第3話 光など、そこには

 ジャンヌと過ごす蜜月は、そう長くは続かなかった。わたしがジャンヌの自慰を見てしまったときのように、わたしたちが交わっているところも誰かが見てしまっていたようだ――そして、その人が見たのはジャンヌの方だけ。

 わたしは、彼女に求められるままその細腰に顔を埋めていたおかげで、見られることはなかった。けれど、それでもわたしたちの日々が終わるのには十分過ぎる出来事だった。


“聖女は色に狂った売女だった!”


 彼女を知る中でこの醜聞を耳にしなかった人は、恐らくいないと思う。人の清廉さや美徳を疎み、不幸や下劣さを嗤うことに慣れた人々は、たちまちジャンヌを餌食にした。

 かつての災いで、人は多くのものを手離した。人を慈しむ心――だなんて目に見えないものだけではない。たとえば昔は遠くの人と瞬時に連絡を取る手段が山ほどあったのに、それらが意味をなさなくなったらしい。今の時代に人から人に伝わるのは口伝くちづての噂話ばかり。他人の言葉なんて信用ならないとばかりに警戒してばかりのくせに、そういう話は誰ひとり疑おうとせずにみんなで笑い者にして楽しむ……いつも悪趣味だと遠巻きに見るように思っていたけれど、それが自分のすぐ近くに及んだときの怖さは、うまく言い表せないものだった。

 その後、ジャンヌとはもう会えなかった。わたしへの害を恐れたのか、彼女の方がわたしと会う時間を作ろうとしなかったのだ。決して、わたしが彼女を見捨てたわけではない。それだけは断じて違うと言おう。


 けれど、ジャンヌに関する情報はいくらでも耳に入った。何せ世界の希望、光とまで謳われた少女の醜聞だ、みんながみんな口にしていたし、それはわたしの『客』にもだいぶ知れ渡っていたらしい。その誰もが、よく知りもしないはずのジャンヌを侮蔑する言葉を口にしていた。中にはわたしが彼女と仲が良かったことを知っている客もいて、『この仕事に引き込んだらどうだ、お前らわりと似た者同士じゃねぇか』などと嗤いながら自分の欲望を吐き出したりもしていた。

 そんなのひどい侮辱だ。彼女とわたしなんかが似た者同士なわけがない――彼女がわたしと一緒にいたのは、わたしが彼女の秘密を覗き見たからだ、そうじゃなければ……。


 そこから先の記憶は、あまり鮮明には残っていない。

 彼女が遠ざけられ、風の噂でどんどん疲弊していく彼女の姿ばかりが想起させられるだけの時期の記憶など残っていなくてもいいのだけど。ただ人の悪意や薄汚いものを受け入れて、ただ食い扶持を得て、ただ生きるだけの毎日を、いちいち覚えていられるわけもない。


 だから、わたしが次に思い出せるのはある朝のこと。

 弔鐘が鳴るなんて珍しいと思いながら起きたわたしの耳に届いた、ジャンヌが死んだという噂話。さすがに嘘だろうと思いたかったその話は、真偽を確かめるために様子を窺おうと近付いたジャンヌの屋敷を訪れる人々の顔ぶれが曖昧だった真偽を確かなものにしてしまっていて。

 わたしはというと――ジャンヌ以外から見ればジャンヌに構ってもらっていた大勢の町民のひとりに過ぎなかったわたしはというと、泣き崩れるお屋敷のご主人夫妻を遠目にただ呆然としていることしかできなかった。


 そこからのことも、正直あまり思い出したくはない。わたしの人生は、もうわたしのものじゃなくっていたから。

 彼女が命を絶ったのに、彼女をおとしめた人々が生きているなんて――あの日から胸のなかに湧いて治まらなくなったこの気持ちに駆られるままに、わたしは。


   * * * * * * *


 婚儀が終わって、夫となった彼とふたりきり。彼は元々わたしの『客』だった男で、わたしの身の上を案じて――そういう見下したような建前を言いながら、婚姻を申し込んできた。

 独占欲の強いやつで、何度も痕に残ることをされてきたからそろそろ断ろうと思っていた矢先のことだった。建前も最悪ならその中に隠しているものも最悪なやつ。


 そんなやつの求婚を受け入れた理由は、こいつも彼女を貶めたひとりだから。無責任な言葉を広めて、時には同意しなかった人の悪評すら流した、生粋の屑。

 だから、何の躊躇もいらなかった。


 鼻息荒く『初夜』への期待を語る男の言葉を聞き流しながら、わたしは彼の首に手を回す。そして持っていたナイフを、首の後ろに突き立てた。骨を擦る感触に身震いしながら、わたしは彼女に問いかける。


 あと何人こうすれば、わたしはあなたに償える? あなたを最初に貶めたわたしは、いつになったら裁きを受けられる?


 答えのない問いが、刃を滑らせた。

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楽園を追われた小鳥の囀りは 遊月奈喩多 @vAN1-SHing

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