いが沸き上がってくるのを感じていた。
♪ I will lay me down ♪
美芽もまた甘酸っぱい思いを胸にクラリネットを吹いた。そう、これを小野田さんに歌ってあげたかった…。
「リピート! 小野田さんはメロディ!」
美月が声を上げる。2回目は美月が伴奏に回った。アドリブでオカリナを支える。沙良の目は涙で霞んできた。
ずっと一人で吹いてきたのに…、今日は支えてもらってる。それも吹部の二人に。
また美月が叫ぶ。
「美芽も伴奏入って!」
クラリネットがアドリブで伴奏を奏で、サックスは対旋律を奏でている。霞んだ目で沙良は二人を見た。
『凄い…。さすが吹部の二人。楽しい。合奏って楽しいんだ…』
「オッケイ!」
美月が叫び、3度繰り返した曲は終わった。
「ブラヴォー!」
美月はサックスを高々と掲げた。沙良の目からは涙が溢れ出た。
「有難う、山名さん、綿貫さん。なんだか判んないけどめっちゃ嬉しい…」
美月はベンチにサックスを置いてそっと沙良を抱きしめた。美芽は見た。ぽっかり空いた穴に今、確かに橋が架かったのを。良かった。美月も本当は気にしていたんだ。
沙良はハンカチを出して涙を拭う。美月は沙良の肩に手をかけたまま言った。
「小野田さん、美月って呼んでくれていいよ。私も沙良って呼ぶから」
沙良は曖昧に頷く。美月は続けた。
「試験、合格よ」
「試験?」
沙良は怪訝な面持ちで美月を見る。美月はにっこり笑った。
「沙良、フルートやらない?」
沙良は涙に濡れた目を大きく見開いた。
「フルート?」
「うん。沙良なら出来るよ。オカリナとちょっと違うけど、聴いてて判る。沙良は大丈夫。一緒に吹奏楽やろう。一緒に吹こう!」
目からまた涙が溢れたが、沙良は構わず頷いた。美月に肩を抱かれながら何回も何回も頷いた。
「ありがとう…」
「あ、雪?」
美芽が呟き空を見上げる。美月も空を見上げた。
中庭の三人の上に初雪が舞う。沙良も空を見上げた。涙が幾筋か頬を伝って降りてゆく。心は温かいけど、また寒い冬がやって来る。
美月が沙良と美芽を見回す。
「この冬はなまら寒くなるって」
美芽と沙良が顔を見合わせてハモった。
「なまら って何?」
「“very”よ。『とっても』って意味」
美月は笑い、そのまつ毛にひとひらの雪つぶが引っ掛かった。
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