第5話 友だち1号

 その日、沙良は下校時に神来公園に立ち寄った。森との境目の、あのおじさんが座っていたベンチに腰掛け、オカリナを取り出す。


 ♪ When you are weary ・・・ ♪


 いつもの曲だ。若葉が眩しい春の公園、オカリナの音色は風とともに森へと吹き渡る。 カサッ。


 ん? 沙良はオカリナをくわえたまま音が聞こえた方を向いた。 あ、チロ。


 そこには森に返した子ギツネのチロが立っていた。沙良はオカリナを離し、座ったままチロに話しかけた。


「チロ、お母さんはいないの? ずっとここにいたの? ご飯、食べてる?」


 子ギツネは黒い瞳でじっと沙良を見つめている。


「もしかして、もしかしてチロも一人ぼっち? 私と一緒だね。抱っこしてあげたいけどごめんね、触っちゃいけないんだって。ご飯もね、あげちゃいけないんだって。本当にごめんね」


 沙良はチロの黒い瞳を見つめるうちに涙が滲むのを感じた。この子と毎日一緒にいられたら、さぞや慰められるだろう。この子も淋しい思いをしなくて済むのに…。誰も見てないし、ちょっと位ならいいんじゃないか。沙良が腰を浮かそうとした瞬間、チロは踵を返して森へと走った。 あ・・・ チロ!


 後ろから声が聞こえた。


「沙良ちゃんじゃない。様子見に来たの?」


 沙良が振り返ると、そこには香住が立っていた。


「あ、えっと、ドラッグストアの・・・」

「三村香住、だよ」

「そう、香住さん」

「何してるの? あれ、オカリナ?」


 香住は沙良の手に握られた楽器を見つけた。


「はい。ちょっと吹いてたんです」

「へぇ、一人でオカリナって、沙良ちゃんはもしや悩める子羊かな?」


 香住は沙良の隣に座った。


「え?」

「ふふ。中二病とは呼ばないだろうけど、前も思ったんだ。他の中学生に較べるとね、悩める子羊感満載」

「判るんですか?」

「そりゃ薬剤師だからね。病める人の顔は見慣れてる」

「そうなんだ」


「沙良ちゃんって、道産子じゃないよね」

「はい。生まれは横浜です。でも小2からずっとカナダだったので」

「へぇー。それでここに来たの?」

「はい。お父さんが航空会社なので、こっちに転勤で」

「そうなんだ。それかな…病んでる理由は。苛められたりするわけ?帰国子女ってあるあるなんでしょ?」


 沙良は考え込んだ。苛められるわけ…ではない。単に放っておかれるだけだ。


「ちょっと違うと思います。落書きされたりとか、モノを隠されたりとかはないので。ただ、相手にしてもらえないって言うか、放っておかれるんです。話し相手になってくれない」

「ふうん。シカトか」

「シカト?」

「あ、判んないかな。無視することを昔はそう言ったんだ」

「へぇ」


「でもさ、それ立派な苛めだと思うよ。休み時間とか一人な訳でしょ」

「はい。体育とかでペアになってーとか言われても、みんななってくれないので最後に余った人と組むんです。誰もいない時は体育の先生と」

「それって…淋しいよね」


 突如沙良の目に涙が溢れた。そんなつもりじゃないのに、そんな悲しい筈じゃないのに…。


「よしよし…」


 香住は沙良の肩を抱いて、その手で沙良をさすった。


 うっ、うっ… 慟哭が止まらない。


「いいのよ思いっきり泣いて。沙良ちゃんはなぁんにも悪くないのにね、可哀想にね」


 半年間のいろいろな事が思い出されて、沙良の涙が止まるのには5分かかった。香住はずっと沙良を擦り続けてくれた。


「す、すみません…」

 

 沙良は香住が差し出したティッシュで目を押さえる。


「少しはすっきりしたかな。もしかして自分にも悪いところが、なんて考えなくていいのよ。悲しい時は泣けばいいし、嬉しい時は笑えばいい。」

「はい…」

「ここって元々田舎だからさ、自分の範疇にないものは見たくないのよ。でもそのうちみんな気がつくよ。自分たちが持っていないものを沙良ちゃんが持ってるって。そしたら一歩ずつ近寄ってくる子が現れるよ」


「香住さんはなんで判るんですか」

「うーん。ま、あたしも似たような経験したからね。大人になってからだけど」

「大人でも?」

「そ。人間なんて歳とってもあんまり変わらないんだ。あたし最近まで東京に居たんだよ。学生時代から10年位」


 香住は沙良の肩から手を離した。


「大きな病院の薬剤師やってたんだけどね。立場が弱いのよ、薬剤師って。ま、それで大人同士でいろいろあってね、もう駄目だと思って帰って来たの、今年になってから」


 香住はそう言うと遠い目をして森を眺めた。


「やっぱり森があるのはいいわ。どーんと何にもないところだけど、ごちゃごちゃしているよりよっぽどいい。言い伝えだけどね、昔、この森に神様が舞い降りたんだって。それでこの辺を神来って言うのよ」

「アイヌの伝説ですか?」

「うーん、起源はそうかもねぇ」

「その神様は何したんですか?」

「何もしなかったんじゃない?」

「へ?」

「そんな話、残ってないからね。でもそう言うの、あたしは好きよ。いろいろ想像できちゃうから」


「へぇ、何だかcoolですねぇ。私もこのあたり好きですよ。ちょっとカナダにも似てる」

「そう?」

「はい。あ、それでさっきチロが出てきたんです。オカリナ吹いてたら」

「へえ、一人で?」

「はい。お母さんは見えませんでした。前にも一度見掛けたことがあって、チロ、ずっと独りぼっちみたい」

「そうなのか」

「なんだか私みたいって思っちゃって」


 香住はまた沙良の肩に手を回してぎゅっと抱いた。


「じゃ、あたしが沙良ちゃんの一番目の友だちになってあげる。ね」


 沙良の目からまた涙が溢れ出した。


「ほらほら、もういいからさ、チロに笑われるよ」

「は・・・い・・・。ですよね。チロなんてまだ小さいのに、一人で頑張ってるのに、私も頑張らないと」

「沙良ちゃんには、あたしって友だちがついてるから。ちょっと老けた友だちだけど」

 

 沙良は涙を流しながらくすっと笑った。

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