第16話 戦闘民族

 船が港を離れてしばらくした後。

 フレーズは王国から来たもう一隻の軍船がついてきていないことに気づき、そのことについてゴーシュにたずねた。


「出船前になんらかの不具合が見つかったと聞いています。安全が確認でき次第、来るとは思いますが……」


 彼にもはっきりとしたことはわからないらしい。フレーズはなんとなく胸騒ぎを覚えた。


「あっちの船に乗ってたのって、兵士の他にはたしかキホルって人と……」


「ノワが乗っているはずです」


 フレーズは思い出す。細身で浅黒い肌の若い女。昨日の海賊との戦闘で、いつの間にか敵の海賊の船長に刃物を突きつけていた、あの恐ろしい手際の良さ……。


「気になりますか、彼女のことが」


「はい、少し……」


「僕も詳しいことは知りませんが、凄腕の戦士であることは間違いありません。なんでも有名な戦闘民族の出だとか」


「なんでそんな物騒な人が王国の任務に?」


「正規の騎士や兵士ではありません。ロホラン様が大金を積んで雇っている私兵なのですよ」


 ゴーシュは険しい表情で言った。



 同じ頃、屋敷に戻ったミルティーユは玄関ホールに置かれた小さな使用人用の椅子に座り、大きな溜息を落としていた。

 無一とは港で別れた。「あいつがいなくなった以上、契約は解消だ」と彼は屋敷へのこれ以上の滞在を辞退した。今後については「しばらくは島の酒場でも冷やかして遊ぶかねぇ」とうそぶいていたが、いまはどこにいるのか不明だ。

 客人のポミエもどこかへ行ってしまった。「わたしは猫ちゃんと遊んできますね」とのことだったが、沈んだ様子のミルティーユに気を遣ったのかもしれないし、あるいは愛する男を探しに行ったのかもしれない。


「……そういえば、お掃除がまだでしたね」


 今朝は起床後すぐにフレーズの手紙を見て、それから急いで着替えてすぐに屋敷を飛び出したのだった。もう昼過ぎになるというのに掃除が済んでいないなんて、メイド失格だ。

 掃除用具を取りに立ち上がる。だが、急にやる気をなくしてまた椅子に戻った。主人のいない家をきれいにしたところで、誰が褒めてくれるというのか。

 深く溜息を漏らす。と、いきなり玄関の扉が乱暴に叩かれる音がした。


「どちらさま……いえ、どういった御用でしょうか?」 


 扉を開けたミルティーユは怪訝な顔をした。

 目の前に立っていたのは全身鎧を着込んだ数人の兵士たちだ。昨日船で来た、王国軍の兵士たちに違いない。


「この屋敷のメイドか。急で申し訳ないが」


 言葉ほど申し訳なくもなさそうに、兵士の一人が淡々と言った。


「本日付でこの建物は王国軍の所有となる。今すぐ立ち退きの準備を」



「いったいどういうことですか⁉︎」


 港に停まった軍船の上で、女の怒声が響いた。

 叫んだミルティーユの顔は憤りに満ちている。武装した二人の兵士に抑えられていなければ、その先にいる老人——キホルに飛びかかりそうな勢いだ。


「お嬢様のお屋敷を没収? なんの権限でそんなことを!」


「屋敷の所有権があの娘に移ったという記録は存在せん。当地の領主だった一家が退去したあと、おぬしらが不当に占有していただけだ」


「でも、以前のご主人様はお嬢様に譲ると」


「口約束などなんの証明にもならんのだよ。世間知らずのメイド風情は知らんだろうがな」


 ミルティーユは悔しげに歯噛みする。確かに相手のいう通りなのかもしれない。


「ですが、お嬢様がご不在の間に勝手に話を進めるなんて横暴すぎます!」


「あの屋敷には駐屯軍の司令本部が置かれる。この島を警護する軍の拠点となるのだ。島の平和にとってもその方が有益だろう?」


「この島に軍が? そんなお話はうかがっておりませんわ」


「おぬしが知る必要はない。……ノワよ、あとは頼む」


「承知した」


 影から生まれ出たかのように、ノワがキホルの背後に音もなく姿を現した。


「貴女は、昨日の……!」


 とっさにミルティーユは身構える。本能が危険信号を発していた。


「暗器はスカートの中か。メイドの服にしてはスカートが短いと思っていたが」


「……貴女、何者ですの?」


「とぼけるな。もう気付いているのだろう?」


 言いながら慣れた手つきで鞘から短い刃物を抜き取る。両手に握った二本のそれは独特の形状をしていた。湾曲した刀身の内側に刃があり、鉈のようでも鎌のようでもある。


「私はおまえと同じ一族出身の戦士だ。もっとも、おまえはいまや家畜小屋で育った豚となりさがったようだが」


「……」


 いつになく険しい表情でミルティーユはノワを睨んだ。


「クーガー族は生まれながらの戦士。二本の足で立ったその日から戦闘技術を叩き込まれる。おまえはわずか八歳にして将来を期待されたエリートだった」


「……面白いお話ですわね」


「だが、おまえは最初の任務に失敗した。殺すよう命じられていた赤子を殺せず、そのまま姿を消したかと思えば……こんな島に隠れていたとはな」


「…………」


「おまえは一族の恥さらしだ」


 ノワが両手の短刀を顔の高さに構える。

 おだやかな波の上に浮かぶ船上に、突如としておぞましいまでの殺気が充満した。

 ミルティーユの背中が総毛立つ。


 直後、ノワの姿が消えた。背後に気配を感じ、とっさに横に跳んで離れる。ヒュンと風が切り裂かれる音がした。

着地したときには、すでにミルティーユは隠していた刃を両手に構えていた。


「テーブルナイフだと?」


「よく研いでありますわ」


「ふざけるな」


 ノワの顔が消えた——かに見えた瞬間、すぐ近くに現れた。

 鋭い金属音が鳴り響く。ミルティーユは間一髪で防御していた。明確な殺意を帯びた一撃。受けた腕が痺れる。

 二人の間で、鈍い光が一瞬のうちに何度もひらめいた。刃同士がぶつかる音がほとんどひと続きに聞こえる。周囲を囲んでいる王国軍の兵士たちは恐怖した。

 異次元だ。異次元の戦いが目の前で繰り広げられている。


「ふふ、ブランクがあるにしては頑張ったじゃないか」


「ッ……‼」


 気づいたときには、両手から武器が弾き飛ばされていた。とっさに拾おうとしたミルティーユの、その動きを先読みしていたノワに腹部をしたたかに蹴り上げられる。


「ぐぅッ⁉」


「死ね」


 死をもたらす刃が振り上げられ、冷たい輝きを放った。そのとき。


「待て」


 そう言って制止したのはキホルだった。


「ただ殺すにはこの女は美しすぎる。おぬしの言葉を借りるなら、豚の肉は食事に供されてこそ初めて価値がある」


 気を失って倒れた女を見る老人の目は、醜い笑みの形に歪んでいた。

 ノワは不快感をあらわにしてその老人を睨んだ。


「腐れ外道が、恥を知れ。おまえのような下郎のオモチャにされる方がよほど我が一族の恥さらしだ」


 二人の女を囲むように立っていた兵士の一人に歩み寄り、兜を脱がせる。

 それをミルティーユの頭に被せ、その身体を抱えて船の縁に運んだ。


「これで浮かんでくることもあるまい。せめてもの情けだ、清い身のまま死ぬがいい」


 同族の女の亡骸が冒涜されることを嫌ってか。ノワはミルティーユの身体を思い切り遠くへ投げ飛ばした。

 ドボン、と海面に水柱が立ち、海は何事もなかったかのように一人の女を呑み込んだ。



 港からは船にさえぎられ、その光景を見ていた島の者はいなかった。

 たった一人、浜辺で猫の群れと戯れていた少女を除いては。



「あばばばば……。どどどうしましょう……」

 指先でつまんだ小魚を猫の群れに取られながら、ポミエはガタガタと身を震わせていた。

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