第15話 遠い日々(その2)

 その週末、香住はとんぼ返りで北海道に帰省した。トウモロコシを仕入れるためだ。と言っても日持ちのことも考えなければならないし、幾ら美味しいと言っても子どもの事だ、すぐに飽きてしまうかも知れない。香住は道の駅で1ダースばかりのトウモロコシを買い求め、東京に戻った。


 翌日、香住は自分の家で焼いて醤油を絡めたトウモロコシを病院の従業員食堂の電子レンジで温め直して、絢の病室に持参した。


「絢ちゃん」

「あ、香住ちゃん!」

「持って来たよ、とうきび」

「とうきび?」

「そう。北海道ではトウモロコシの事を『とうきび』って呼ぶのよ」

「へぇー」


 ラップとアルミホイルを開けると、香ばしい匂いが拡がる。


「いいにおい!おいしそう!」


 絢は香住の前であっという間に『焼きとうきび』を平らげた。


「おいしかったー♪ だいすき!」


 口の周りに醤油の跡をつけて、絢は天使のように笑った。香住は心底、絢を可愛いと思った。


 その日以来、香住は焼きとうきびを持って、度々絢の病室を訪れるようになった。二本持って行って、三時のおやつに二人で齧りついたこともある。そんなある日のこと、香住が病室を出ようとドアノブに手を掛けたら先にドアが開いた。


「あ、すみません」

「い、いえ、こちらこそ」


 病室に入ろうとしたのは三十代と思しき男性。ブレザーに渋い色のネクタイを締めたなかなかのイケメンだった。


「パパ!」


 背後で絢が叫んでいる。この人が絢ちゃんのお父さん・・・。


 先に口を開いたのは男性だった。


「あの、もしかして香住ちゃんですか?」

「は、はい」

「いつもお世話になります。絢の父親です。豊田涼太(とよだ りょうた)と申します」

「あ、薬剤師の三村香住です」

「三村さんって仰るんですか。えっと、もう戻られます?」

「ええ、まぁ、休憩時間が終わりなので」

「そうですか。絢から毎日のように話を聞いていまして、絢も喜んでて、本当にすみません」

「いえ、私も絢ちゃん可愛いから癒されてます。だからお気遣いなく」

「そうですか」

「では私はこれで」

「はい。またどこかでお話しさせて下さい」

「ええ、はい」


 親子のひと時を邪魔する訳にもいかない。香住はそそくさと病室を出た。お話って何の話をするんだろ。治療の事は判らないし、私はキタキツネの話位しかできない。あ、焼きトウキビの作り方?いやいや、焼いてお醤油をかけるだけだし。


 それにしても…、それにしても爽やか系イケメンだな。香住が密かに想いを寄せている小児科の医師とは違うタイプだ。別に二人の男性を天秤にかけるような身分じゃないけど、そういう妄想だってしてもいいじゃない。香住は軽やかに階段を下りた。


+++


 翌週も香住は絢ちゃんパパと出会った。今日の涼太はシャツにジーンズのカジュアルな恰好だ。ちょうど廊下から業務用エレベータのホールに入ろうとした時なので、涼太はまるで香住への壁ドンみたいな形で立った。 え?


「この時間が休憩時間なんですね」 

「ええ、日によって違いますけど」

「あの。トウモロコシ、有難うございました」


 やっぱ、そっちの話か。香住のトキメキは小さく空振りする。


「いえ、大好きって絢ちゃん言ってくれてるから」 

「散々聞かされてます。三村さんは北海道のご出身なんですね」

「はい。だからたくさんあるんです」

「あ、またお支払いはしますから」

「そんな、安いものなのでお構いなく」


 背後を看護師がチラ見しながら通り過ぎる。視線がちょっと痛い。


「じゃ、仕事に戻りますので」

「すみません、お引止めして」


 ふう。変に緊張しちゃうな。好きな人がいるのに私ってどうなってるんだ。自分がモテ期と勘違いしてしまう。患者さんの家族なんだから意識しちゃ駄目でしょ。しかし香住はちょっと浮かれた気分でエレベータに乗り込んだ。


 その後も涼太とは何度か言葉を交わした。香住が病室で絢と喋っている時に涼太が現れるようになったのだ。父娘の時間に割り込む訳にいかないと、引き上げようとすると、その父娘から引き止められる。自然と香住は涼太とも会話をするようになった。涼太は自分で小さな会社を経営する青年実業家だった。イケメンだし教養もあるし、性格も悪くない。奥様はどうして来ないんだろう。涼太と過ごす時間は少しばかりスリリングで甘い時間でもあった。


 しかし、そんな気分は、ある日、微塵にぶち壊された。

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