第39話 覚悟

 激しく息を切らしながらフレーズは城壁の上にたどりついた。

 視界の先にはロホランの背中が見える。どこかへ逃げようというのか、宿敵の背中はゆっくりと遠ざかっていく。


「はぁっ、はぁっ……逃がさないわよ!」


 フレーズの言葉にロホランは立ち止まった。振り返った顔は面白くもなさそうな表情をしている。


「ここは俺の城だ。抜け道などいくらでもある」


「……ッ」


「それにおまえは相当疲れているようだが」


「お、大きなお世話よ!」


 フレーズは剣を構えた。眼前の相手に奪われ、無一が取り戻してくれた愛剣の柄を両手でしっかりと握りしめる。


「この俺にまだ剣を向けるか」


「アンタの罪は償ってもらうわ」


「殺す覚悟はあるのか、と聞いているのだ!」


 雷喝しながらロホランは剣を抜いた。思わずフレーズはすくみあがる。

 フレーズは目線を落とし、城壁の内側に位置する広場に目を向けた。群衆と兵たちが固唾をのんで城壁の上の二人を見上げている。

 もう一方、城壁の外側には深い堀が口を開けている。水の張られていない空堀だ。芝生に覆われた城内広場の地面とは違い、落下すればほぼ間違いなく命を落とすだろう。


「……もういいでしょう? おとなしく捕まれば――」


「そうすれば、俺の首は断頭台行きだ」


「…………!」


 フレーズは言葉を失った。ロホランの言うことはおそらく正しい。ここで彼がおとなしく投降すれば、おのれの罪を認めることになる。王を殺し、王位簒奪を企てた罪は、当然ながら死罪にあたるだろう。

この状況で「おとなしく捕まれ」と勧告することは「死ね」と命じることと同義なのだ。


「その程度の覚悟か!」


 いきなりロホランはフレーズの眼前に迫った。獲物を仕留める蛇か猛禽のような素早さだ。とっさに防いだフレーズは、剣を持つ腕の痺れに顔をしかめた。


「くッ……!」


「いい機会だ。この俺に剣を向けた者の末路を見せてやろう!」


 眼下の群衆に向かってロホランは言った。

 それから群衆が見たものは、戦いというよりは一方的ななぶり殺しだった。小鳥が大鷲に襲われるようなものだ。かろうじて二度、刃を交えたフレーズだったが、剣圧におされよろけた隙に蹴りを入れられ、大きく後方に吹っ飛ばされる。


 仰向けに倒れたフレーズは数秒のあいだ動くこともできなかった。ようやく剣を杖にして起き上がったあとも、膝が笑ってうまく立つことができない。

 処刑台の下からその様子を見ていた無一は、思わず言葉を失っていた。手首を縛られて地面に転がされたゴーシュが嘲笑する。


「フン、当然だ。あの御方の国軍総司令官の地位は実力で勝ち取られたもの。ロホラン様こそ、我が国最強の騎士にして戦士のひとり!」


 だが、少女をいたぶるロホランの姿に騎士道精神を感じることは難しかった。フレーズが支えにしていた剣を足で蹴飛ばし、慌てて拾おうとする背中を何度も思い切り踏みつける。


「あ、ぐぅ……ッ‼」


 フレーズは痛みに身もだえる。しかしなんとか剣を拾い、這いつくばるようにして敵から遠ざかった。背後から歩み寄る足音が聞こえ、よろけながらも死ぬ気で立ちあがる。

 なんとかロホランの方に向き直ったが、すでに意識は朦朧もうろうとしつつあった。

 このままではやられる――そう思ったとき、足下から声が響いた。



「フレちゃん、パンツを脱いでください!」



 フレーズは疲れて閉じかけていた目を大きく見開いた。

 思わず声の主――城壁の真下にいたポミエに視線を落とす。


「は……はぁ⁉ こんな時になに言って――」


「魔力切れです! 魔力を吸い尽くした『勝負パンツ』が、ちょっと力を入れるたびに体力を奪ってる状態なんです!」


 フレーズはハッとした。ポミエの言うことには思い当たる節がある。そして体力が奪われているという話が本当なら、いまの自分は実力で劣るロホランにハンデを抱えたまま戦っていることになる。このままでは万に一つも勝てるはずがない。しかし……。


「でも、こんな時にパンツ脱ぐなんて……」


 ふいに強い風が吹き、フレーズは慌ててスカートを押さえた。直後にあらぬ想像が脳裏に浮かび、顔が赤くなる。

 もし、パンツを脱いだ状態でいまのような風が吹いたら……。


「その程度の覚悟で、俺に刃を向けたとはな」


 気づけばロホランは再びフレーズに肉薄していた。片手でスカートを押さえていたこともあり、フレーズはもう片方の手をひねられただけで剣を取り落としてしまう。

 ロホランは失望したように深々と嘆息した。


「この国も覚悟を失っていた。血統が正しいだけの腰抜けが王位に就いたその日からな。五王国の均衡も崩れかけ、蛮族どもはたびたび国土を侵そうとしているというのに」


「なに言って――ぐっ……⁉」


 反撃しようとした手を押さえられたばかりか、反対にフレーズは首を絞められた。巨漢は片手だけで細い首をつかみ、少女の身体を軽々と持ちあげる。


「俺には覚悟がある。簒奪者と罵られようが、王殺しの罪を背負おうが、この国を強くし、外敵の脅威から守るという鋼の意志がある」


「この国は……アンタのものになんかならないッ!」


 フレーズは首を絞める手を外そうと試みたが、両手を使ってもわずかに息をする隙間を開けるので精一杯だった。ロホランはニヤリと端笑する。


「力ずくで奪うさ。誰が俺を止められる? 少なくとも敵を殺す覚悟のないおまえには不可能だ!」


「く、うぅっ……!」


 もがきながらフレーズは思った。ロホランの言うことはただのハッタリではない。彼を支持する勢力は宮廷の外にも多数存在していると聞く。ここで逃亡を許せば、後に反乱を起こされかねない。ロホランはいまここで止めるしかないのだ。しかし、どうすれば……。


「そろそろ楽にしてやる」


 冷たい風を感じ、フレーズは足下を見た。ぞくりと背筋が凍る。いままで踏みしめていた城壁の足場は見えず、視線のはるか先では深い空堀が口を開けている。首を掴んだロホランが、彼女を城壁から落とそうとしているのだ。


(敵を殺す覚悟、か……)


 結局、フレーズにはそんな覚悟は持てなかった。だから自分はロホランに勝てないのだろうか。


(そんなもの……クソ食らえよ‼)


 フレーズは渾身の力を込めて頭を振った。細い顎がロホランの手から下へすり抜ける。そうして口の前に来た相手の親指と人差し指の間に、フレーズは思い切り噛みついた。


「ぐぉおっ⁉」


 顔をしかめたロホランが思わず手を放す。あわや城外に落下するかと思われたフレーズは、城壁の縁を片手でつかんで生きながらえた。


「フン、だが長くは保つまい」


 ロホランはあえてとどめを刺さず、眼前に伸びる武者走りを歩みはじめた。もともといまは小娘の相手をしている場合ではなく、この場を脱して体勢を立て直すことが肝心なのだ。もっとも、もしも相手が自分と同等の覚悟の持ち主であったなら、死ぬまで相手をしてやるのもやぶさかではなかったのだが……。

 そのとき、にわかに群衆が騒然とした。ロホランは眼下を一瞥する。

 広場にいた者のすべてが唖然とした表情でフレーズを見上げていた。

ポミエもそのうちの一人だった。ポカンと口を開けた彼女の顔に、上空から薄桃色の布がふんわりと落ちてきた。

 それはフレーズが脱ぎ捨てた『勝負パンツ』だった。


 同時にフレーズは駆けだしていた。『勝負パンツ』を脱いだからか身体が軽い。風を切ってぐんぐんと加速し、ロホランが振り向く寸前に城壁の地面を蹴って大きく跳躍し――


「逃げるなぁぁああああああッ‼」


 宙を舞って放たれたフレーズの跳び蹴りは、ロホランの後頭部に突き刺さった。


「がはぁッ⁉」


 さすがのロホランも痛苦の叫びをあげ、巨体が地に沈む。

 だが、その衝撃的な光景にあたりが静まりかえったのは一瞬。


「無駄な……あがきをするなぁあああああああああああッ‼」


 とうとうロホランは激怒した。鬼の形相でフレーズに飛びかかると、三度四度とたてつづけに太刀を浴びせる。平素は冷静な彼だが、頭を蹴られるという侮辱には耐えられなかった。無理もない。蹴った張本人がいなければ、その頭にはいまごろ冠を戴いていたはずだったのだから。


 そのロホランの猛攻をフレーズは必死に凌いで言った。


「無駄じゃない! 私はここでアンタを止める!」


「無駄だ! 殺す覚悟がない限りこの俺は止められん!」


「勝手に決めるなッ! 私はアンタなんかに負けない……みんなが私をここまで連れてきてくれたんだから‼」


 瞳に涙がにじむ。剣を持つ手は痺れを通り越して感覚がほとんどない。刃を交えるたびにいまにも剣を手放してしまいそうだ。

 けれど、決して放しはしない。フレーズはしっかりと剣を握りしめる。恩師フレッドから受け継ぎ、一度は敵の手に渡ったものの、無一が取り戻してくれた剣を。

 その二人ばかりではない。ミルティーユやポミエ、ライデンにロランジュ、そして先王エゼル……皆の思いが彼女の剣に託されている。


(負けるわけにはいかない……みんなのためにも!)

 その思いは彼女にとって、敵を殺す覚悟よりもはるかに強力なものだった。


「やぁああああああああああああああああああああああああああっ!」


 大声で気合いを発し、フレーズは剣を振りかぶった。

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