第3話 哀愁のオカリナ
翌日、沙良は下校時に神来公園に立ち寄った。やっぱりチロが気になった。またキャンキャン鳴いてやしないか。
公園の入口に自転車を停めて中に入ると、キャンキャンは聞こえないものの、代わりにオカリナの音が聴こえて来た。チロは大丈夫なようだ。
しかしこの曲…確か『明日に架ける橋』。
きれいな音だ。だけど、その中には切ない、ずっと聴いていると泣いてしまいそうな、そんな成分が含まれていた。
沙良は音の方向へ歩いてゆく。ベンチに座ったおじさんの背中が見える。あの人が吹いているんだ。そのおじさんの横にはリュックと大きな荷物が置いてある。旅人かな。沙良は息をつめてその背中に忍び寄る。
おじさんは気配を感じたのか演奏を止め振り返った。お父さんより若いけど、髪が銀色。何歳なんだろう?
「ごめんごめん、気に障ったかな。誰もいないからいいかなと思って吹いてたんだ」
「いえ、きれいな音だなと思って。それってオカリナですよね」
「そうだよ。誰でも音が出せる楽器だよ。音域が狭いから吹ける曲は限られちゃうんだけどね」
「へー」
「吹いてみる?ってこれ吹いてもらう訳にはいかないよね、バイキン移っちゃうと困るし、ええと、あ、そうだ」
おじさんは脇に置いてあったリュックからごぞごそと袋に入ったオカリナを取り出した。
「これ、買ったばかりなんで、まだ誰も吹いてない奴なんだ。これなら吹けるでしょ。一応消毒しておくけどね」
おじさんがウェットティッシュで拭いて手渡してくれたのはマリンブルーのオカリナだった。沙良の手にもすっぽりと収まる。指の添え方を教えてもらって、沙良はそっと息を吹き込んでみた。
ピーー ♪
奥ゆかしく響き渡ったその音は、目の前の森に吸い込まれるように消えて行く。
「ね。他の楽器とはちょっと違う、何だろ、憂いとか哀愁を帯びた音なんだ。だからって暗い訳じゃない。楽しく吹けば楽しく響くし、要は心の込めようと言うかね、カッコいいこと言うとね」
おじさんは白い歯を見せて笑った。
「これって幾ら位するんですか?」
「はは、買う気になった? まあ五千円前後かな」
「楽器屋さんにありますか?」
「うん。大きいところなら大抵あるよ。これもさ、こっちで買ったんだ。思い出の品にしようと思ってさ。ほらアウトレットの中に楽器屋さんあるでしょ?」
「はい、知ってます。一度見に行きます」
「うん。オカリナは小さいから荷物にならないし、どこでも吹きたい時にこうやって気儘に吹ける」
本当に…。旅するおじさんがどこでも奏でられる。帰国したけど未だ漂流中の私にも吹ける筈。大きな巻貝のようなころっとしたその姿に、沙良は少し慰められた気がした。
「有難うございました」
「うん」
オカリナをおじさんの手に渡そうとした沙良の目の隅に、小さな動物が見えた。
チロ!!
沙良が森の方を見た瞬間、手が動きオカリナが滑った。
あっ!! カチョン!
オカリナは地面に落下した。
「ご、ごめんなさい!」
沙良は焦った。買ったばかりの新品。おじさんもまだ吹いたことないオカリナ。
「いや」
拾い上げたおじさんはオカリナをしげしげと眺める。うん?
沙良に絶望が押し寄せる。オカリナの下部にヒットした痕がくっきりとついていたのだ。思い出の品なのに…。
「ごめんなさい。傷つけちゃった。新しいのに」
沙良はしょげた。おじさんは傷痕をつるりと撫でる。
「大丈夫だよ。表面だけだし」
おじさんは笑うとさっきの曲のワンフレーズを吹いた。明日に架ける橋。
♪ I will lay me down ・・・ ♪
「ね、ちゃんと音出るでしょ」
「は、はい…」
「思い出が深くなったよ」
「え?」
「これがなかったら、単にオカリナの話をしただけで、そんなの時々あることだから忘れちゃうに決まってる。でもこの傷痕を見ると、この公園やキミのことをいつも思い出すようになる」
「あ゛ー、あいつ新品落としやがった…って」
「いや、お転婆なお嬢さんだったなって。それで今頃は大きくなって、きっと美しい女性になってるだろうなって思うと思う」
「・・・」
「お金じゃ買えない思い出だよ。有難うね」
「そんな」
「大丈夫。傷ついてもきれいなメロディを奏でられる。人の心と一緒だよ」
その言葉は沙良の胸に深く染み入り、沙良を優しく包み込んだ。ほっとして沙良は森の方を振り向いたが、そこにはもうチロの姿はなかった。
チロ、まだお母さんに会えてないのかな。心がオカリナとチロに半分こされた沙良だった。
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