4章
第26話 潜伏先にて
「むふふふふ♡」
「うふふふふ♡」
ポミエとミルティーユは幸せそうな笑顔を浮かべていた。
真夜中の逃走劇を演じた翌日。のどかな農村に建てられた小屋の中。
柔らかな夕陽が差し込んでいる食卓に、ポミエと無一が向かい合っている。
窓際に置かれたベッドにはミルティーユが横になり、その枕元に置かれた木製の椅子にはフレーズが座っていた。
そのフレーズはミルティーユのメイド服を着て、手にはシチューの入った木製の盆とスプーンを持っている。
「あぁ……お嬢様に『あーん』ってしていただけるなんて。わたくし、幸せですわぁ〜♪」
「ふふ、遠慮しないでたくさん甘えてね。今日は私がミルティーユだけのメイドさんなんだから。はい、あーん♡」
「あ〜〜ん♡」
愛するフレーズに手ずからシチューを食べさせてもらい、ミルティーユはとろけそうな表情になる。
「無一さん、どうですか?」
一方の食卓では、湯気の立つ鍋を挟んだ向こうでポミエが無一の顔を見ている。彼女はいつもの服の上に白いエプロンを着けていた。
「うん、うまい。ポミ公も料理得意だったんだな」
「えへへ〜。『男を掴むにはまず胃袋から』って、お母さんにみっちり仕込まれましたから」
ポミエは心底うれしそうに笑った。
「しっかし、こんな平和なのも久しぶりだなー」
無一は木造の小屋の中をぐるりと見渡して言った。昨日の今頃は、王妃殺害の疑いで捕まりそうになっていたフレーズを助けようとしていた頃だったろうか。
「王国の捜索隊も、さすがにこんな王都から遠い廃村なんかには来ないですからね」
ポミエは昨日ミルティーユから聞いたことを自慢げに言った。
一同がいまいる小屋は、王国の辺境に位置するほとんど廃村に近い状態の村に建っている。住む人がいなくなった廃屋をミルティーユが買い取ったものだった。近くにきれいな小川もあり、潜伏先としては申し分ない。
「大変だったことはいったん全部忘れて、当分はゆっくり休みましょうね♪」
「ま、たしかに大変っちゃ大変だったな」
無一は差し出されたコップの水を飲んだ。ただの水だが、汲んできたばかりなのかやけにうまい。
「本当にありがとうね、無一……。私がいま生きてるのは、アンタのおかげよ」
フレーズがしみじみと、柔らかく微笑みながら言う。
「わたくしからもお礼を言わせてください。無一様、お嬢様を助けてくださって、本当にありがとうございました……」
ベッドに寝たままのミルティーユだが、その声は心から感謝していることが伝わってくるものだった。
「よせって。つーか何回目だよこのやりとり。今回はみんながんばった。それでいいじゃねえか」
そう言うと再びシチューの椀にがっつきはじめた。照れ隠しなのだろう。他の三人はくすくすと笑った。
「それにしても、ミルティーユが風邪を引いたのなんて初めて見たかも」
フレーズは水の入ったコップを渡しながら言う。
「体調管理に万全を期すのは、メイドとしての義務ですから」
ミルティーユは寝間着にこぼさないように注意しながら、おいしそうに水を飲んだ。
「……ごめんね、私がいない間に大変な目に遭ったんでしょう。その、あのノワって女に海に落とされたとか……」
「うふふ、大したことではありませんわ」
「でも、そのせいでこんなことに……。なのに、私を助けに来てくれて……」
「お嬢様……」
ミルティーユは思い出す。数日前、王国へ向かう船に乗り込もうとする無一に追いすがり、自分も行くと言ったこと。当時はノワに海に落とされた日の翌朝で、激しい頭痛と体力の低下を認識していたが、「王国に着くまでに治す」と強引に船に乗り込んだこと。そして、屋敷からポミエが取ってきてくれた薬を飲んで寝込み、目覚めた時には船が王国の港に着いていたこと。
「たしかに大変でしたけど、こうして再びお嬢様とお話しできるだけで幸せですわ」
偽らざる本音だった。フレーズが巻き込まれていた恐ろしい事件について知ったいまでは、なおさらだ。
「ふふ、してほしいことがあればなんでも言ってね。今日は私が、ミルティーユだけのメイドなんだから♡」
その言い回しが気に入った様子のフレーズである。
ならば、とミルティーユは大胆なお願いをしてみることにした。
「で、でしたらその……あの夜のように、ほっぺにチューを……」
「…………」
「……い、いえ。なんでもありません」
「キスをすればいいのね?」
「え?」
チュッ――と。
額に柔らかな感触を感じ、ミルティーユの顔が真っ赤になった。
「また鼻血出るといけないから、今日のところはおでこで我慢してくれる?」
「は、はひぃい……♡」
ミルティーユは顔から湯気を出して気を失った。『幸せの絶頂』と題された絵画のような笑顔のままで。
一方の食卓では、無一とポミエが焼いた鶏肉を食べながら世間話に興じている。
「しっかし、昼に買い出しに行ったときはすごかったなー。町外れの木の枝に何人も吊るし首にされててさ」
「……今日の朝、お触れが出たそうですね。盗賊は即刻縛り首にするように、かくまったりした人も同罪だ、って」
ポミエは空になった無一のコップにワインを注ぐ。その手がかすかに震えていた。
「世知辛い世の中だよなぁ。フレーズもおたずね者になっちまったし」
「町には、朝にはもう捜索隊が来てたみたいですね……」
「触れ書きの似顔絵、けっこう似てたよな」
無一は笑っていたが、ポミエにはそれがどこか空々しく思えた。
「で、ですが! それは町の話です! ここは王都からも最寄りの町からも離れた農村ですから、そういう危なそうなお話とは関係ありません!」
ポミエがテーブルに乗り出しながら言うと、小屋中が一瞬しんとした。
「……ま、そうだな。関係ねえわな」
ワインの残りを飲み干すと、無一は椅子から立ち上がった。
「ごっそさん、疲れたからもう寝るわ」
三人に背を向け、無一は小屋を出て行った。
バタンと木の扉が閉まる。その扉をポミエはやるせないような瞳で見続けていた。
無一が向かった先は、小屋から少し離れて立つ納屋の中だ。さすがに女性陣と同じ部屋で寝るわけにもいかないので、彼が自らそこを寝床とすることを申し出たのだった。
床に敷かれた藁の上にシーツが一枚かけてある。その上に彼は寝転んだ。
懐から銀色の指輪を取り出し、ぼーっとそれを眺める。
「これが偽物とはねぇ……」
呟きが沈黙に吸い込まれたところで、ノックの音がした。
小さなロウソク立てを持ったポミエが、扉を開けて入ってくる。
「お、お体を拭きにきました。お風呂はないですけど、お湯なら湧かせば使えますし」
「おまえ、いくらなんでも人がよすぎるぞ」
「いいから脱いでください!」
有無を言わさぬ言い方だった。仕方なく無一は着ていたシャツを脱ぐ。
「ふへへ、やっぱりいい身体……じゅるり。……じゃなくて、さっそく拭いていきますね」
「性欲がダダ漏れじゃねーか」
とはいえポミエは特に変なことをする気配もなく、湯で湿らせたタオルで丁寧に無一の身体を拭きはじめる。
「えへへー、気持ちいいですかー?」
「うん……。おまえ、将来いい嫁になるよ」
「はわっ⁉ ほ、本当ですか?」
「俺は嘘は言わねえんだ」
くりくりと頭を撫でると、撫でられたポミエは感動したように顔を輝かせた。
「で、でしたら……無一さんがもらってくれてもいいんですよ?」
「俺が?」
無一はポミエの顔を見る。真剣そうな表情だ。冗談で言ったわけではないらしい。
「五日後の戴冠式でロホランとかいう人が王様になれば、わたしたちのことなんてきっと忘れてくれますし」
「…………」
「そうなったら、どこかで一緒に暮らしませんか? この隠れ家はフレーズさんのお金で借りてるそうですので、いつまでもお世話にはなれませんけど……。でも、わたし無一さんと暮らすためなら一生懸命働きますから!」
「俺にヒモになれってのか?」
「いいじゃないですか、ヒモ! わたしが男だったらなりたいですよ」
「……そこまでして子種が欲しいか」
「欲しいです! っていうか、ちゃんとお嫁さんにしてもらえば毎日新鮮なのがもらえますからね。最近のわたしは、ぶっちゃけ真剣にお嫁さんになることを狙ってます!」
「ポミ公……」
性欲が根本にあるだけに、かえってポミエの真剣さが伝わってきた。なぜそこまで好いてくれるのかはよくわからないが、さりとて好かれることが嫌な無一ではない。正直、心が揺らいだ。
「ちなみに、さっきのシチューにも精力がギンギンになる素材がたっぷり入ってますので、なんならいま襲ってくれてもいいですよ? ふへへ……ムラムラしたら我慢しないで、わたしにその有り余る性欲をぶつけてくださいね♡」
「おまえ、そういうとこだぞ」
無一は溜息をついた。やはり、この娘とはどうしてもそういう関係になれる気がしない。
だが、今回のポミエはこれまでとはひと味違っていた。
「わたし、本気ですよ……」
ふと、無一は自分の手が柔らかな感触に包まれていることに気づく。
見れば、ポミエが彼の片手を胸の谷間に引き込んでいた。エプロンの下の素肌が直に触れるように。
ポミエは顔を赤らめながら、せいいっぱい艶っぽい声でささやいた。
「もういいじゃないですか。ミルティーユさんの約束を守ってフレーズさんを無事に助け出したんですから」
「……だが、俺が盗んだのは〈神器〉の偽物だった。これじゃロホランのオッサンの戴冠を阻止できねえ」
「いまはそんなこと考えなくていいです。無一さんは死ぬ気でがんばったんですから、もっと報われるべきです」
「報われるって……」
「わたしでいっぱい、気持ちよくなってください♡」
さすがに我慢の限界だった。無一は手に吸い付くような柔らかさを強くにぎりしめた。
「ふひゃっ!」
「すまん、痛かったか?」
「い、いえ。むしろもっと強くても……♡」
無一はもう片方の手もエプロンの下に差し入れ、両手でポミエの乳房を揉んだ。ミルティーユほどではないにしても、十分なボリュームがある。かなり、悪くない。
「ん、く、ふぅっ……」
十指を深く乳肌に埋めると、ポミエは悩ましげに悶えながら身体をくねらせていたが、
「く、ふふ、ふひひ……」
次第に声色が怪しくなり、無一は内心で首をかしげた。
この反応は、もしや……。
「――ふひゃははっ。や、くす、くすぐった……ひゃは、にゃはははっ!」
「……ポミ公、おまえ」
嫌な予感が当たったらしい。無一は両手を引いた。
「ごご、ごめんなさい。わたし、び、敏感肌でして……」
「その言い方は合ってるのか?」
「と、とにかく人に触られ慣れてなくて、その……気持ちよさより、くすぐったさが勝っちゃったみたいです」
「…………」
「あ、でもきっと無一さんがもっとエッチな感じで触ってくれれば、ちゃんと感じれると思います!」
自信たっぷりに胸を張る。
無一はなかばヤケクソ気味に服の上からポミエの乳を揉みまくった。
「あひゃひゃひゃひゃ! ら、らめぇ~~っ!」
無一は納屋の戸を開け、ポミエの身体を掴んで外に放り投げた。
「出直してこい!」
バタン、と音を立てて戸が閉まる。
「わーーーん! また下手こいたーーー‼」
走り去るポミエの泣き声が、月夜の晩を少し騒がしくした。
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