第25話 ママが欲しい
退院後の絢は元気に学校へ通っていた。休日には父・涼太と一緒にお出掛けする。近所の公園から動物園、子ども向けのテーマパークに至るまで、闘病期間を補うように涼太は張り切った。帰りには二人でレストランに入る。と言っても絢はまだ小学生。子どもが喜ぶ品揃えのファミレス系が多かった。
「絢、決まったかい?」
キッズメニューを睨んでいる絢に涼太が声をかける。
「うーん。やっぱりハンバーグにする!」
「オーケイ。じゃ、ドリンクバーつけるからさ、飲み物を取っておいで」
「うん!」
絢はドリンクバーのベンダーマシンの列に並ぶ。絢の前には絢より小さな女の子が並んでいた。その子の番がやってきて、ベンダーマシンのホルダーに大事そうに持っていたコップを置いて、ボタンを押そうとする。背伸びしているが少し届かない。妹がいたらこんな感じなのかな。よし、ボタン押してあげよう。絢が声をかけようとしたその時、横からきれいな女の人が入って来た。
「前をちょっとごめんね」
軽やかなワンピースを着たその人は、ボタンと格闘している女の子の横に立ち、
「どれにするの? あ、メロンソーダ?」
女の子が『うん』と頷いているのが判る。
「ママは?」
「ママはね、あっちでお茶入れたから大丈夫よ」
ママ…なんだ。女の子の代わりにボタンを押している白くてきれいな指先に絢の目はくぎ付けになった。
「ごめんね、割り込んで」
女の人は絢に向かって優しく微笑む。きれいなママ。絢はぎこちなく頷いて、しかし絢の小さな胸は突然
絢はそのまま席へ駆け戻った。
「あれ、絢、飲み物は?」
スマホを手に怪訝な顔で絢を見る涼太。絢はその膝に飛び上がった。涼太を見上げる絢の瞳が濡れている。
「どうしたの?」
「パパ、絢、ママがほしい」
「え?ママ?どうしたの?」
「どうもしないの。でもママにいてほしい」
ドリンクバーで何があったのか涼太には判らない。しかし、まだ『ママ』という言葉さえ判らなかった絢を置いて出て行ってしまった絢の母親とはもう会う気になれない。印鑑をついた離婚届を一方的に送ってきた女性とは二度と会いたくない。
どう答えたもんだか…。涼太が思案していると、絢は涼太の手を掴んだ。
「パパぁ。絢、香住ちゃんにママになってほしい」
「香住ちゃん?」
絢は濡れた瞳のまま大きく頷いた。
「香住ちゃん、おともだちじゃなくて、ママがいい」
「うーーん」
「だめ?」
「駄目ってか、そう簡単に言うなよ。ママって誰でもなれるわけじゃないんだよ」
「けっこんすればいいんでしょ?」
「それはそうだけど」
絢は袖で涙を拭いて涼太をまっすぐに見上げた。
「パパ、およめさんいないから、けっこんできるでしょ?」
「それはそうだけど…」
「パパ、香住ちゃんキライ?」
「いや、そうじゃないけど…」
「ホント?じゃあなってもらおう!絢のママでパパのおよめさん!」
「あのね、香住ちゃんがいいよって言わないと駄目なんだよ」
「そっかあ、じゃあ、ききにいこう! ほっかいどー!」
ええー?どうしたらいいんだこれ。
涼太は確かにそこにある絢の温かい小さな手と、確かに自分の芯にあるそういう気持ちを呆然と持て余した。
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