第6話 病気じゃない

 だが、その後、沙良は2日続けて学校を休んだ。きっかけは国語の授業だった。国語教師である中江千草(なかえ ちぐさ)先生がふと口にした『テンションが上がりますね』に対して、沙良が意見したのだ。クラスはその後のやりとりを、言わば野次馬気分で見守った。


「tensionは楽しい意味ではありません」

「和製英語だからそういう使い方もあるのよ」

「だけど、それじゃ通じません。その場合はexciteです。I’m excited って言います」

「英会話ではそうかも知れませんが、日本語を含めて言葉は生き物だから、変化しながら流通していくものです」


 中江先生はピシャッと言った。


 そう言うことはあると沙良は聞いていた。一口に英語と言っても世界中に散らばっている。だからその地域の言葉とミックスされた、いわばハイブリッド化された言語は世界中で見受けられる。それは沙良も知っている。だけど、それに慣れて、それを英語だと思って使ってしまったら、きっと相手には通じない。伝わるか伝わらないか、そっちの方が大事なんじゃないの? だから沙良は退かなかった。


 中江先生も建前を崩さずヒートアップしかけたその時、背後から声がした。


「もういい加減にしてよ。あんたが英語喋れるのは判ったから、みんなもう飽きてんのよ」


 美月だった。クラス中がどっと沸いた。


「じゃ、進めます」


 中江先生は話を打ち切り、沙良は仕方なく座った。悔しい、恥ずかしい、いろんな思いがごちゃ混ぜになる。その日、沙良はそれ以降一言も喋らなかった。


 だから沙良は翌朝起きられなかった。登校して教室に入るとみんなが指さしてクスクス笑う気がする。何にも見たくない。聞きたくない。一日中ベッドの中で耳を塞いでいたい。


 ずっと海外相手に仕事をしてきた両親には理解があった。学校で何かあったと察したのだろう。


「無理に行かなくていいよ。適当に言っとくから」


 その日は一日中ベッドで過ごし、登校してみようと思うまでにはもう1日かかったのだ。


 3日目の朝、沙良は早めに登校した。たくさんいる中に入っていくより先に行って座っていようと思ったのだ。幸い、クラスにはまだ2、3人しか登校しておらず、沙良は特段問題もなく自席に座ることが出来た。


 クラスメイトが次々に登校し、教室は『おはよう』で満たされてゆく。沙良はホッとしていた。このまま1日が過ごせそうだ。


 まもなく担任の先生がやってきた。音楽担当の杵屋杏(きねや あんず)先生である。


「おはようございます。えーっと、小野田さん、あ、今日は来てるね。もう大丈夫かな。具合悪いって聞いてたから」

「はい」


 三村先生が視線を沙良からクラスの真ん中に移したその時、美月の声が響きわたった。


「来たくないんでしょ。保健室登校すれば?」


 何名かがクスクス笑う。瞬間、沙良も気が立った。


「私は病気じゃない!」


 振り向いて叫ぶ。美月も負けていない。


「それを空気読めないって言うのよ。You understand?」

「空気は吸うものでしょ!」

「それ十分病気だって。保健の先生と英語で喋ったらいいんじゃね? そしたらみんなハッピーちゃんだし」


 沙良の1年生の時のあだ名を知っている何名かは吹き出していた。


「違う、そんなじゃない」


「これ、朝からやいやい言わないの。出席採るよ」


 杵屋先生が怪訝な表情で割り込んで騒ぎは収まった。


 そんなじゃない、病気なんかじゃない・・・


 沙良は心の中で繰り返し続けた。

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