第30話 フレーズ騎士団、始動
真夜中にフレーズは目を開けた。ベッドの上で天井を見上げる。さっきから眠ろうとしているのに、少しも眠れない。
小屋の中には安らかな寝息が響いている。顔を横に向けると、すぐ隣ですやすやと眠るポミエの寝顔が見える。同じベッドに寝ている彼女の他には、隣のベッドでミルティーユが寝ているはずだ。
フレーズは静かに上体を起こし、溜息をもらした。
昼までいくつかの疑問について推論を交わした、そのあとの夕方のことだった。山を挟んで隣の村の農民が急に小屋を訪ねてきた。王都から遣いが来て、ロランジュ王妃を殺害した疑いのある若い娘とその仲間の男を探しているという。
その後、四人は夕食時に協議をした。その結果、追跡を逃れるために翌朝隣国に向けて発とうという話になった。その晩の夕食を、フレーズはあまり食べられなかった。
フレーズはポミエを起こさないよう、音を立てずにベッドからおりた。
水でも飲もうかと、洗い場に行ってくみ置きのタライの水を見る。窓からの月光に照らされた水面に、浮かない顔が映っていた。
(本当に、これでよかったの……?)
心の中でつぶやく。けれど、考えてもわからなかった。
誰かに会って話がしたいと思った。フレーズは足音を忍ばせ、小屋の外へ出た。
星の明るい夜だった。宝箱をひっくり返したような、という陳腐なたとえが、夜空を見あげる無一の頭に浮かんだ。
隠れ家の小屋から伸びるゆるやかな下り坂の道を、少し行ったところに切り株がある。無一はその切り株に座って不寝番をしている。
もし夕方に会った農民たちが、あのあと即座に村役場に駆け込んだとしても。王都から追補の兵が来るのは早くても明日の朝になるだろう。が、万が一ということもある。そこで、ミルティーユと交代で朝まで小屋への道を見張ることになったのだった。
ふいに、背後で草を踏む足音がした。しかし無一は振り向かず、切り株から立ちあがると、その短い幹を背もたれにして草地に腰をおろした。
「ま、座れよ」
「ありがとう」
無一の背後にいたフレーズは、さっきまで彼が座っていた切り株に腰をおろした。少女と盗賊が、互いに背を合わせて座る形になる。
「悩んでるのか」
「うん……。みんなの安全のためには、できるだけ遠くに逃げるのが一番だってことはわかってる。けど……」
無一は黙ったまま続く言葉を待つ。
「それでもやっぱり、ロホランをあのままのさばらせたら駄目だって思うの。彼が王位についたら、きっとこの国は大変なことになる。だから……」
「ヤツの野望を阻止したいってか。さすがは『正義の騎士』様だ」
少しだけからかうような響きがあった。
「……わかってるわよ。自分でも子供っぽい正義感だって思うわ。大体、ロホランの戴冠を阻止したところで、そのあとどうすればいいかもわからないし」
フレーズはやるせなく嘆息する。
「それに、正義の騎士ごっこにしては危険すぎる。この問題は、もうとっくに遊びじゃ済まないところまで来ちゃったの。私の気持ちがどうであれ、これ以上はみんなを巻き込めないわ……」
悲しげにうつむいたフレーズに、無一はたずねた。
「巻き込まれたくないって、みんなに言われたのか?」
「それは……」
言葉に詰まるフレーズと背を合わせたまま、無一は立ち上がった。
「いいんじゃねえか、子供の遊びでも。そういうの俺は好きだぜ? いまになって思うが、子供じみた夢を自信満々に語ってた頃のおまえは本当にいい顔してた」
「あ、あの頃は現実が見えてなかったっていうか……」
顔を赤らめた少女にとっては意外なことに、盗賊はしみじみとした声を漏らした。
「だとしても、うらやましいんだ。俺はあんな顔したことなかったからなぁ」
「……アンタにはなかったの? その、子供の頃の夢とか」
そういえば、この男の過去について聞いたことがなかった。そのことをフレーズは思い出した。
「……言ってもわからねえだろうが、俺は『忍び』ってのを生業にする一族の生まれでね。物心つく頃には主君の道具になるように叩き込まれてた。で、実際に忠実な道具になった。二十歳を少し過ぎるくらいまではな」
「そのあとは?」
「妹が一人いたんだ。おまえと同じくらいの年で、美人だった。だが、不治の病におかされてな。治すには目玉が飛び出るほど高価な薬が必要だって、医者に言われたよ」
「そんな……」
「大金が必要だった。それで主君に申し出たんだ。そうしたら、ある重大な任務を命じられた。まずは忠義を示せ、金はそのあと用立ててやるってな」
いつしか取り出していた煙管で無一は一服した。中身は入っていないが、気持ちを落ち着けるための時間が必要だった。
「難しい任務だったが、死ぬ気でやり遂げたよ。だが、その間に妹は病気で死んじまってた」
「そう、だったの……」
かける言葉が見つからず、フレーズは悲しげに目を伏せた。
一方の無一は、どこか開き直ったように声のトーンを明るくした。
「それから忠義だの使命だのが馬鹿馬鹿しくなってなぁ。逆にお
「…………」
「だから、つまんなくなって国を出たんだ。海を渡れば、空っぽの心を満たしてくれるような、でっかいお宝が見つかるかもしれねえって期待してな」
「……そのお宝は見つかった?」
「いーや、相変わらずだ。だけどな」
そこで初めて、無一は首を傾けて背後のフレーズを見た。
「ときどき、おまえの瞳にすげぇお宝が映ってるのが見えるんだ。俺みたいなチンケな
「……」
「だが、その宝は見てるだけでも楽しいんだ。俺のものになんなくてもいい、むしろおまえ自身に持っていてほしい。どんなことがあってもなくさないでほしい。そのためなら、俺の命を賭けたっていい」
「無一……」
「いいじゃねえか、子供の遊びだって。忠義とか大義とか使命とか、そんなご大層なものよりも、俺は子供の遊びにこそ命を賭けたいね。だって、その方が楽しいじゃねえか」
そう言うと無一は夜空に向かって両手を広げた。まるでそこにある無数の星を盗もうとするかのように。その様子はいくぶん芝居じみすぎていたので、フレーズは小さく笑った。
「……だが、子供が遊びで怪我しないように守ってやるのが、大人の役割ってもんかもしれねえな」
無一はそう言うと、腕組みをして腰をおろした。言いたいことは言い終えた、というかのようだった。
「無一」
「ん?」
フレーズは切り株から立ち上がり、無一の隣に座って言った。
「お願い、手伝って。……私を助けて」
その瞳は星々にも負けない決意の輝きに満ちている。
「いくらだ?」
「え?」
「俺は大泥棒だぜ? タダってわけにはいかねえなぁ」
「う……お、お金が欲しいの?」
「金なんかいらねえよ。そうだな……素っ裸で俺の背中を流してもらおうか」
一瞬、なんともいえない沈黙が二人の間を満たした。
「は……はぁ⁉ アンタと裸でお風呂に入れっていうの?」
「いますぐとは言わねえ。あのオッサンの戴冠を阻止できた後でいい。どうだ?」
「くっ……」
フレーズが本気で悩みはじめたときだった。
「お待ちください!」
背後で大きな声がして、フレーズは飛び上がった。
「うわっ、ミルティーユ⁉ いたの⁉」
「無一様、わたくしがお嬢様の代わりにお背中をお流しします! もちろん全裸で!」
「いーや、こればっかりはフレーズ本人じゃないと駄目だ」
「そ、そんなに私の裸が見たいの?」
フレーズはドキリとする。無一が好きなのはミルティーユの方だとばかり思っていたのだが……。
「いーや、見たいのはおまえの覚悟だ。まぁ、裸も見たいけどな」
そういうことか、とフレーズはホッとする。スケベな気持ちもあるにはあるが、それ以上に無一は覚悟のほどを試しているのだ。
フレーズは立ち上がって言った。
「……わかったわ。裸くらい見せてやろうじゃないの!」
「お嬢様っ⁉」
「そのかわり、本気で助けてよね。手を抜いたら承知しないんだから」
ビシリ、と無一を指さして言う。
応じて無一も立ち上がった。
「わかってるって。脱いだ時に傷があったら俺が悲しいからな。傷一つつかねえように、命がけで守ってやるよ」
「言うまでもないことですが」
ミルティーユがフレーズの隣に並んで宣言する。
「わたくしも、身命を賭してお嬢様をお守りしますわ。メイドの義務……いえ、わたくし自身の意地にかけて!」
「ちょっと待ったーっ!」
とてとてと駆けてきて無一の隣に現れたのは、もちろんポミエだ。
「みなさん、わたしに隠れて逢い引きなんて許しませんよ! 無一さんはわたしのものなんですから。わたし抜きで3Pじゃなくて、わたしも入れて4Pにしてください!」
「……おまえはなにを言ってるんだ?」
とにかくこれで役者はそろった。他の三人がフレーズを見る。
フレーズは頷きを返した。
「それじゃあみんな、行くわよ! 出発は明朝、目指すは敵地ハーヴァー城。王宮にはびこる悪党どもめ、覚悟しなさい! フレーズ騎士団の底力、見せてやるんだから!」
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