第41話 それから

 二週間後、メロー島。

 海からの潮風が丘をあがり、屋敷の前庭に植えられた木々の葉をそよがせていた。


「いいお天気ですねぇ」


「ですわねぇ」


 ポミエとミルティーユは庭にテーブルを運び出し、二人でお茶をしている。サキュバス少女の膝上には猫が一匹、撫でられて気持ちよさそうにあくびをした。けれど二人は対照的にどこか物憂げな表情をしている。


「新しい領主様、そろそろ来ますかねぇ」


「…………」


 ミルティーユはカップを傾けながら港の方角を無言で見つめていた。



 メロー島の新領主に屋敷を譲渡することを決めたのは、新たに女王として即位したロランジュだ。

 彼女はこれから産まれる先王との子が成人するまで王位に就くことを宣言したが、それは評議会による決定だった。まだ年若い女王を支えるのは、ロホラン政権下で宮廷を追われたエゼル王派の重臣たちである。


 そのひとりであるライデンは、ロホランに剥奪された爵位を再び与えられ、近衛兵団の団長として復帰した。また、後任が決まるまでの間は国王直属騎士団の団長を兼任することになったという。

 以前まで国王直属騎士団団長の地位にあったゴーシュは、例の事件の当日に逮捕された。いまは監獄の中で裁判を待つ身である。

 ロホラン政権下で宰相だったキホルはどこかに行方をくらましたという。またノワについても同様で、治療を受けて意識が戻ると、人知れず姿を消したとのことだった。


(お嬢様は……)


「フレちゃん、元気にしてますかねぇ」


 二人はほとんど同時に、同じ人物に思いを馳せたようだった。

 そのフレーズは、事件前にロランジュにとある相談をしていた。それは自身が先王の子であるという事実を公表しないでほしいという要請だった。

『先王様もそう望んでると思うから』というフレーズの考えに、ロランジュは完全に同意したわけではない。けれど様々な政治的要因から、彼女は最終的にフレーズの申し出を受け入れることにしたのだった。

 そのかわりに、というわけでもないが、若き女王は事件後、フレーズにひとつの提案をした。それは次のようなものだったという。


『フレーズさん、王宮で一緒に暮らしませんか? わたし、これからもあなたに傍にいてほしいんです』


 ロランジュはフレーズに宮廷貴族として仕えてほしいと誘ったのだ。“自称”騎士にすぎないフレーズにとっては大変な名誉だったが、救国の英雄に対する恩賞としては妥当なものといえた。家臣たちにおいても反対する者はいなかったという。



「……ふふ、きっと元気ですわ。騎士になることはお嬢様の夢でしたから」


 ミルティーユは一週間前に行われた騎士叙任式の光景を思い出していた。ハーヴァー城内の聖堂で、フレーズはライデンによって剣を授けられたのだった。それは彼女が“自称”ではなく、王国に仕える騎士として正式に認められた瞬間だった。



「あっ、新しい領主様です!」


 ふいにポミエが椅子から立ち上がった。

 その直後、ミルティーユは椅子を倒し弾けるように駆けだしていた。屋敷へ向かう道の先、豆粒大の人影がだんだん大きくなっていき――


「お嬢様っ!」


 一週間ぶりに再会した最愛の主に、ミルティーユは有無を言わさず抱きついた。柔らかな胸の膨らみにフレーズの頭がすっぽりと埋まる。


「むぐっ……⁉ い、息が……」


「あぁっ! 申し訳ありません、つい興奮して……」


 ミルティーユが腕の力を弱めると、フレーズはなんとか柔肌の谷間から顔を出した。


「ぷはっ! お、溺れるかと思ったわ……」


 青い顔をするフレーズにポミエがニコニコしながら駆け寄った。


「お久しぶりです、新領主さん♪」


「ポミちゃん、その呼び方はやめてって……」


「では、メロー島領主フレーズ伯爵さま♪」


 フレーズは苦笑したが、本心はまんざらでもなかった。彼女は自ら望んで故郷に帰ることを申し出、その結果、不在だったメロー島の領主としての地位を与えられたのだった。


『私はまだ騎士団長なんて器じゃないですから。それに私、島が好きなんです』


 国王直属騎士団の団長への就任依頼を断ったとき、彼女はそう言ったのだった。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 たおやかな双腕がしっとりとフレーズを抱き包む。顔を上げたフレーズは、感極まった微笑を浮かべるミルティーユを見た。


「うん……。ただいま、ミルティーユ」


 今度は自分から、フレーズはミルティーユの胸に顔を埋めた。



「ったく、うらやましいぜ。ミルティーユさんのおっぱいを好き放題にしやがって」


 ふいに、どこからか男の声が聞こえた。ポミエとミルティーユは驚いてあたりを見回す。

 フレーズはやれやれと嘆息して、適当な方向に言葉を投げた。


「あら、いたの? てっきりまだ王都中の女のお尻を追いかけ回してるところかと思ったけど」


「二週間もありゃ十分だ。ま、結局はおまえの尻とミルティーユさんのおっぱいにかなう女はいなかったがな」


 茂みの中から姿を現しながら、無一はからからと笑った。


「むむむ無一さぁ~ん! うわーーん、会いたかったですぅーーーーっ‼」


「おいおいポミ公、泣くなって。あと恥ずかしいから人前で抱きつくな。そんで腰を振るな」


「ぐすっ……だって、だってぇ……っ」


 ポミエは大粒の涙をあふれさせながら、同時に発情したように腰を前後にくねらせている。

 その姿に少し苦笑したあと、ミルティーユは言った。


「無一様、再びお会いできてうれしいですわ。貴方にはまだ、ちゃんとしたお礼もできていませんでしたから」


「そうね……。まぁ、『俺は当分ずらかるぜ。これ以上ゴタゴタに巻き込まれたくねえからな』とか言って勝手にどこかに行ったやつが悪いんだけど」


 フレーズはちょっぴり憎まれ口を叩いたが、それは見え透いた照れ隠しだった。


「でもまぁ、私も会えてうれしいわ。お帰りなさい、無一」


「ああ……」


 しばし、二人は無言で見つめあう。

 それで終われば美しい場面といえたかもしれない。

 だが、無一は美的感覚よりもおのれの欲望を優先する男だった。


「ところで、例の約束を忘れちゃいねえだろうな?」


「? なんのこと?」


「とぼけんじゃねーよ。素っ裸で背中を流してもらう話だ」


「……あ」


 フレーズの顔が見る間に赤くなる。実のところ彼女はすっかり約束を忘れていた。


「おいおい頼むぜ? まぁ、正義の女騎士サマが約束を破るなんてことはないと思うが」


「と、当然でしょ! ……けど、そんなに見たいの?」


「見たいに決まってんだろ。なんのためにおまえの帰りに合わせて海を渡ったと思ってんだ?」


「くっ……このヘンタイ」


「ははっ、『ノーパン女騎士』のおまえに言われたかねーや」


「あ……あれは不可抗力だっての! あと、そのあだ名は禁止って言ったでしょ!」


 フレーズは泣きそうになりながらわめき散らした。

 ちなみに『ノーパン女騎士』とは、あの壮絶な戦いのあとほどなくして流行したあだ名であり、フレーズはその後も多くの人々から(陰で)そう呼ばれて親しまれることとなる。


「あ、そういや今日はどんなパンツ穿いてんだ? 脱ぐ前にひとつ教えてくんねーか?」


「誰が教えるかっ!」


「へへ、いいじゃねえかパンツくらい。どうせ後で素っ裸を見られるんだからさー」


「うぐぐ……」


「では、わたくしはお風呂の準備をしてまいりますね♪」


「ちょっ、待ってよミルティーユ! まだ心の準備がぁ~っ!」


 すがりつくフレーズを引きずりながらミルティーユは去って行った。

 その後ろ姿を見送ったポミエは、うれしそうに無一の顔を見て言った。


「むふふ、エッチな展開になってきましたね♡」

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