第17話 盗みの予告
「だ……誰かー! 誰か泳げる人はいませんかー⁉︎」
大声で叫びながらポミエはあたりを見回した。だが、浜辺からは静かな波音しか返ってこない。
「あわわわ……。ミルティーユさん、なんで浮かんでこないんですか……」
彼女が海に落とされてから、ゆうに一分以上の時間が経とうとしていた。
「どどど、どうしましょう……。わたし泳ぐの苦手だし……」
言い訳をするつもりはなかったが、さっきから思考がダダ漏れになっていた。
(……待てよ。別にわたしが助ける義理なんてなくないですか?)
ふと、悪い考えが浮かぶ。彼女の心の中で
(だいたいあの女――ミルティーユさんは無一さんをたぶらかして、わたしから奪った張本人。いうなれば恋敵です)
(そりゃあ、ここ数日はおいしい紅茶とか手料理とかを食べさせてくれたり、清潔で熱いお風呂に毎日入らせてくれたりしたけど……)
(……いやいや、騙されちゃいけません。優しそうな顔をしていても、あの女はわたしから無一さんを奪う泥棒猫なんだから!)
「ふ、ふーんだ! わたしは助けませんよ! 恨むなら自分の顔の良さと無駄にデカいおっぱいを恨みやがれです! バーカバーカ‼」
涙目で罵りながらポミエは走り去った。
……かに見えたが、すぐに泣きながら走って戻ってきてしまった。
「わーーーん! わたしのバカー! いくじなしーっ‼︎」
涙をボロボロこぼしながら胸の谷間に手を突っ込み、なにかを探す。
そうして取り出したのは、いつぞやの『勝負パンツ』だった。
いそいそと今履いている下着を脱ぎ、その淡いピンクの『勝負パンツ』に履き替える。
「い、命がけなんですからね! 勝負パンツ履いててもギリギリなんですからね! もし助かったら貸し1ですよーっ‼︎」
そう叫ぶと全力で浜辺の砂を蹴り、ジャンプして海に飛び込んだ。
無一が宿の部屋に駆けつけた頃には、あたりは夕闇に染まっていた。
屋敷のものと比べると粗末なベッドに、ミルティーユが寝かされている。濡れたメイド服が窓際に干してあり、毛布の下は裸に近い格好らしいと推察できた。だが、いまは少しも劣情が湧いてこなかった。
「意識はないですけど、生きてます。すごい熱ですけどね……っくしゅん!」
一方のポミエは、まさに濡れネズミだ。先ほどまで無一がいた酒場に慌てて転がり込んできた、そのときから同じ格好だった。
「あ、でも別に助けたわけじゃないですよ? わたしはこの女に貸しを作ったんです。あと、どさくさに紛れてデカパイ揉みしだいてやりました! めっちゃ柔らかかったです!」
自慢げに言うと、ポミエはまたひとつくしゃみをした。
そんな彼女に歩み寄ると、無一は無言で抱きしめた。
ドクン! ポミエの心臓が音を立てる。
(はわわーー⁉︎ こ、この流れは……せせせ、せっくすではーー⁉︎)
眠っていたサキュバスの本能が、ポミエの全身を熱くさせる。
しかし無一は「ありがとよ」と囁くと、ポミエからそっと体を離した。
「湯でも借りてこい。身体が冷え切ってる」
惚けたようにボーッとしていたポミエは、ハッと正気を取り戻した。
「わ、わたしがいない間にその女にエッチなことしたら許しませんからね⁉」
「しねえよ、おまえじゃねえんだから。さっさと風呂行ってこい」
「約束ですからねー! エッチなことはダメ絶対ですよーっ‼」
大声で念を押しながらポミエは部屋から出て行った。
無一は溜息をつくと、小さな椅子を見つけてミルティーユの枕元に座った。
先ほどから彼女はほとんど動かない。目を閉じたまま苦しげな呼吸を繰り返すばかりだ。
「誰にやられた?」
答えは返ってこなかったが、無一にはおよその見当はついていた。
ミルティーユが並の相手にやられるはずがない。とすると、可能性があるのは王国から来た二人だけだ。
まず、あのゴーシュとかいう若い騎士。確かに奴は強かった。しかし奴ではない。なぜならフレーズと共に船に乗っていったのをこの目で確認したからだ。とすると……。
「あのノワって女か」
彼女がその実力の片鱗を見せた、海賊船上での一場面を思い出す。並の女ではないことは察していたが、まさかミルティーユがやられるとは……。
ふう、と息を吐いて立ち上がる。
そのまま部屋を出ようとすると、
「ま……待ってください」
背後から声があがり、無一は驚いて振り向いた。
「起きたのか。そいつはよかった」
とはいったものの、ミルティーユはいまにも意識を失いそうなほど弱々しい表情をしていた。
「彼女と……ノワという女と戦ってはいけません」
「なんでだ?」
「貴方では……あの女には勝てません」
申し訳なさそうに言う。実のところ無一も同じ意見だった。だが、彼にも意地がある。
「やってみなきゃわからねえだろうが」
「彼女は……生まれた時から戦いの道具として作られた存在……。わたくしと同じ……」
「…………」
「それに……貴方がわたくしのために復讐に向かえば、わたくしがまだ生きていることを悟られてしまいます……」
「……たしかに、そりゃ道理だ」
認めざるを得ない。そして、そうなればミルティーユの身が再び危険にさらされる。無一が私情を優先したがために。
「けどよ、じゃあ黙って耐えろっていうのか? 惚れた女を殺されかけたんだぞ」
「無一さま……」
無一は再びミルティーユの枕元の椅子に腰をおろした。
「俺はあんたが好きだ。あんたがフレーズに向ける笑顔が好きだ。いつかあいつから盗んで俺のものにしたい。そう本気で思ってる」
ミルティーユは瞳を閉じる。その瞳から涙があふれた。
「もしも本当に、わたくしのことを少しでも想ってくださっているのなら……。お願いします。お嬢様を……フレーズお嬢様を守ってください。わたくしの代わりに……」
「あいつを追って海を渡れってのか」
酒場で聞いた話によると、明日は王国への定期便が出る日らしい。船に乗ってフレーズのいる王国に行くこと自体は簡単だ。しかし……。
「お嬢様は、なにか恐ろしいことに巻き込まれている……。そんな気がするんです……」
そのことが問題だった。ミルティーユにはまだ話していないが、フレーズはロホランとかいう王国の重要人物と事を構えようとしている。〈神器〉なるものをその人物から奪おうとしている。それはおそらく、かなりの危険を伴う所業だ。下手に関われば、こちらの身にも累が及ぶ。
「お願いします、どうか……! わたくしも必ず、すぐに向かいますから……」
そう言うとミルティーユは苦しげに咳き込んだ。
「無理すんなって」
といっても、素直に聞くミルティーユではあるまい。彼女にとってフレーズは、命よりも大切な宝なのだ。無一が行かなければ、無理をしてでもフレーズの後を追って王国に渡ることだろう。
やれやれと無一は頭をかいた。
「いやー、参ったぜ。惚れた女に頼まれちゃあ断れねえ」
「では……」
「あぁ。
無一がそう言うと、ミルティーユはこれまで彼が見た中で一番の笑みを浮かべた。
「ありがとう……ございます…………」
かすれた声でささやくと、そのまま意識を失った。
その数秒後にポミエがダッシュで戻ってきた。全身からホカホカと湯気がたっていて、さっきよりも血色がだいぶよくなっている。
「お風呂いただいてきました! 無一さん、ミルティーユさんとエッチなことしてないでしょうね⁉︎」
「…………」
「な、なんですかいまの間は⁉ それにこの色っぽい雰囲気……! まさか……え、えっちなことしたんですね⁉︎」
「ポミ公、ちょっと用事ができた。王国とやらに行ってくる」
駆け寄ってきたポミエにそう言って、無一は椅子から立ち上がる。
「え、王国に? じゃあわたしも――」
「おまえにはミルティーユさんを頼む。王国から来た奴らから守ってやってくれ」
懐から愛用の
「これは……?」
「
「で、でも大切なものなのでは?」
「いまこの時点で、おまえとミルティーユさんより大切なものなんかねえさ」
ポミエの頭にポンと手を置いて、彼は言った。
直後、ポミエは胸を押さえた。彼女の十数年の人生の中で最も胸がときめいていた。
「はわわわ……わ、わたしとミルティーユさんの両方を⁉ さささ、3Pってやつですかー⁉ ふへ、ふへへへ……無一さんがお望みなら……♡」
壮大な勘違いをしたまま、ミルティーユが眠るベッドに横たわってハァハァと息を荒くする。
そんなポミエをあえて無視して、無一は部屋を出ていった。
「さーて、気合入れて行くぜ! 大泥棒無一、初の大仕事だ!」
宿を出るともう夜だった。天を仰げば月が見える。あと数日で満月となる、まだ若い月だった。
その月に雲がかかる。その雲を払い、奥にある月を奪おうとするかのように、無一は手を伸ばして握りしめるような仕草をした。
「盗んでやるよ。陰謀渦巻く王宮から、でっかいふたつの宝をな!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます