3章
第18話 真の騎士
城門をくぐって城壁の内側に入ると、広大な芝生の領域が目の前に広がる。堅牢な石造りの建物がいくつか見えるなか、中央に佇むひときわ巨大な館こそが、ここハーヴァー城の王宮だ。
「これがハーヴァー城の王宮……!」
宮殿に足を踏み入れた瞬間、フレーズは瞳を輝かせた。
高い天井に、壮麗な柱や内装の数々。単に広くて美しいだけではなく、王の住居たる威厳を感じさせる。彼女の屋敷など、ここと比べればミニチュアのようなものだ。
「これから毎日のように通うようになりますよ。もっとも、僕と同行してもらう必要はありますが」
少しだけ申し訳なさそうに隣のゴーシュが苦笑する。
「それでは、僕はいったんここで」
「え? どこか行っちゃうんですか?」
「ええ。フレーズ様、貴女にはこれから正式に騎士としての叙任を受けてもらいたいと思いまして」
「えぇっ⁉」
思わずフレーズは大声をあげてしまった。
「せ、正式な騎士になれるんですか⁉ でも、そんな急に……」
「たしかに、その方がいいでしょうな」
背後からの声にフレーズは振り向く。
鎧を着た男が彼女に歩み寄ってきていた。先ほどゴーシュが何やら話しかけていた中年の男で、衛兵にしては立派すぎる鎧を身につけている。
「フレーズ様、ご紹介します。こちらの男性はライデン卿。近衛兵団の団長を務めておられる騎士です」
「どうも」
ライデンは兜の面当を上げて慇懃に礼をした。いかつい顔つきの真面目そうな男だ。フレーズも頭を下げて名乗ると、「ゴーシュ殿から伺っております」という。
「あの、正式に騎士になった方がいいってどういうことですか。……ひょっとして、私のあふれんばかりの才能を見抜いたとか——」
「いえ。正式な騎士か兵士でなければ城内では帯剣できんのです。いまはゴーシュ殿の申し出で、特別に許可が出ておりますが」
「な、なるほど……」
フレーズは腰の剣に目をやり、顔を赤くした。自分の思い上がりが恥ずかしい。
「わからないことがあればライデン卿に聞いてください。では、しばらく」
そう言い残してゴーシュは去っていった。ライデンと二人で取り残される。
手持ち無沙汰になったフレーズは、彼にいろいろと気になることを聞いてみることにした。
「あの、ライデンさん」
「なんでしょう」
「その、私には敬語で話さなくても大丈夫ですよ?」
「そういうわけにも参りませんな。いまはゴーシュ殿の客人ですので」
「そ、そうですか……」
やはりかなりの堅物らしい。フレーズとしては、自分よりも倍以上も年上の、しかも近衛兵団団長ともあろう人物に敬語を使われるのも心苦しいのだが。
「ええと、ライデンさんって近衛兵団の団長さんなんですよね?」
「さようです」
「ゴーシュさんは国王直属騎士団の団長と伺ったんですけど」
「あぁ、そのことですな。近衛兵団は王族の方々をお守りする兵団でして、団員はみな正規兵ですが、騎士に加え傭兵も含まれます。国王直属騎士団というのはその名の通り国王様直属でして、より国王様個人にお仕えするという意味合いが強くなります。こちらは爵位持ちの騎士しかなることができません」
「なるほど。ありがとうございます」
「ですが、騎士団長と兵団長の格は同等! そこは間違えんでいただきたいですな!」
ライデンはそのことを強調して言った。圧が強い……。
「き、気をつけます。あと、もうひとつ聞いてもいいですか?」
「なんなりと」
「騎士叙任式って、そんな簡単に行えるんですか? なんだか今日中にも執り行っていただけるような空気でしたけど」
ライデンは少し複雑な表情をした。
「国王代理であるロホラン様の方針で、式は簡略化してもよいこととなったのです。有望な者は積極的に騎士に取り立てるようにと。率直に申し上げますと、我が軍は騎士の人員がやや不足しておりまして……」
「どうしてですか?」
「……あの御方に少しでも逆らった者は縛り首にされるからです。貴族だろうと騎士だろうと例外はありません」
そう言い終えたところで、急にライデンは姿勢を正して頭を下げた。
「これは、ロホラン様……!」
「えっ?」
驚いたフレーズが振り向いた視線の先。
ライデンにも劣らぬ屈強な体躯の男が、幾人もの護衛の兵に囲まれながら歩いてくるのが見えた。
その壮年の男こそが、国王代理ロホラン。フレーズの宿敵となる男だった。
彼の背後にゴーシュが控えているが、先ほどまでよりも少し元気がないようだ。
「おまえがフレーズか。俺がロホランだ。顔を上げて楽にしてくれ」
「し、失礼します……」
これがロホランか――とフレーズは思う。王位簒奪を企み、先王を謀殺し、メロー島のみならず王国全土を戦乱に向かわせようとしている張本人……。
「ゴーシュから聞いておる。はるばるメロー島からご苦労だった。早速だが、騎士としてふさわしいかどうか試させてもらう」
「え……?」
どういうことか。ゴーシュを見たが、彼は黙ったまま俯いてしまった。
「ゴーシュよ、彼女を案内しろ」
「かしこまりました。……フレーズ様、こちらに」
ゴーシュに導かれ、フレーズは王宮の外へ出た。連れていかれたのは少し離れた場所にある塔だった。作りは頑丈そうだが窓が少なく、どことなく閉塞的な印象を受ける建物だ。
薄暗い階段を三階まであがり、案内された部屋の扉を開ける。
手狭だがそれなりに快適そうな部屋の中央に、少女がひとり座っていた。小柄でフレーズよりも若く見えるが、お姫様のような綺麗なドレスを着ている。だが、その可憐な顔に生気はなく、フレーズが扉を開けても目を伏せたままだった。
「先王エゼル様の妃、ロランジュ様です」
ゴーシュはそう言うと、憎しみを隠すかのように声を潜めた。
「エゼル様を毒殺した疑いで、この塔に幽閉されているのです」
「こんなお若いのに……」
「見た目に騙されてはなりません。先王様の飲み物に毒を盛ったのは彼女です」
しかしそれは、背後にいるあの男――ロホランにそそのかされたからではないのか。
「それでは、これより騎士の誓いを示してもらおう。フレーズよ、剣を抜くがいい」
「え……?」
いつしか何人かの衛兵がフレーズの背後を囲んでいた。押されるようにしてロランジュの部屋に入る。
「ど、どういうことですか?」
「その毒婦を殺せ。そのことをもって忠誠の証とする」
「……は? 殺す……?」
フレーズはゴーシュを見る。ゴーシュはやるせなさそうに俯いている。
「そこのゴーシュがおまえを部下に欲しいと申し出、俺はそれを承認した。だが国王直属騎士団に入団するためには、この俺に対する絶対的な忠誠を示してもらわねばならん。その忠誠をいまここで示せというのだ」
「王妃様を手にかけることで、ですか……?」
「そうだ。俺は忙しい。早くしてくれ」
催促するように睨まれ、フレーズは震える手で剣を抜いた。
おびえたロランジュの姿が目に映る。
(殺す……? 私がこんなに幼い王妃様を?)
たしかに彼女が先王を毒殺したのかもしれない。けれど、それは目の前のロホランが仕組んだことに違いないのだ。だとすれば、悪いのは彼女ではなくロホランではないか。
「どうした? 騎士になりたいのではないのか?」
騎士――その言葉がフレーズの胸に重く響いた。
ずっと憧れていた称号。強きをくじき弱きを助ける、正義の象徴。『自称』騎士と馬鹿にされるたびに、どれだけ本物の騎士になりたいと思ったことか。
(だけど、名前だけ騎士になってなんの意味があるの? それも、敵であるロホランに忠誠を誓ってまで……)
救いを求めるようにゴーシュの顔を見た。船の上で彼から聞いた言葉を思い出す。
『大義をなすためには、時に自分の信念すら曲げる必要があります。城に着く前に、その覚悟をしておいてください』
騎士になっておくことは、大義をなすために必要なことのようにも思える。ゴーシュの直属の部下になっておけば宮廷内での動きも取りやすいだろう。ロホランに忠誠を誓うのは抵抗があるが、形だけ誓うふりをするという手もある。
それに、いずれ自分の手でロホランを殺めなければいけない局面も出てくるかもしれない。万が一そのような機会が訪れた場合、剣が手元になければ話にならない。
(これは試練なの? 私は試されてるの? ここで非情な決断できなければ、大義をなすことはできないってこと……?)
「迷うな。
冷徹な声が聞こえる。冷徹さが強さのひとつの要素なら、たしかにロホランは強者に違いない。
フレーズは覚悟を決めた。恐怖に震える少女に向けて剣を構える。
もう『自称』なんて言わせない!
ここで迷いを断ち切って、私は真の騎士になるんだ!
「やぁああああああああッ‼」
叫びながら振り下ろされた剣が、ロランジュを斬った――かに見えた。
だが、実際に剣が斬ったのは、彼女のすぐ横の虚空だった。
フレーズは剣を納め、若い王妃の前にひざまずいた。
「ロランジュ様、大変失礼いたしました」
「え……」
「なんの真似だ」
背後からの声に、フレーズは立ち上がって向き直った。
ロホランがすさまじい形相で彼女を睨んでいる。
フレーズは緊張で喉を詰まらせながら、喘ぐように言葉を紡いだ。
「……罪人は剣によってではなく、正当な裁判で裁かれるべきです。たとえご命令でも、正しくないと思ったことには従えません。それが、私の考える
「愚か者め。なにが正しいかは俺が決める。おまえが判断することではない」
警護の兵たちを割って歩み寄ると、分厚い手をフレーズに差し伸ばした。
「剣をよこせ。おまえは騎士としては認められん。よって俺の城で剣を帯びることも許されん」
フレーズは少しだけためらってから、ロホランに剣を差し出した。
直後、衛兵たちにとり囲まれる。フレーズは捕まることを覚悟した。「少しでも逆らった者は縛り首」というライデンの言葉が思い出され、背筋が凍る。
しかし、衛兵たちは彼女に触れることさえしなかった。
彼らの奥で、ロホランが「待て」と短く命じたからだ。フレーズは耳を疑った。
「いい目だ。女だてらにいい根性をしている。見込みはありそうだな。ゴーシュよ、騎士団への入団は認められんが、その娘をおまえの部下にすることは許そう」
「ありがとうございます」
ロホランはそのまま去っていった。唖然とするフレーズに、ゴーシュは苦笑しながら片目をつぶってみせた。ひとまず、命は助かったようだった。
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