第4話 言い出せないだけ

 次の週末、沙良はお小遣いをはたいて同じオカリナをゲットした。色はクリームイエロー。同封されていた運指表を見ながら、一つ一つの音を確かめるように、沙良はゆっくりと練習を始めた。

何しろ放課後も沙良を誘ってくれる友だちは一人もいない。ゲームにはさほど興味がないし、音楽を聴くばかりではつまらない。だからオカリナは一人で過ごす時間に彩りを添えるのに丁度良かったのだ。


 始めた曲は、公園でおじさんが吹いていた『明日に架ける橋』。随分昔の曲だが、英語の歌詞も素敵だ。歌詞の中の”You”は誰なのだろうか。古くからの友人?それとも家族?もしかして恋人? もしこの歌を誰かが私に歌ってくれたなら、今の私は泣いてしまうかも知れない。だから、私はこれを吹く。私と同じような思いをしている誰かのために。


 沙良は毎日吹いた。通学時にもリュックにオカリナを忍ばせて持ち歩いた。すぐに家に帰りたくない日には、学校の中庭のベンチに一人座って吹いた。通りがかる生徒はちょっと不思議そうに沙良を眺めてゆくが、沙良は全く気にしなかった。本当に気儘に吹ける。あのおじさんの言った通りだ。


+++


 吹奏楽部の綿貫美芽(わたぬき みめ)は、クラリネットを手にしてその音を聞いていた。ちょうど美芽も個人練習で校舎裏の中庭に来ていたのだ。音は百葉箱や植樹の向こうのベンチから聞こえて来る。多分あれは小野田さんだ。1年生から同じクラスの帰国子女。


 みんなは『外国産』とか言って沙良には余り近寄らない。確かにあのネイティブな英語でベラベラベラーと喋られると引いてしまう。けど彼女が編入してきた時、自己紹介で言った言葉は覚えている。


「生まれ育ったのは横浜ですが、日本で生活するのは5年ぶりです。判らないこと多いですが、ハッピーな毎日にしたいと思います」


 最初はみんな珍しがった。この挨拶にかこつけて、『ハッピーちゃん』とかあだ名を付けていじっていたものだ。しかし反応がストレート。『そこはKYでしょ』とか言っても沙良は何のことか判らない。そんな事が重なって『外国産』になり、友だちは一人一人と沙良から離れて行った。


 あのタイミングで私が近づけば良かったんだ。だけど他の子に『なんか近寄り難いよねぇ』とか言われると頷いてしまう。横浜で生まれ育って、その上外国に5年も暮らしていたら、周囲に森や畑や牧場が拡がる北の大地にはなかなか馴染めないだろうと思う。私だって最初はいろいろ戸惑った。しかし、私の場合は九州訛が可愛いと受け入れられた。


「だってナチュラルウェーブのお嬢様に『良かよ』とか言われたら、ウンって言っちゃうよ!」


 友だちは叫んだ。基準がよく判らないけど英語より九州訛の方が受け入れ易いのだろう。



 中庭に流れるメロディは『明日に架ける橋』。吹部でも吹いた事がある。


 ♪ I will lay me down ♪  『僕が橋になろう』


 きっと彼女が欲しい気持ちなんだ。そう思うと切なく聞こえて来る。彼女の叫びに聞こえて来る。小野田さんが呼んでる気がする。そりゃそうだろう。いつもひとりぼっちで淋しくない筈はない。きっと昨日と明日は違う筈、そう思いながら、毎日を刻んでいるんだ。 どうしよう…。


 美芽が足を踏み出そうとした時、


「美芽、教室戻ろう」


 背後から声がかかった。同じ吹部の山名美月(やまな みつき)だった。


「あの子、何吹いてるの?オカリナ?」

「多分」

「やっぱり変な子だねー。学校で一人で吹くかな、ふつう」


 美月の調子に巻かれ、前に出かかった美芽の足は回れ右をした。


 ♪ I will ease your mind ♪  『僕がキミを守ろう』


 本当は私が歌ってあげたい。美芽は歌詞を呑み込んだ。

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