第26話 荒れるサックス
文化祭が終わり、吹奏楽部にもほっとした空気が流れていた。3年生の引退と新チームでのスタート。美芽も、よほど凄腕の1年生が入ってこない限りは大会メンバーに入れるだろう。それはそれで美月は安心したのだが、自分自身には迷いが出ていた。美月は遠慮がちに美芽に尋ねた。
「美芽、もうオカリナは吹いてないの…かな」
「うん。美月に吹いちゃいけんて言われたけん。けどお陰でクラ上達して感謝しとっとよ」
「そっか」
「どうかしたと?」
美芽は心配そうに美月を覗き込む。美月は目を逸らした。駄目だ、吹いていいなんてとても言えない。あの子のオカリナだってオモチャなんかじゃない。判っているのに。どうしたら…。
「ううん、何でもない」
美月は言葉を濁し、サックスを抱えなおして自分のパート席に戻った。
杵屋先生がタクトを振って、新しいチームでの合奏練習。サックスパートの新リーダーである美月は忙しくなっている。取り敢えずは来年の卒業式や入学式での演奏をこの人数でやらねばならない。しかし…
「ストーップ! 山名さん、どうしたの?」
「すみません」
部員たちは揃って怪訝そうに美月を見る。
「ちょっとさ、終わったら残って」
「はい」
美芽も心配した。美月が先生に呼ばれるなんて聞いた事ない。
そして練習終了後、部員たちが引き上げる中、美月は音楽室に残った。杵屋先生が隣に来る。
「座ろうか」
「はい」
「何か心配事でもある?」
「いえ…」
「中間テストも悪くなかったし、家庭の事情とかでも聞くよ」
美月は迷った。
その時、中庭からオカリナが聞こえて来た。小野田さん…なわけないか。あの子はもうあそこで吹かない筈。誰?
美月は窓を開けて中庭を覗き込む。杵屋先生も窓の外を見た。 あ、美芽。
「あら、綿貫さんがオカリナ吹いてる。へぇ。どうしたんだろ」
ヤバい、先生にダメ出しさせるわけにいかない。美月は焦った。
「あ、あの。美芽はクラ、ちゃんと出来てるから、だからオカリナ吹いてても大丈夫です!」
「え?うん。別に駄目だとか思ってないけど…。どうかしたの?オカリナ」
美月は唇を噛み締め、そして白状した。
「美芽は小野田さんと仲良くなろうとしてオカリナを始めたんです」
「ふうん。小野田さんもやってるの?」
「はい。結構上手です。よく中庭で吹いてて」
「あらそうだっけ?聞かないけどな」
「私が禁止したんです」
「なんで?」
「あの、美芽がのめり込んじゃうとクラがいい加減になるって思って」
「なるほど」
杵屋先生はそっと手を美月の肩に置いた。
「なんだかそれが関係していそうね」
「私、オカリナはオモチャだから、音楽じゃないからとか言っちゃって。でも半分はそう思ってるんです。吹部にもオカリナパートなんてないし、素人の趣味だって。オカリナが上手だとしても、やっぱり音楽やるならちゃんとした楽器でちゃんとレッスン受けて、コンクール出てってやらないと…駄目ですよね?」
美月は
「なるほどね」
杵屋先生はにっこり笑った。
「間違ってはいないよ。でも正しくもない。コンクールで金賞取ったらそれは嬉しいし価値あるし、部活ではみんなでそれを目指しているんだからそう思うのは当然だと思う。でも音楽ってそういうのとは全然違う次元の楽しさや嬉しさがあると思うな。コンクールじゃなくても、山名さんが奏でるメロディがどこかの誰かの心を揺さぶったり落ち着かせたり、それでその人に勇気を与えたり優しい気持ちになってくれたり… そうしたらやっぱり嬉しいでしょ? 勿論演奏として上手な方がいいんだろうけど、それだけでもないと思うな」
美月は先生から目を逸らせた。
「みんなと一緒に演奏できるのも嬉しいです。上手く合った時なんかめっちゃ楽しい」
「それも正解だよ。山名さんの一生の思い出、音楽は歳取ってもずっと続けられるからね、一生の宝物になると思う」
「いい演奏だったよって言ってもらえるのも嬉しいです」
「そうね。それも宝物だね」
「他にも・・・ある…ってことですか」
「綿貫さんが小野田さんと一緒にオカリナを吹きたいって思ったのは、それで気持ちが通じ合うからって思ったんだろうね。小野田さんクラスで浮いてるし、綿貫さんは密かに心配してる。見てると判るのよ。だから本当に気持ちが通じ合ったら、きっとそれも二人にとって宝物。音楽がくれた宝物になるのよ」
「宝物は一つじゃないってことですか…」
「そうね、決める必要はない。いろんなものを受け入れてみて、それでずーっと残ってゆくものがきっと本物なのよ」
そうか…。初めから決める必要はないんだ。美月の気持ちは少し
「山名さんはなんで急に悩みだしたの?」
「文化祭で、会場の最前列にちっちゃな女の子がいたんです」
「ああ、いたね。幼稚園くらいの子」
「その子がオモチャの笛を一所懸命吹いてて、私たちの演奏に合わせて身体でリズム取りながら吹いてました」
「うん」
美月は一呼吸空けた。
「私も小さい頃、そうだったなって思い出して」
「そう」
「オモチャだなんてこれっぽっちも思ってなくて、それでも楽しくて、それで、サックス始めたんだって思い出して」
杵屋先生は立ち上がって、美月の肩を両手でふわーっと抱きしめた。
「山名さんのサックス、きっともっと良くなるよ」
「え?」
手を離した先生は言った。
「音楽は技術だけじゃないもの。技術だけだったらロボットや機械の方が正確だよ。人間は心を表現するからオーディエンスが感動するのよ。山名さんが表現する心がたった今、少し深くなった」
そうなんだろうか。美月は今一つ判らなかったが、しかしたった今、判ったことがある。
『優しいあの子』は誰だったのか、そして、『聴かせたい』だけじゃないんだってことを。
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