第40話 決着

「フレーズ、勝て!」

「フレちゃん、やっちゃってください!」


 叫んだのは無一とポミエだった。二人は何度も彼女の名を呼び、声援を送った。

 広場に集った人々は互いに顔を見合わせた。それから視線を城壁の上に向け、次代の王となるはずだった男と死闘を繰り広げている少女を見た。彼らはすでに、フレーズがロランジュ殺しの大罪人ではなく、反対に彼女を救った英雄であることを聞き知っている。そしていま、彼らのうちの多くが、その英雄に冤罪を着せて殺そうとしたのが他ならぬロホラン一派であることに思い至った。


「フレーズ! フレーズ!」


 群衆の中からフレーズ・コールが巻き起こった。それはしかし、まだ群衆全体のうちの一部で生じた現象にすぎない。ロホランの威光はいまだ多くの人々をためらわせていた。


「ロホラン! ロホラン!」


 負けじと国王直属騎士団からロホラン・コールがあがる。彼らの主はいまだ健在なため、騎士たちには一切のためらいがなかった。城壁の上、ロホランの口元に笑みが浮かぶ。

 狂騒じみた大声援が、剣戟の音はおろか他方の声援を打ち消すかに思えた、そのとき。

 ロホランのはるか後方、城壁の上に一人の少女が現れたのを多くの者が目にした。


「フレーズさん、がんばって!」


 張り裂けんばかりの大声で叫んだのは、ロランジュだった。


「フレーズ殿、あとひと息ですぞ!」


 次いで城壁にのぼったライデンの声が遅れて響く。その声が引き金となった。


「フレーズ‼ フレーズ‼ フレーズ‼ フレーズ‼」


 消えかかった火に油を注いだように、フレーズ・コールは一気に百倍にも膨れあがった。群衆はもうためらいはしなかった。彼らの心は、先王の妃であり次代の女王となる少女のそれとひとつになっていた。

 やがて群衆のボルテージは最高潮に達し、声援は大地を揺るがすほどだった。いまやフレーズ・コールが圧倒的に優勢であり、ロホラン・コールはほとんどかき消されている。

 城壁の上のフレーズには、その声援は聞こえていない。目の前の相手との戦いに意識を極度に集中させていたからだ。

 だが、対するロホランは気づいていた。その声援により力を得たかのように、彼女の剣の勢いが自身のそれを上回りはじめたことを。


(あぁ、そうか……)


 ふいにロホランは悟った。自分が疲れきっていることを。ロランジュとライデンにより退路はすでに断たれていることを。もはや目の前の少女を殺しても意味のないことを。そして……。


 ついに、フレーズの剣がロホランの剣を高々と宙に弾きあげた。持ち主の手を離れた剣は城壁の縁を越え、空堀の底に落下して鈍い金属音を響かせた。

 城内のすべての音が鳴り止んだ。



「見事だ」


 剣の切っ先を突きつけられると、ロホランは素直に両手をあげた。


「ひとつ教えてくれ。おまえはたしかに瀕死だった。それなのになぜ諦めなかった? ここで俺を逃がしてもおまえの責ではないだろうに」


「……アンタを止めなきゃいけないって思ったからよ。たとえパンツを脱いでもね」


 ロホランは疲れた顔に笑みを浮かべた。最後の一言の意味はよくわからなかったが。


「フフ、そうか。信念の差か……」


 その差が勝敗を決したのだった。フレーズはおのれの正しさを一貫して信じていた。だから最後まで諦めなかった。一方のロホランは、能力的には可能だったにもかかわらず最後までフレーズを殺すことができなかった。罪を重ねる姿を民に見られることに抵抗があったからだ。結局、彼はおのれの正しさを最後まで信じ切ることができなかったのだった。

 突然、ロホランは声をあげて笑いはじめた。


「ハハハ! エゼルよ、おまえの勝ちだ! いい妻と子を持ったな」


 彼を挟んで前後にいるフレーズとロランジュはびくりとした。もっともロランジュはやや離れた位置でライデンに守られており、いまや丸腰となったロホランを恐れる理由はなかったのだが。


「だが、俺は貴様らに断罪させはせん! 俺の罪は俺が裁く!」


「え……まさか――」


 フレーズが気づいたときには、ロホランはすでに城壁の外に身を投げていた。



「みなさん!」


 沈鬱な静寂をロランジュの声が切り裂いた。喪心していたフレーズは我に返って彼女を見た。


「ロホラン様は身を投げられました。王位簒奪を企てたことをお認めになり、自らその罪をお裁きになったのです!」


 かすかなどよめきが起こる。ゴーシュをはじめ国王直属騎士団所属の騎士たちは信じられない様子だったが、群衆の大半はいま聞いたことを信じた。十四歳の若き女王が、いま初めて臣民に語りかけているのだ。


「もはや憂慮すべきことはありません。争いは終わりました。彼女が終わらせてくれたのです。勇敢なる女騎士――フレーズさんが」


 どっと歓声が湧いた。広場にいたすべての群衆がフレーズに歓呼を届けた。


「フレーズ! フレーズ! フレーズ!」


「い、いや……。ていうか、私まだ騎士じゃないし……」


 フレーズは困惑した。短い間にいろいろな感情が慌ただしく入りまじり、どう反応すればいいのかわからない。

 と、そのとき。誰かの手に肩を優しく叩かれ、フレーズは振り向いた。


「勝ったんだろ、シケた面してねえで笑えって」


 彼女に笑顔を向けていたのは、無一だった。


「……ふふっ、そうね。そうよね」


 フレーズはとびきりの笑顔を咲かせた。それから無一に肩を寄せ、疲れた身体を彼に預けたのだった。

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