第7話 ヤクモ

 黒い長髪、黒い服を着た女が道端に膝を抱え座っている。目からは涙、鼻、口からも液がこぼれ落ち、顔面濡れてぐちゃぐちゃな状態でどこかを見つめながら震えている。数日前に公園であった子を思い出す。

 駆動輪にタオルが敷かれた車が、バックし道路へと勢いよく戻る。溝にはまっていたようだ。運転しているのはあくびだった。

 

 あくびはエンジンをかけたまま車から降りこちらを見ると、

 「あんた、良いところに来た。その子、家に連れっててかくまってあげな。誰か来てもその子がいることしゃべっちゃ駄目だよ。あたしゃ、この車隠してくるから。」

 とマシンガンのように叫び、また車に乗ると半島の奥のほうへと走って行った。

 

 訳も分からず言われた通り女に声をかけ家のほうへ招く。女は時折、震えながら小さな声で「もう終わり」「どうしよう」などとよだれを垂らしながらつぶやいていた。女の首には、何かの動物の尻尾のような入れ墨が掘られていた。

 女を家にいれ、毛布を掛けてあげた。それでも女は泣き震えている。目が充血し視点が定まっていない。いったいどうしたのか聞こうとしたその時、女のほうから喋り始めた。

 「人、殺しちゃった。車で跳ねて。」

 身震いがした。

 「もう終わり。お願い。私も死ぬ。死なせて。」

 「そんな。まだ、跳ねた人生きてるかもしれない。戻りましょう。」

 「駄目。そんなことできない。薬やってる。だから。」

 薬?覚醒剤の事か。確かにずっと様子が変だ。

 「では、わたしが。」

 「駄目。もう手遅れなの。行ったってどうにもならない。」

 女は顔全体がいろいろな液でびちょびちょになっていた。震えも酷くなる。

 どうしてよいかわからなかった。わからず自分の持っていた薬を2粒ほど飲ませたが何も改善しなかった。

 

 しばらくの間そのままただひたすらあくびが帰ってくるのを待ち続けた。


 1時間以上したか。あくびが戻ってきた。帰ってすぐに女に元に近づき背中をさする。

 「あんた、ねずみ島にいたんかい。」

 「ええ。」

 「逃げたのかい?」

 「いいえ。違う。数日前に大火事で仕事がなくなって、本土に戻されたの。でも生きる術もなくて。」

 あくびは一瞬ティナのほうを見て、そのまま話し続けた。

 「あの車は?」

 「盗んだの。」

 「こっち戻ってきてからどうしてたんだい。」

 「ママにデリバリーを紹介されてそこで。でも一切声かからなくて。もう十数年前とは全然違う。私の居場所なんてどこにもない。」

 「あんた薬やってるね。」

 「もう、何もかもわからなくて、どうしていいかわからなくて、少しでも楽になりたくって。島で外人から秘密でもらったの。」

 「いいかい。ここでかくまってあげる。あんた悪くないよ。あんたをこんなにした国や男や時代が悪いのさ。いい、少し落ち着きな。」

 ティナはまた混乱した。だって人を殺している。かくまうなんて。

 「自首したほうが良いのではないですか・・」

 「何言ってんだい。そんなことしたら彼女ずっと務所で地獄の生活を味わうことになっちまう。もうさんざん地獄を見てんだよ。どうとも思わないのかい?」

 ものすごい剣幕で怒るあくびに返す言葉がみつからなかった。

 

 女は夜蜘蛛(ヤクモ)と名乗った。もちろん本名ではないだろう。

 あとのヤクモの面倒はあくびが見ると言い出し、気持ちの整理がつかないまま、また部屋へと一人閉じこもり薬を飲んだ。


 翌日部屋から出ると、珍しくあくびが朝早く起きていた。

 「いいかい。その子を絶対に外に出すんじゃないよ。誰か来ても、絶対に教えてはならない。数日の間出かけてくる。私が帰ってくるまで面倒見てあげな。わかったね。」

 私を見るなり挨拶もせず言ってきた。異常に怒っているようで、その矛先は私のように感じた。鋭い目で睨みつけられたため何も反論できなかった。


 ヤクモは少し落ち着いたようだ。でもずっと下を向き表情は暗かった。しばらくしっかりとした食事をしてこなかったのだろう。顔は痩せこけておりツヤもなく目下には薄黒いクマがある。元気であればとてもやさしそうな眼や、顔立ちからして美人さんだろう。最近勉強して覚えたスープを作り差し出してあげるとヤクモは優しく力のない声で「ありがとう」と言い、続けて「ごめんなさい。」と謝った。気になっていたことをヤクモに聞くと、小さな声で淡々と話し始めた。

 「私、騙されたの。彼に。

 18の時、その彼に出会って。とてもイケメンで、少しチャラかったけどとても優しそうな人に見えた。喫茶店で出会って、たまたま忘れ物をしちゃって、それを彼が教えてくれて。

 少し話したりして、電話番号交換なんかして、それからたまに会うようになった。別に恋人って感じじゃなくて軽い友達って感じで。

 何回目かのときに、急に『お金を貸してくれないか?』ってせがまれた。ギャンブルしてて当たりそうだからって。その時にすぐにおかしいなって気が付けばよかったんだけど、私、ずっと引っ込み思案で男性と話すこととかなかったから嬉しくってちょっと有頂天になってたんだと思う。その時は素直にお金を貸してあげた。

 それから、だんだんとエスカレートしてって、次第に金額も大きくなっていって。私も学生だったしお金なんてそんなになかったから困って。そんなある日、彼と2人でデートの約束したの。それで待ち合わせ場所に行くと、彼はいなくて一人の年配の女性が立っていたわ。それがママだった。私の顔を見るなり、『あんた、売られたからね』って告げられたの。なんのことだか全くわからなかった。あとなぜか私の名前で借金が500万くらいあるって。」

 「え、どうして?」

 「わからない。でも働いて返してもらうって。それでねずみ島に行ったわ。着いてやっと意味を悟ったけど信じたくなかった。そこから性奴隷として生きる人生が始まったの。」

 「ひどい。あんまりだわ。」

 「最初は、なんでこんなことになってしまったのだろうって、自分を責めて責めて毎日物陰に隠れて一人泣いてた。

 でも、私と同じように連れて来られたある人に出会って。私がずっと姉さんって慕ってた人。姉さんもいつの間にか借金背負わされてねずみ島で働くことになったみたい。姉さん、ここで頑張ればお金返せるし、生活もできる。男のお客様の気持ちになって頑張って接客すれば、私のこと名前を覚えてくれて、また指名してくれる。私が頑張ると、男の人が幸せになってくれるって言ってずっと笑顔で頑張ってた。最初なんでそんな笑顔で頑張れるのって思ったけど、私も開き直って頑張った。そうしたら数少ないけど数人のお客様が私の事を覚えてくれて、お土産持ってきてくれたり、指名してくれて。

 とても嬉しかった。私、昔から頭悪くて高校もバカ学校だったし、短大にも進学したけど何の目的もなかった。たぶん良い仕事になんて就けなかったし、人生何も変わらなかったと思う。

 根暗で人見知りで誰も私の事なんて相手してくれなかったし、今まで誰かに感謝されたことなんて一度もなかったけど、ここでは私を求めてくれる人がいて、それがとても幸せに感じたの。」

 「でも、だって、望んでもいない仕事なのでしょう?」

 「もちろん嫌だった。こんなこと自分から望む女なんて居ないって思う。体だって壊すし、時には、『気持ちいい事してお金もらえて幸せだね』『エロイ体だけで稼げるなんてうらやましいね』なんて言ってくる男だっている。悔しくて悔しくて。でも姉さんも言ってたけど、人ってみんなどこかを使って頑張る。頭を使うか、体を使うか。体も口や声を使うか、手を使うか、足を使うか、全身でダンスするか、それでお金を稼いで生きてる。私たちは体を使っているだけ。何も変な事じゃないって。」


 悲しく、切なく、息苦しい。何も見れなく目をつぶってしまう。

 「嫌だったけど幸せだったのかもしれない。でも、そんな唯一の居場所も、あの火事でなくなってしまって・・・。

 それからこっちに戻ってきて同じような仕事についたけど本当にびっくりした。こっちはアイドルみたいな子や有名大学に通っている女の子まで風俗で働いているの。私みたいなおばさん誰も相手してくれない。

 あの子達、私なんかと違って若いし頭良く計算高くて、整形までして、自分がどうすれば一番稼げるかわかっている。この世界にも格差ができるなんて思わなかった。」

 また罪悪感と言う刀で心臓を一突きされる。鋭い線の痛みを感じる。

 

 ヤクモの話だともちろんねずみ島から逃げ出そうとする女も良くいるらしい。しかし島の船頭や土産屋など全員がグルで逃げ出そうとするとすぐに通報され捕まるらしい。島全体が大きな牢屋なのだ。そして捕まると、きつい体罰に合うという。

 決死の覚悟で泳いで逃げようとしても近くにはサメが回遊していたり、本土まで10kmほど。体力が尽きるか食べられて本当に死んでしまう。

 行方不明になれば身内が心配しそうだが、1週間に1度、携帯電話を渡され、監視の元両親に電話するよう命じられる。こうすることで捜索願いが出されないようにしているらしい。

 本当に奴隷の如く過酷な労働を強いられるのかと言うと実はそうでもなく1週間に1日か2日休みは取れてる。見張りと一緒ではあるが本土に戻りショッピングしたり息抜きする時間も設けられているし、また病気などになった時も面倒を見てくれる。体調を崩した、月経を迎えたので、今日はお休みしたいと言えば快く許してもらえる。ここで働いている人達は全員がお互いの事情をそれとなく認識し合っているため助け合おうという意識がある。そのため一緒に働いている人たちは、皆、優しく良い人が多いらしい。もちろんその人の性格にもよるが。だから慣れると意外と居心地が良い環境だそうだ。

 もちろん、誰もが開き直り前向きかというとそうではなく、しょっちゅう自殺を試みる、自分の体を傷つける人も出る。そのためオーナーやママが常日頃から働いている女たちの様子に目を光らせ、様子がおかしいと思う子の話を積極的に聞き心のケアをする。ヤクモも数回それで宥められたとのことだ。


 何も言えなかった。あくびさんが必死でかくまう気持ちが少しわかった。

 できれば人生やり直せるからと励ましてあげたい。でも、覚せい剤をやったあげく車で人をはね逃げている。


 その日は、家に誰も訪れてくる者は居なかった。

 

 あくびは地図を見ていた。

 ティナの声から住所を知った。あの先を行ったところで間違えない。

 行くと、女性が一人、庭のお花に水をあげていた。チャイムで鳴らしても出て来なければ話にならなかった。都合が良い。急いで近づく。

 

 「急にごめんよ。あんたがミヤコさんかい?」

 ミヤコは振り返りあくびをみると、害虫でも見るかのような目つきで見た。

 「なに?あなた。私の知り合いに、あなたのような体格の人は居ないはずだけど。急に何の用かしら。」

 「なあ、あんた魔女なんだろ?」

 ミヤコは一瞬目を見開きかけたが、また害虫を見るかのような目に戻り、眉間に皺を寄せる。

 「はい?なんですって?なんか汚い服装で変な人とは思いましたが、頭もおかしいようね。ここは病院でも警察でもないの。そちらに行かれたどう?」

 「あたしさあ、風俗業やってた時に一度だけ魔女を見たことあるんだよ。本当にいるなんてさあ。

 大丈夫。誰にも言わないさ。一つだけお願いがあるんだよ。あたいも魔女にしてくれないかなあ。」

 汚い物を吹き飛ばすかのように、鼻からのため息を吐く。道端に吐き捨てられたゲロでも見るかのような目つきに変わる。

 「あなた、本当に病院かゴミ処理場にでも行かれたほうがいいんじゃないかしら。あまりの頭のおかしさに吐き気がするわ。

 もういいかしら?よろしければ警察でも呼んで差し上げますけど?」


 ミヤコは背を向け家の中に入ろうとした。

 「あたしさあ、昔、相手した男で仕事で魔女狩りやってるって奴がいたんだよ。

 ほら、何年も前に俳優のスカイアイが変死した事件があったろう。その客、それについていろいろ話しててさ。防犯カメラに見知らぬ女が映っててそれが魔女だって。

 その客なんかスマホで撮影して持ち出してはいろいろな人に自慢してるらしくって私にもいろいろ見せてくれたさ。最初はあたいも変人と思って流してたんだけど、そしたらちゃんと事務所もあって活動してるんだって言って、そいつ名刺まで渡してきてさ。

 そいつにあんたの事言っちゃまずいだろう?」

 ミヤコは少し震え立ち止まった。ミヤコはまた汚い物を見るかのような目で振り返る。その目は一瞬、白黒反転し眼球は昼間の猫のような形になっているように見えた。

 ミヤコはしばらくあくびを睨み、しかし何か視点は遠く何か考えているようだった。少しの間のあけミヤコは鼻で笑い出した。

 「で、あなたはその変態の居場所を今も知ってて、私を紹介するって言うの?

 あなた、本当に病院行ったほうが良いわ。私ね、あんたみたいな脳みそが90%以上腐っているような人でも直せる名医を知っているの。紹介してあげましょうか?」

 「あたしゃ、少し酔っぱらってるけど正気だよ。」

 「あなたのおうちの住所教えてくださる?明日にでも名医へかかるための紹介状送って差し上げますわ。あなたみたいな人がこの高級住宅街、いや世界にいるだけで害ですもの。絶対に治したほうが良いと思うの。」

 「な、な、なに言って・・」

 「あなたの望むものにもしてくれるかもよ。私が知る限り世界一の名医ですから。」

 ミヤコの目つきが変わっていることに気が付いた。険がとれているように見えた。

 

 あくびは自分の以前住んでいた住所を教えた。ミヤコはそれを見ると無言で家の中へと入って行った。


 あくびは数日ぶりに自分の家に帰った。

 もう入れないかと思った。部屋の中は数日前となんら変わりなかった。薄暗く、カビ臭く、ゴミが溢れ、コバエが躍るように飛んでいる。違うのは彼が居ないことだけ。

 

 あまっていた酒があり、飲み始める。

 エルティア人と思われる女の子があんなところで一人で住んでいる。金には全く困ってない。上品で間違えなく育ちも良い。それと、数日前のねずみ島の火事。魔女と思われる女。偶然とは思えない。

 ねずみ島で働いていた彼は帰って来ない。ヤクモのような不幸な人も生まれている。

 何か使命を感じていた。

 

 翌日、夕方、書留で書類が届いた。ミヤコからだった。

 中にはエルティアへの入国の切符、エルティア国内の観光ツアーのチケット、病院の場所が書かれた地図と行き方の説明が書かれたメモ、いくらかのお金が入っていた。明日の昼の船だった。

 奇妙に思いながら行く準備を始めた。


 あくびはその日は帰って来なかった。

 ティナは、翌日、ミヤコに会いに行こうと思っていた。ヤクモさんも落ち着いた様子で、本人も大丈夫と言っていたので短い時間ならとヤクモを一人残しミヤコの元へを向かった。

 

 昼過ぎに着いた。ミヤコはティナを見るや否や不機嫌そうに『超会話』で話しかけてきた。

 『ねえ、あんた、私のうちでブタさん飼ってるの?』

 その身震いがするほどの威圧感にすぐに悟り、小さな声で返した。

 『ぶ、ぶたさん。あくびさんの事ですか?』

 『昨日私に会いに来たわよ。ブタさん。』

 驚いた。そして、怒られることを覚悟し身構えた。

 『勝手に家畜なんて飼ってもらっちゃ困るんだけど。誰がいつそんな事許した?それで、あんたさあ、ブタさんに最近何かもらわなかった?それよこして。』

 確かに数日前に、住ませてもらっているお礼だと言われ、安っぽい懐中時計をもらった。ミヤコにそれを渡すと、ミヤコは少し見るなりそれをメルトで一瞬のうちに溶かした。

 「これ、盗聴器よ。あのデブ、あんた盗聴してたみたい。」

 「えっ」

 『それで私たちが魔女であることを感づいていたわ。不幸中の幸い、呪いは発動しなかったみたい。私たち生きている。』

 背筋が凍り付く。ミヤコも複雑な顔をしながら小さく息を吐いた。

 『気を付けてね。』

 『ご、ごめんなさい。それであくびさんは?』

 『病院へ行ったわ。最高の病院。あんなブタでもたちまち完治するわ。』

 

 ティナは、泰人が亡くなった場所に特に変わった人が居なかったことを伝えた。ミヤコはあまり興味なく「あ、そう」とだけ言った。ミヤコはこの日はお茶と煎餅を出してくれた。

 

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