境界の王国

兎角@電子回遊魚

第1話

 何も言わない君に、そっと接吻をあげる。

 動かない肢体を優しく抱きしめて。

 そして、今日も一緒に眠ろう。ずっとずっと、眠ろう。

 僕と君の永遠。

―――

―――

―――

 交差点で見かけた君はとても素敵だったね。

 情熱的で、常識に囚われず、好奇心旺盛に、僕のことを熱烈に視ようとしてくれた。

 そんな君を見たとき、恋に堕ちたんだ。

 穢れを知らない小さな子を慰み者にしていた僕が、恋をしたんだ。

 だから、僕は君が欲しいと。

 この手に抱きたいと、心から願った。

 手を伸ばせば届く距離。

 今この瞬間しかない、とっておきのチャンス。

 でも、君は逃げようとしちゃったね。

 僕から逃げようとしちゃったね。

 だから閉じ込めたんだ。

 悪い子には罰を与えなきゃいけないからね。

 大丈夫、罰のあとは、たくさんの飴でお迎えしてあげるから。

―――

―――

―――

 私の名前は、鈴懸(すずかけ)。名前の由来は鈴懸の木だ。

 連続男児誘拐事件は今、この街を戦慄に陥れている。

 報じられただけでも、2桁に突入。

 被害者の特徴は、6歳から11歳、つまり小学生男児。

 失踪時刻は、おおよそ18時前後。

 失踪したと推定される場所は、外から自宅まで。つまり、場所を問わずいつの間にか、「失踪」しているのだ。外に限定するならばまだしも、自宅に居る子どもを誘拐するなど簡単な話ではないはずだ。

 そして、失踪男児の両親が口を揃えて言うのだ。「ほんの少し、1,2分目を離した隙に居なくなったんです」と。どれだけ手慣れた誘拐犯とて、場所を選ばず僅か1,2分で攫うなど現実的ではない。

 斯くして、街の人はこう囁く。「神隠しだ」と。

 逢魔が時。

 陽灯りの時間と月明りの時間が入れ替わる境界線。

 限りなく正しい刻限は、18時を跨ぐ境界。

 その瞬間。

 在るはずのモノはその輪郭を溶かし。

 無いはずのモノはその輪郭を現わす。

 実際にそんなことが起きているわけではない。そう錯覚するというだけの話だ。

 日暮れに交通事故の頻度が上がるのも、光と闇の境界が曖昧で、例えばヘッドライトを点けるか否か迷い、闇を見落とすからであって。

 けれどそんな錯覚が、街を恐怖に陥れる失踪事件が、それを肯定しようとする。

 人間とは不思議なモノで、居ないはずのモノでも「居るかもしれない」と思うと、本当にその姿を見てしまうかもしれないのだ。そして、在りもしない存在に怯え、それが人々の間を連鎖し、怪異が産まれる。

 人々の恐怖が、怪異を、神隠しを、起こすのだ。

 しかしこれでは、神隠しの始まりに説明がつかない。ここまで大規模な「神隠し」を起こすには、相応の「恐怖」がなければならない。それは一体どこから?

 先程述べた通り、怪異の類なぞ錯覚に過ぎないのだ。それなのに実際、神隠しとでも言わねば説明のつかない事件が発生している。

 私は警察でもなんでもない、ただのオカルトマニア気取りだ。そして大変興味深くこの事件を見ている。実態が人間に依るものであればそれはそれまで。しかし、仮に神隠しだとしたら、それを目撃してみたい。或いは体験してみたい。そう思うのはオカルトマニアの悪癖か。

 矛盾するようだが、オカルトマニアの私は、在るモノだけが在る、というどこぞの哲学者の言葉を信じている。故に、「在るかもしれない」ではなく「在るものである」という確証を得たい。「在るかもしれない存在」を「在る存在」へと書き換えたいのだ。

 この平和な日本は退屈で仕方がない。オカルトに傾倒した理由も至極単純、「刺激を得たい」からだ。ただ、霊感というモノには縁がないようで、所謂幽霊の類と遭遇することは今のところ叶わないでいる。しかし、幽霊を「視た」という話はよく聞くし、何なら霊感があるとさえ申す友も居る。それならば、現時点での「在るかもしれない」を「在るモノである」とする手段も残されているはずだ。

 故に、不謹慎ながら、大変興味深いと思ってしまう。無論、失踪してしまった男児には気の毒であるが……。

 それにしても、だ。失踪推定時刻が所謂逢魔が時に重なるというのは、大変面白い話ではないか。問題は、男児ばかりがターゲットでは私にお鉢が回ってくることはないということだが……。

―――

―――

―――

 霊感はない、と断じたあの日から数日。

 連日、今回の連続男児失踪事件を追っている私はいつの間にか、誰かに「視られている」ような気がするようになったのだ。これは「在るかもしれない」何かを認識してしまったのだろうか。こうも顕著に顕れるとは。ただ奇怪なことに、「在るかもしれない」方向へと目を遣っても、誰も居ないのだ。否、それはそれでおかしい。別に人気のない路地を歩いているわけでもないのだ。これだけの雑踏、目が合わずとも誰かの身体を認識するはず。それなのに「誰も居ない」とはどういうことか。

―――

―――

―――

 一度。誰も在らず。

 二度。誰も在らず。

 三度。見つかった。

―――

―――

―――

 一度、頭痛が奔った。視界の隅を誰かが掠めるように通り過ぎたような気がする。

 二度、頭痛が奔った。輪郭のない誰かの姿を見つけたような気がする。

 三度、頭痛が奔った。「在るかもしれない」が「在るモノ」に揺らぐ。

―――

―――

―――

 交差点。交差路。交わる場所。入り乱れる場所。

 今日も直、逢魔が時を過る。

 光ったかと思えば溶けて、何も無いはずの場所から突然、輪郭が浮かび上がる。目を凝らせば凝らす程輪郭は溶け、世界が溶け、蜃気楼の向こうが透けて見え始める。いよいよ怪異らしくなってきたかと思えば、何故か一人の少年の姿が浮かび上がってくる。

 幼く見て中学生、大きく見ても大学生になるかならないかくらいの、一人の少年。それを見て私は、ただ、「美しい」。そう思った。耽美とでも表現すれば良いのだろうか。所謂美少年の類だ。着る服を変えるだけで美少女に早変わりする、妖の如き容姿。

 そもそも連続男児失踪事件と私の身に起きていることは関係ないのでは?そう思いかけてふと気付く。視界に居たはずの少年が消えていることに。そして、チョン、と服の袖を掴まれた。何故か金縛りに遭ったように動かなくなった肢体、唯一動く首だけを向けて、先程の少年だと確認する。

 少年は儚げに微笑む。それを見て何故か、背筋を冷たいモノが這い上がった。第六感が告げる、これが神隠しなのだと。なるほど道理で、このような美少年に魅入られてしまえば、幾何も生きぬ男児が抵抗できるはずもなく。

『私はどうだろうか。抗えるのだろうか、この「魔性」に』

 心の中で諦観と好奇心が綯い交ぜになりながら呟いた言葉。しかし何故か。

―――

―――

―――

 交差点で見かけた君はとても素敵だったね。

 情熱的で、常識に囚われず、好奇心旺盛に、僕のことを熱烈に視ようとしてくれた。

 そんな君を見たとき、恋に堕ちたんだ。

 穢れを知らない小さな子を慰み者にしていた僕が、恋をしたんだ。

 だから、僕は君が欲しいと。

 この手に抱きたいと、心から願った。

 手を伸ばせば届く距離。

 今この瞬間しかない、とっておきのチャンス。

 でも、君は逃げようとしちゃったね。

 僕から逃げようとしちゃったね。

 だから閉じ込めたんだ。

 悪い子には罰を与えなきゃいけないからね。

 大丈夫、罰のあとは、たくさんの飴でお迎えしてあげるから。

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―――

 心の中に直接、「彼」の言葉が入り込んでいった。それはどうして、そんなにも、切ないのだろうか。

 まるで小さな子どもの様。欲しいモノをただ欲しがる様。

 半端に歳を重ねた故の、歪んだ愛情表現。

 愛を知らず、愛を欲す。

 嗚呼、身体が動く。然してそれは逃げるためではなく。

 よく見れば少年の全身は小刻みに震えている。

 成そうと思えば成せるはずのこと、否、何度も成してきたはずなのに、それでもなお、震えている。

 手に入るとわかってなお、失うかもしれないという悲しみを抱いている?否、失うのだ。

 怪異と人間では寿命(そもそも怪異にあるかはわかりかねる)が違い過ぎる。

 人間とは不思議なモノで、居ないはずのモノでも「居るかもしれない」と思うと、本当にその姿を見てしまうかもしれないのだ。そして、在りもしない存在に怯え、それが人々の間を連鎖し、怪異が産まれる。

 人々の恐怖が、怪異を、神隠しを、起こすのだ。

 しかし、人々、否、人の定義とは?

 目の前の怪異、この少年の姿形は紛れもなく人の子のソレだ、

 そして、怪異である少年もまた、恐怖している。

 こうして怪異を体験してみて、まずもって怪異は「在るかもしれない存在」から「在る存在」へと書き換えられていく。その上で考察するならば、今回の事件は人々の恐怖なんぞではなく、怪異自身の恐怖に依って起こされたのではないだろうか。……それとも、この少年自体が、神隠しの最初の犠牲者、なのかもしれない。神隠しに遭った者が怪異となり、さらなる神隠しを呼ぶのであれば、誰かが止めねば延々と続いてしまう。

 少年は言った、「閉じ込めた」と。そんなこんなで、呑気に考察をし、気が付けばたくさんの檻、乱雑に散った玩具、小さな小さな玉座が一つ。壁はないはずだが、不思議とその先は輪郭が揺らぎ、視ることができない。

 なら私にできることは、この少年の震えを止めることのみである。

 少年が二度と、怪異を、神隠しを、起こさないように。

 心の隙間を、埋められさえすれば。

 不思議と、帰りたい、とは思わなかった。これも怪異の成せる業なのか、はたまた少年の色香かを判断する手段は失われてしまったが。

 帰りたいとも恐怖を抱くこともなく。

―――

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 何も言わない君に、そっと接吻をあげる。

 動かない肢体を優しく抱きしめて。

 そして、今日も一緒に眠ろう。ずっとずっと、眠ろう。

 僕と君の永遠。

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