第7話 近づくために

 美月と沙良が言い合った週末、美芽はアウトレットにある楽器店を訪れていた。先日の件は美芽の心を深くえぐった。誰が悪いわけではない。だから余計に割り込めない。割り込むとしても何て言えばいいのか。


『小野田さんはなんも悪くなか』


 そうは思うものの美月も沙良が悪いと言っている訳じゃない。そもそもの発端のフレーズだって先生も間違っていないし、沙良が言うのも本当だろうと思う。だから誰かの肩を持つのは変だ。そんな状態で美芽にできることは、やはり沙良に声を掛けるだけと思った。あの日以後、クラスの中は平穏なのだが、相変わらず沙良は一人ぼっちだ。埋められない穴が開いたまま。だが掛ける言葉が見つからない。それこそ空気を読めば読むほど見つからない。


 だから美芽は一緒にオカリナを吹こうと思った。音楽は言葉以上に心をつないでくれる。それに美芽には沙良のオカリナのメロディがずっと耳に残っていた。


 ♪ I will lay me down ♪


 このメロディこそ、沙良に聴かせてあげたい。私が吹いて聴かせてあげたい。吹部で吹いているクラリネットでも良いのだが、そこは同じオカリナで、そして2番からはユニゾンで一緒に吹いてみたい。そうしたらぽっかり開いたままの穴にも小さな橋が架かるかも。クラスの他の子たちも渡るかも。そう思った。


 だから美芽はオカリナを吹き始めた。クラリネットとは全然違う形と運指。両方やってるプロの人もいるそうなので不可能じゃなかろうと自分にハッパをかけながら、沙良が吹いていた『明日に架ける橋』を吹き始めた。


+++


 中間テストが終わったその日、神来中学吹奏楽部員は練習を終えても全員まだ席に着いたままだった。タクトを振っていた3年生の部長がプリントを配り、顧問の杵屋先生が前に立って部員たちを見回す。


「今日は夏休み野外コンサートについてお話しします。札幌地区大会の後なので気が抜けがちですが、一般の方に聴いて頂ける貴重な機会なので手を抜かないように。でもね、審査はないから伸び伸びと演奏して下さい。演奏曲はプリントの通り4曲ね。大会用に練習してきた曲も入ってるから大丈夫だとは思いますが、演奏は1年生も入れて行います。1年生は貴重な経験になる筈ですから頑張ってね。それから1番目の『明日に架ける橋』と4番目の『花は咲く』にはソロがありますが、大会のソロとは別の人にやってもらいます」


 部員たちは唾を飲み込む。杵屋先生は再び部員たちを見回した。


「『明日に架ける橋』は山名さん、『花は咲く』は高橋さんにお願いします」


 部員たちはどよめいた。3年生が定番だったソロに2年生の美月が選ばれたのだ。美月は頬を紅潮させている。隣の2年生部員が美月の肩を叩きまくる。


「はい、勿論当日までの練習の成果も見ますからね、高橋さんも山名さんも油断しないようにね」


 部員たちが笑う。実力的には皆文句ない選出だったのだ。その翌日から、美月のサックスの音が放課後の中庭に響くようになった。


+++


 期末テストが視野に入って来た6月末、練習が終わって美月が美芽に声を掛けた。


「美芽、練習ちゃんとやってる?この頃下手になった気がするけど」


 美芽はドキッとしながら答えた。


「しとうよ。みんな元々が上手過ぎやから、中学から始めたらついていくの大変やけん」

「そう?」

「美月はしっかりやらんと、ソロが待っとるけんね」

「わ、プレッシャーしかないよ、それ」


 美月はおどけて見せたが内心悪い気はしていない。小学生の頃からサックスを吹いている美月には、学校外の一般オーディエンスにソロを聴いてもらえる晴れ舞台でもあるのだ。


「私も頑張るけん、美芽も頑張ってよ!」


 美芽の九州訛を真似して嬉しそうに走ってゆく美月を眺めながら、美芽は溜息をついた。


『美月は、やっぱするどか』


 二つの楽器を同時にやるのは無理なんやろか…。オカリナの分、クラの練習が割を喰っている事には間違いない。楽器演奏にかけてはずっと先輩でもある美月に見抜かれたのは当然だったかも知れない。こんなことで小野田さんに近づけるのだろうか。美芽は6月の曇り空を見上げた。

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