第23話 ポミエのパンツ
チリーン――!
かすかな金属音が響き、その場にいた全員が一斉に石造りの床を見た。詰めていた衛兵やゴーシュ、ロホランまでもが。
床の上を転がっているのは鈍い銀色の指輪だ。それは血濡れた床に当たって二度ほど跳ね、ころころと転がってフレーズの足に当たって止まった。
「え? これって、まさか――」
フレーズが驚きに目を見開く。
「〈神器〉……だと?」
ゴーシュが信じられないというように声を漏らした。
「やっべ、股間蹴られた時に落としちまった!」
鎧の男――無一は落ちた〈神器〉を拾い、「持ってろ」とフレーズに手渡した。
「貴様、〈神器〉を盗んだのか⁉」
「はっ、王位を盗もうとしてるオッサンの腰巾着に言われたかねぇや。なぁフレーズ?」
「貴様……その娘の仲間か!」
衛兵をかき分けて出てきたゴーシュが剣を抜きはなつ。
が、振り上げられた剣が振り下ろされる前に、無一は彼の懐にもぐりこんでいた。相手の腕を取り、同時に体重の乗った足を払う。
鮮やかな投げを決められたゴーシュは、石の床にしたたかに叩きつけられた。持っていた剣が飛び、床に当たって音を立てる。
「ぐはぁッ⁉」
衛兵たちの間にどよめきが起こる。見たことのない武術の技だった。
「柔術ってんだ。覚えときな!」
無一は腕を掴んだままのゴーシュの身体を、こちらを囲むように立つ衛兵たちの方へ投げ飛ばした。
二人の衛兵が巻き込まれて倒れ、包囲網に穴が開く。
「おい、逃げるぞ」
「きゃっ」
フレーズが我に返ったときには、無一は彼女の手を握って走り出していた。
「あ、私の剣が!」
「あきらめろ、命あっての物種だ」
後ろに詰めていた衛兵たちの横を走り去る。彼らは事態を飲み込めていない様子だった。なにしろ、フレーズを連れて逃げているのは同じ鎧を着た仲間なのだ。
そうして二人はロホランの横を通り過ぎたが、彼は交差する瞬間にちらりと二人を一瞥しただけだった。
「な、なにをしている! 追え!」
背後でゴーシュの声があがる。肩越しに振り向くと、さっき横を抜いていった騎士たちが慌てて追ってきていた。
二人は依然手を繋いだまま、階段へ向かい走っていく。
「なんでアンタがここに? それに、これだけの警備の中どうやって……」
「お
そうして二人が下り階段に差しかかったときだった。
「いったいなんの騒ぎだ⁉」
ひとりの巨漢が立派な鎧を揺らして駆け上がってくるのが見え、フレーズは思わず叫んだ。
「ライデンさん!」
「ライデン、その賊どもを討て」
低く命令する声が背後にあがる。見れば、衛兵たちの間からロホランが顔を出していた。
「……承知しました」
ライデンは腰の剣を抜き、階段の下から突進してくる。
「うわっ!」
初撃を無一は間一髪でかわした。返す刀の一撃もなんとか回避したが、次の一撃は兜をかすめた。金属同士が激しくぶつかり合う音が響く。
鉄兜は斬撃を受け流すように作られており、直撃を避ければダメージは低い。……はずだが、無一はよろめきながら何歩か後退した。
「いってぇ……! このオッサン強えぞ!」
「我が名はライデン! 精強で知られる近衛兵団の団長だ! その鎧は我が兵団のもの、どこぞの賊が身につけてよいものではないっ‼」
「無一っ!」
フレーズの叫びが、攻撃態勢に入ったライデンの動きを一瞬止めた。
「ダメだ、丸腰じゃ勝てっこねえ!」
そうとわかれば逆方向に逃げるしかない。後ろを振り返ると、槍を構えた衛兵が5メートルほど先で待ち構えている。
「こっちの方があのオッサンよりは楽そうだが……」
とはいえ、衛兵はざっと数えただけでも5人以上。しかも相手は槍で武装し、こちらは鎧を除けば丸腰だ。まともに戦えば突破は不可能だろう。さっきみたいに横を通してくれるはずもなく、空いた空間といえば高くなっている天井と敵の頭上の間だけ。しかし、頭上を飛んで逃げるわけにもいくまい。
どうすればいい……無一は考える。
ふと、ポミエの顔が脳内に浮かんだ。
何日か前の夜。
ミルティーユとポミエを宿に残し、港に向かって歩き始めたときのことだった。
「無一さん、これを持って行ってください!」
走ってきたポミエに渡されたのは、見覚えのある薄桃色のパンツだった。
「パンツ? つーかこれ、なんか湿ってんぞ」
「大丈夫です、さっきお風呂に入ったときに洗っておいたので!」
「そういう問題か?」
「それを穿けば力が湧いてくるはずです! お母さんからもらった魔法の勝負パンツなので!」
「ほう、〈魔道具〉ってやつか」
無一はポミエと初めて出会ったときのことを思い出した。宿のベッドの上で、ほぼ裸のポミエに力勝負で敵わなかったのだ。
そういえばあのとき、ポミエが穿いていたパンツはこれと同じものだったか。
「でも、さすがに女物のパンツを穿くのはなぁ」
「では頭に被ってください。身体と密着している方が効果が高いので!」
「それはそれで変態じゃねーか!」
「お願いします! そのパンツをわたしだと思って!」
「余計に被りたくなくなるっつーの!」
しかし、涙目で「お願いします」と何度も頼んでくるので、無一はしぶしぶそのパンツを受け取ったのだった。
「……ありがとよ、ポミ公。おまえのパンツは最高だぜ!」
無一は笑った。いまは兜に隠れて見えないが、その頭には『勝負パンツ』をかぶっている。
「は? パンツ? こんな時になにを――」
「すまんフレーズ、失敗したらそっちで受け身取ってくれ!」
「え? なに言って――」
問おうとした瞬間、フレーズの身体が浮いた。
浮いただけではない。そのまま放物線を描いて宙を舞った。
「きゃぁああああああああああああああああああああああああッ!」
衛兵たちもその様子をポカンと見上げている。自分たちの頭上を、宙を舞う少女の身体が通り過ぎるさまを。あまりに非現実的すぎて、目の前にいる賊がその少女を投げ飛ばしたということを理解できた者はいなかった。
同時に無一は駆けた。体勢を低くして兜を前に突き出し、自らを砲弾と化して衛兵たちの壁に突進した。
体当たり――いや、加速により威力を増した頭突きというべきか。
一撃で壁は粉砕した。5人の衛兵は槍を突き出すことすらできず、ある者は直撃を受けて吹き飛び、ある者はその余波をうけて転倒した。立っていた者は、少し離れた位置で彼らを監督していたロホランただ一人だった。
そのロホランのすぐ横を通過しながら、無一は落下中のフレーズを両手でキャッチした。そして、そのまま止まらずに廊下を駆け抜けていく。
走る、走る、走る――
「ちょっとアンタ、そっちはダメだってば!」
その後、二人がどのようにして追っ手から逃れたかは、物語冒頭の通りである。
かくして少女と盗賊は叛逆者となったのだった。
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