第38話 メイドと刺客

 城壁に上ったロホランを追い、フレーズは階段を上ろうとしている。

 そのフレーズの命を狙うノワは、両手に鋭利なナイフを持って標的に近づこうと試みていた。


 だが、ままならない。ノワが駆け出そうとするたび、ミルティーユが先回りして間に入るからだ。左右に素早く身を振っても影のようにつきまとい、投擲用のナイフはパラソルでことごとく弾かれる。ノワは舌打ちをして、いまやドレスを脱いでメイドの正装に戻ったミルティーユを睨んだ。


「まずおまえを殺すしかないようだな」


「やっとお気づきになりましたのね」


 互いに武器を構え、間合いを計る。周囲にいた群衆はいつしか円状に距離を取って二人の戦いを見守っていた。さながら闘技場だが、放たれたのは二匹の猛獣。どちらかが相手の喉笛を噛みちぎるまで、決着はつきそうにない。


「なぜあの娘を守る?」


「愛しているからです」


「……くだらん」


 仕掛けたのはノワだった。左で首を刈りにいくと見せ、防がれると同時に右の刃を繰り出す。心臓を狙った攻撃をミルティーユは横っ跳びに回避した。着地しながら仕込み刀を抜き、鞘であるパラソル本体と二刀の構えをとる。

 なんだそのオモチャは――とノワは心の中であざ笑った。敵の首を刈り、心臓をえぐり取るために磨かれてきた自身の得物とは比べるべくもない。


「情愛は弱さだ。戦いの道具である我々が最初に捨てるべき無駄だ」


「わたくしはお嬢様を守るメイド。道具ではありません」


「だからおまえは弱いのだ!」


 再びノワが駆ける。極端に体勢を低くして相手の視界から消え、懐に飛び込みざま斬撃を見舞う。

 長身のメイドが防ぎ、痩身の影が攻める。左、右、足払いから胸への刺突。あらゆる角度と方向の閃光がひらめく。


 そのすべてをミルティーユは紙一重でかわし、あるいは自身の武器で受け止めている。遠目には一歩も譲らないように見えたかもしれない。だが、彼女の黒いメイド服は着実に傷を増やし、ところどころ白い素肌をさらしていた。

 一方のノワはいまだ無傷。激しく刃を交えながら、なお喋る余裕があった。


「私は戦いの道具として己を磨き続けてきた。使命から逃げ一族を抜けたおまえとは違う。おまえが無駄にした十五年のあいだ、修行と実戦により研ぎ澄まされつづけた一本の刃。それが私だ」


「お嬢様との生活は無駄などではありません!」


「いいや無駄だ! その無駄にデカい乳と尻がその証拠。ブクブクと豚のように肥え太って、恥ずかしいとは思わないのか? おまえの乳は無駄の極みだ!」


 おや、とミルティーユは違和感を覚えた。そういえば、先ほどから胸への攻撃が多いように感じる。心臓を狙われているものと思っていたが、ひょっとすると……。


「……わたくしの胸に嫉妬していますの?」


「断じて違うッ‼」


 怒鳴り声がひときわ高らかに響いた。群衆のざわめきが一瞬止む。

 ミルティーユはノワの態度に動揺を見いだし、ここがつけいる隙だと判断した。


「うふふ、お可哀想に。成長期に鍛えすぎたせいで胸に栄養がいかなかったんですのね」


「乳など無用だと言っているだろう‼」


 ミルティーユの誤算は、怒りがノワの刃をかえって冴えさせたことだった。

 予想を超える速度で刃が振り抜かれ、とっさに仰け反って避けたものの尖端が胸の先をかすめた。服の胸元が裂け、レースの下着に包まれた巨大な乳房が躍り出る。


「そら見ろ。無駄にでかい乳房があだとなったな」


 したり顔のノワに、ミルティーユはあえて笑みを作って返す。


「服が切れただけですわ」


「フン、無駄に派手な下着を」


「それほどでもないと思いますけど」


「胸なんかサラシでも巻いておけばいい」


「ですが、揺れると痛くありませんか?」


 ミルティーユにはあおった自覚はなかったが、その一言がノワの神経に触れた。


「やはり乳など無駄の極み! 殺したあとでもぎ取ってやる!」


「貴女、意外とわかりやすいですわね……」


「うるさい死ね!」


 再び激しい刃の応酬が始まる。ノワの攻撃は熾烈さを増すばかりだが、ミルティーユはむしろ先ほどよりも冷静だった。相手の矛先が自分ひとりに向いていて、かつ防ぐだけでよいのなら、それほど難しいことではない。

 そう思った矢先のことだった。


 ぐらり。


 視界が揺らぎ、ミルティーユは思わず頭を押さえた。全身の関節と脳を、ハンマーで殴られたような痛みが貫く。身体がバラバラになるような感覚に襲われ、膝が震えた。


「熊をも殺す毒なんだがな。耐毒性の強化は真面目に続けてきたというわけか」


 ミルティーユは自分の胸元を見る。白い膨らみの先の方に赤い線がわずかに刻まれ、血がにじんでいた。

 長身のメイドの身体が、芝生の上に仰向けに倒れる。すかさず浅黒い肌の女が馬乗りになり、右手の刃を高く掲げた。


「もう動けまいが、これでとどめだ」


 刃が心臓へ垂直に振り下ろされ、赤い血が弾けた。



「――それを、待っていましたわ」


「なに……?」


 ノワは驚愕する。心臓に突き立てたと思ったナイフはその実、わずかに胸に届いていなかった。ミルティーユの両手が、刃とそれを持つノワの右手首を掴んで止めていたのだ。


「うふふ。最後は胸を狙うと思いましたわ」


 手首に激痛が走った直後、ノワは奪われたナイフで脇腹に浅く傷をつけられていた。さらに、左手のナイフも弾き飛ばされる。


「お、おのれ……!」


 ノワが奪い返そうとしたナイフを、ミルティーユは遠くへ投げ捨てる。ならばとノワは両手で相手の首を絞めようとした。馬乗りになっている彼女からミルティーユが逃れるすべはない。

 ミルティーユは逃げなかった。

 そのかわりに、彼女は上体を起こしてノワを抱きしめた。ノワの両手は狙いを外れ、ミルティーユの首の後ろで交差した。


「は、放せ……!」


「放しません!」


 ノワは必死にもがいてミルティーユの腕から逃れようとする。が、逃れられない。ミルティーユは両脚をもノワの腰に絡め、全身で密着していた。それはまるで、照れて嫌がる子供を母親が無理やり抱きしめているようにも見えた。


 首を絞めようにも両手に力が入らない。それはノワの体勢によるものでもあり、また彼女の身体にも毒が回ってきたことを示すものでもある。だからこそ、同じ毒を先に受けたはずの相手のタフさが不可解だった。


「なぜ……これほどの力が出せる? 毒が回っているはずなのに……」


「お嬢様と過ごした日々が、わたくしをここまで強くしてくれたのですわ……」


「意味が、わからん……」


 ノワは浅い呼吸を繰り返している。その顔を、ミルティーユは自分の胸の谷間に埋めた。


「や……めろ……! 乳を、押しつけるな……」


「もがくから苦しいのです。心地よさに身をゆだねて……」


「…………」


 ぼんやりした頭でノワはもがくのをやめた。深い谷間に鼻を潜らせると、甘い香りと共に息苦しさが和らぐ。暖かな雲に包まれたようで、たしかに心地いい。


「眠りましょう……。貴女は毒を受け、そのうえ疲れてきっているのですから……」


「だが……使命を果たす前に休むことなど、道具には許されない……」


「わたくしが許します……。どうか報いを与えさせてください。貧しい一族を救うた

め、自らを犠牲にして戦い続けた、貴女の愛に……」


「……違う……。そんなものでは……」


 ノワはそう言ったが、もう言葉は返ってこなかった。自分を抱きしめていた腕の力も、いまは少しも感じられない。

 その両腕から逃れたノワは、自分の下で気を失った女の首に両手をかけた。だが、それ以上は力が入らない。体重をかければ絞め殺せそうな気もしたが、なぜか気が進まなかった。なぜか……。

 視界が白くかすんでいく。震える足でノワは立ち上がった。そして、最後の力を振り絞って叫んだ。


「この女に解毒剤を‼ 誰でもいい、急げ‼」


 その声が城壁にこだまして、周りで見ていた群衆に届いた気配を感じた。ノワは満足したように微笑んで、ミルティーユの上に重なるようにくずおれた。

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