第8話 みんな独りぼっち

 旅行ガイドブックには北海道の6月はベストシーズンとか書いているが、この年は曇りがち。そんな空を見上げながら沙良は自転車を漕ぎ神来公園まで帰って来た。よし、今日もここで吹いて行こう。いつものベンチに座ってリュックからオカリナを取り出す。あの美月との言い合い以後、必要なこと以外、クラスの誰とも喋っていない気がする。仕方ない。私も意地張っちゃったし。ふう。溜息をついて沙良は『明日に架ける橋』を吹き始める。


♪ When you are weary , feeling small ・・・ ♪


 オカリナの音は湿った緩い風とともに森へと流れた。すると・・・


 あ、チロ。オカリナを両手で支えながら沙良は上目遣いに森の方を見た。吹き続けながらチロの様子を窺う。

まだ独りぼっちだ。少し鼻が出てキツネっぽくなっている。瞳も金色の部分が増えた気がする。でも聴いてくれてる。私のオカリナを聴いてくれている。沙良は曲を繰り返す。ポツポツと雨が降って来た。チロは動かない。


 雨がなんだ。チロが聴いてくれてるんだ。本降りになった雨の音をくぐって、沙良のオカリナは響き続けた。


 公園の入口からビニール傘が入ってきた。傘を差しているのは白衣を着た女性。ベンチを確認すると小走りになる。

香住だった。


 あ、チロがいるんだ。でも駄目だよ、こんな雨の中。風邪ひいちゃう。チロは香住を確認するとゆっくりと身を返し、森へと入ってゆく。


「沙良ちゃん!」


 沙良は驚いて振り返った。雨で全く香住の気配を感じていなかったのだ。


「駄目じゃない、雨の中で!」

「か、香住さん。チロが、チロが聴いてくれて」

「見えたよチロ。だけど駄目。ほらこっち来て。びしょびしょもいいところだ」


 香住は沙良を引っ張って、手近な四阿あずまやの中に入った。乾いたベンチに沙良を座らせ、タオルで沙良の髪を拭い、肩から背中をいた。

 

「すみません…」


 気温はそれ程低くないのでそのうち乾くだろう。香住はもう一枚、乾いたハンドタオルを取り出すと、濡れた沙良の肩から背中を擦った。


「チロ、大きくなったね」

「はい。キツネっぽくなってました」

「やっぱ犬じゃなかったんだ」

「でも独りぼっちでした。私、何回かチロを見てるんですけど、やっぱりお母さんいないみたい」

「そう…」


「私と一緒って。もしかしてチロもそう思ってるかもって」

「沙良ちゃんだけじゃないよ。あたしだって今は独りぼっちだよ。家に帰っても誰もしゃべる人いないし。まあ自分でそう仕掛けたんだけど」

「え?」

「東京でね、いろいろあったって前に言ったでしょ。好きな人に思いっ切り嫌われちゃったんだ。だから、もう一人の方がいいやって思った」

「そう…なんですか」

「その人って慎重な人だから、あたしから結婚してくださいってお願いしようと思ってたんだけど」


 まだ好きな人すら出来たことがない沙良は、よく判らないままうなずいた。


「みんな独りぼっちだね。あたしも沙良ちゃんもチロも」

「はい…」

「だけど友だちだよね」

「はい…」

「それって独りぼっち?」

「あ」


 香住は沙良を抱き寄せた。


「大丈夫だよ。学校じゃつまんないかもだけど、ここに来ればチロも、時々あたしもいる」

「はい」


 沙良は香住の言葉を反芻していた。そうだ。ここでオカリナ吹けばいつもチロが来てくれる。友だち2号だな。


 沙良の肩を抱きながら香住がハミングしている。不思議なメロディだ。


「なんの曲ですか?」

「うん?沙良ちゃんのオカリナ聴いて思い出したんだ。サイモンとガーファンクル。これはスカボローフェアって曲」

「サイモン?スカボロ?」

「うん。さっき吹いてたじゃん、明日に架ける橋。サイモンとガーファンクルの曲だよね。スカボローフェアもそうだよ。随分昔の曲だから、沙良ちゃんは知らなくて当然だけどね」



「へぇ。どういう意味なんだろ、スカボローって」

「帰国子女でも知らないか。当り前よ。町の名前だから」

「へぇ。フェアは何だろう」

「市場って意味みたいね」

「ああ、そっち」

「日本語では時々使うわね。北海道フェアみたいに」

「そうか」

 

 沙良は言葉の奥深さを噛み締めた。中江先生の言った事、ちょっと正しかったかも知れない。


「でも変な曲ですよね。スカボローの市場?」

「昔の恋人に無理難題を伝言してくれって感じの歌詞ね」

「無理難題?」

「それを何とかしてくれたらまた恋人に戻るって」

「本当に変な曲」

「何だかあたしへの伝言みたいな気がして、つい出ちゃった。沙良ちゃんのせいだよ」


 香住は笑った。しかし沙良は、その笑顔の裏に香住が抱える深い哀しみを感じ取った。好きな人に再び好かれるには、何をしなければいけないのだろう…。でもいつかのオカリナおじさんが言ってたな。


『傷ついてもきれいなメロディを奏でられる』


 香住のハミングしたメロディは沙良の心に残り続けた。

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