第22話 神様なんていない

 そして沙良はいつものとおり、神来公園のベンチに座っていた。友だち2号のチロさえこの頃見掛けないし、友だち1号だった香住さんとも音信不通だし、


「あーーあ」


 沙良は長い溜息をついた。山名さんに言われたこと、いつか綿貫さんに謝らなきゃ。全然気が付かなかったって。ふと空を見上げた視界に白いものがふらふらと見えた。あ、これ、雪虫…。


このところ見掛けることが増えている虫だ。きっとあと1ヶ月もしないうちに雪が降るのだろう。寒い季節に一人は辛いな…。やっぱ、オカリナ吹こう。沙良がゴソゴソとリュックに顔を突っ込んでオカリナを探していると、突然ベンチの隣に誰かが座った。このほんわかした匂い… え?


「か、香住さん?!」


 香住は少し沙良との間を詰めた。


「ただいま。戻って来ちゃったよ」

「え?ただいまって、どうしたんですか?あのおじさんと結婚するんじゃ、あ、もうしちゃったとか?」


 香住は力なく首を横に振った。


「駄目になっちゃった」

「え?」

「亡くなったの」


 沙良はとっさに言葉の意味を掴みかねた。亡くなるってどういう意味? え? まさか? あのおじさんの事?


 香住はポカンと口を開けたままの沙良をチラ見して続けた。


「交通事故に遭っちゃって、呆気ないものよ」

「うそ…。えー? 事故で? いつ?」

「もう2週間になるかな。まだ2週間というのか。まだ別に住んでたし何の手続きもしてなかったし、周囲にも言ってなかったから、あたしは他人だった。お葬式にすら行けなかった…」


 マジな話なんだ。沙良は香住の掌に手を重ねた。


「なんだかバカみたいでしょ。あんなに探し回ってあたしを見つけてくれたのに、あんなに呆気ないって、神様なんかいないんだよ…」


 香住の言葉は涙にまみれた。そのまま嗚咽が続く。沙良は香住の手、香住の肩、香住の背中をさするしか出来なかった。香住は泣き続けた。しばらくたって、


「ご、ごめんね、ずっと年下の女の子にこんなにしてもらって…」

「泣きたい時は泣けばいいって、香住さんに教えてもらいました。それに、私、友だちだから」

「うん、ごめん」


 神来の森を見て香住はいろいろ思い出したのだろう。またしばらくさめざめと泣き続けた。そして涙にぬれた目のままで語り出す。


「正直言うとね、彼から『一緒になろう』って言われたとき、ちょっと躊躇いはあったのよ。やっぱりいろいろあったことで、気持ちは完全に元には戻らなかった。彼、独身だったけど、元既婚者だったの。そう、彼はね、彼は奥さんと娘さんをね、交通事故で亡くしていたのよ。ペダルの踏み間違いとかで歩道に突っ込んできたお年寄りの車で。ちょうど絢ちゃんと同じ歳の娘さんだったの。だから絢ちゃんの治療については一切妥協出来なかったって。何が何でも絢ちゃんは助けるって思ってて、それであたしの事もあんな風な態度になってしまったって。何だかそれを聞いたらね、あたし、この人はもう一生分の悲しみを体験してしまったんだなって、だからこれからは、あたしが幸せの欠片を感じさせてあげたいなって思ったの。それであたしも幸せを感じることが出来そうだって。だけどさ、神様はそんなあたしの気持ちなんかより、彼に天国で奥さんと娘さんに会えるようにしちゃったんだ。それで良かったのかも知れないって思うようにしてたんだけど、ここに来て沙良ちゃんの背中見たら急に折れちゃった…」


「そうだったんですか…」


 沙良は慰めようがないと思った。ただ手をつないでいるだけだ。


しばらく森の方を見ていた香住は、ライトダウンのポケットに手を突っ込むと青い塊を出した。


「沙良ちゃん、教えてくれない?」

「あ、それ…」

「形見なの。たまたまあたしの部屋に忘れてて」

「そうなんですか」

「ほら、いつも吹いてたやつ。あたしも楽譜探してちょっとやってみたの」

「へぇ」


 沙良もオカリナを取り出す。


「じゃ、行きますよ。ワン・トゥー・スリー」


 ユニゾンで吹き始めた『明日に掛ける橋』、秋野医師がずっと前にここで吹いていた曲だ。思えばそこからいろんな事が始まった。


♪ I will dry them all I’m on your side ・・・ ♪  


 香住の音が乱れてくる。


♪ I will lay me down ♪


 香住の音が止まった。少し遅れて沙良も止める。


「明日に架けるとかいうけどさ、二度も落とされた橋はもう架からないじゃない…」


 香住の目から再び涙が溢れだした。香住の秋野医師への想いが切なく辺りを埋めてゆく。森のチロさえ出てくるのを躊躇うような、そんな深くてピュアな悲しみ。本当に香住さんはあのおじさんを好きだったんだ。


 『三度目の正直』 


覚えたばかりの言葉を、沙良はとても言い出せなかった。

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