第14話 葛藤

「はぁ……。お嬢様、昨日あの方に何を言われたのでしょう? 気になりますわ……」


 屋敷の居間。ソファに座るミルティーユは心配そうな溜息を漏らした。


「心配いらねーって。あいつももう子供じゃないんだ」


 彼女の膝枕を堪能しながら無一は言う。


「でも、もしあのゴーシュという殿方に結婚を申し込まれでもしていたら……」


「大丈夫だって」


「どうしてそう言えますの?」


 じとーっ、と怪しむような視線が無一に向けられる。


「あいつらもそんな暇じゃねえってことさ」


 無一は言葉を選んで言った。昨日盗み聞きした話を伝えようか迷ったが、知ればミルティーユも無関係ではいられなくなる。


「それに、あいつがどこに行ってなにをしようが、あいつの自由だ」


 それは彼の本音だった。昨日ゴーシュが声を潜めて語った話を聞く限り、フレーズは選択次第では危ない橋を渡らされることになる。そのことが心配でないわけではないし、もし彼女に頼まれれば〈神器〉とやらを盗むのを手伝ってもいい。


 だが、それを含めてどんな選択をするかは彼女自身の意志に委ねられるべきだ。フレーズはもう子供ではないのだし、彼女を信用したからこそゴーシュは先の話を語ったのだから。それに、無一はフレーズがどんな選択をするのか純粋に興味があった。


「ですが、わたくしに行き先も告げずに出かけてしまわれるなんて」


 はぁ、と何度目かしれない溜息を漏らす。このメイド、主人に対してやや過保護すぎるきらいがあるようだ。

 行き場を失った母性をぶつけるかのように、ミルティーユは無一の頭をせわしなく撫でつづける。

 その様子をムスッとした顔つきで眺めていたポミエは、ふいに対面のソファから勢いよく立ち上がった。


「わたし、猫ちゃんたちと遊んできます!」


 そう宣言し、肩を怒らせてずんずんと部屋の扉に向かっていく。

 その背中に無一は「あいつのことは探してやるなよ」と声をかけた。



 フレーズは岬の突端に立っていた。

 足元には小さな、けれどそれなりにちゃんとした墓碑が立っている。

 フレーズの剣の師であり、彼女に剣を譲ってくれた、フレッドという老人の墓だった。


「おじいちゃんなら、どうするだろう……」


 誰にともなく呟く。風が強く吹き、長い髪を巻き上げた。


 おじいちゃん――フレッドは引退した騎士だった。十年ほど前に島に来たとき、彼はすでに七十歳を過ぎていた。

 彼はよくフレーズを含む島の子供たちに騎士物語を語ってくれたものだった。それは主に、かつて大陸で活躍したとされる伝説的な騎士たちの話で、ませた子供たちは彼を『嘘つき爺さん』呼ばわりしたものだが、幼かったフレーズは彼の語る胸踊る冒険譚に夢中になった。

 彼はまた、平和を愛する男だった。本土に小さな封土を持っていた彼は、それをほぼ唯一の肉親である甥に譲ってメロー島にやってきたと話していた。フレーズが理由をたずねると、彼はこう言った。


「本土にはくだらぬ争いが多いからのう。わしも昔はよく巻き込まれた」


 彼の言う『くだらぬ争い』とは、王侯貴族たちの政争に起因する小競り合いのことだと後に知った。


「どうして同じ国の仲間同士で戦うの?」


 十歳になった頃か。フレーズはそう訊ねたことがある。フレッドは困った顔をして少し唸ってから、次のような話をしてくれた。


 人は持ち物が多くなると、自分一人の考えや気持ちだけでは動けなくなる。それは責任というもので、王様や貴族のようなお偉いさんたちは、皆そのような悩みを抱えている。そのように大きな視点で物事を考え、動かす人たちは立派なものだ。

 だが、そうした大きなものばかり相手にしていると、時に小さなものを見落としてしまうようになる。誰のために、なんのために戦っているのかもわからなくなる。


「歳を取ると目が悪くなるようなものじゃな。わしもずいぶん視力が落ちた。だからわしはこの島に来たんじゃ。顔の見える小さな一人ひとりを大切にして余生を過ごしたくなってな」


 そう言って彼はフレーズの頭を撫でてくれたのだった。

 その手の暖かさを思い出し、フレーズは笑みをこぼした。それからおもむろにその場にしゃがみ、墓碑に刻まれた彼の名に向かって言った。


「ありがとう、おじいちゃん。やっぱり私、この島を守る騎士のままでいることにするわ」


 三年前に亡くなるまで、フレッドはこの島の平和を無償で守ってくれていた。島民同士のいざこざが起きれば駆けつけて納め、たまに海賊が来れば自警団の先頭に立って剣を振るった。流麗な彼の剣技にフレーズは憧れたものだ。

 騎士を目指したのも騎士物語の影響ばかりではなく、島の人々を守る彼の姿に憧れたからという理由も大きかった。そのことを、フレーズはあらためて思い出していた。



 そのまま屋敷へは戻らず、港に停泊している王国の軍船を訪ねた。警備の兵に聞くとゴーシュは留守らしい。けれどすぐに戻ってくるとのことで、フレーズは船内で待たされることになった。先日彼から重大な話を聞いた船室に案内される。

 ひとり船室に取り残されると、フレーズは少し不安を感じた。このあとゴーシュの誘いを断らなければならない。自分はうまく言えるだろうか。


 昨日ゴーシュが語った『大義』は、きっとものすごく重要なことで、誰かが成さなければならないことではあるのだろう。

 けれど、やはり自分にとっては遠大すぎて手に負えない。そうフレーズは思う。

 それに、ゴーシュがあれほど自分に執着する理由がわからない。〈真の神器〉なるものを探すにしても、それが王城の中にあるのなら、もっと城内に詳しい者に協力を仰ぐべきだろう。そもそも自分は、城の中に入ったこともなければロホランという人物のこともほとんど知らないのだ。


「……ロホラン?」


 ふと、その名前をどこかで聞いたことがある気がした。

 ――ロホラン様は戦いがお好きなお方じゃからのう。


「……あ」


 思い出した。かつてその名前をフレッドが口にしていたことを。

 ――もしもあのお方が王位を継承していたらどうなっていたことか。

 そう語った彼は、なんだか難しい表情をしていた。


 そういえば、先日街を歩いていた時も男たちが噂していたのを聞いた気がする。

 ――ロホラン様が次の王様だとよ。

 ――戦争になるかもしれんな。


(……いやいや、だとしても)


 ――まぁ、うちの島には関係ねえだろ。

 男たちはそうも話していた。


「……関係ないわよね」


 そう自分に言い聞かせるように呟いたとき。


「おい、本当にロホランの旦那の筋書き通りなんだろうな!」


 聞き覚えのある声が聞こえ、フレーズは驚いて固まった。


「これ、大きな声を出すでない」 


 声のした方を見る。木の壁に穴が開いていた。隣の船室に誰かがいるらしい。

 フレーズはそっと歩み寄り、壁の穴をのぞき込んだ。

 倉庫のような暗い室内で、二人の男がなにやら話している。一人はキホルとかいう小柄な老人のようだ。

 もう一人、いましがた聞いた声の主は――昨日島を襲った海賊の船長だった。


(アイツ、捕まったはずじゃ……?)


 心の中でそう呟く。

 その呟きを、海賊船長の怒声がかき消した。


「怒鳴りたくもなるだろうが! こっちはあのふざけた野郎に殺されかけたんだぞ!」


「だが一人の死者も出なかったであろうが」


「たまたまじゃねーか!」


「あのゴーシュは決して人を殺せはせん。正義の騎士を自称する青二歳じゃからな」


「はっ、それも計算済みってか?」


「そうだ。この私とロホラン様による計画のな」


「ほー、さすがは宰相キホル様だ。俺みたいな海賊風情とは頭の出来がちげえらしいや」


 吐き捨てるように男は皮肉を言った。


「そう機嫌を悪くするな。ほれ、約束の金だ」


 そう言ってキホルは持っていた麻袋を海賊船長の足下に投げ落とす。中に金貨が詰まっているらしく、じゃらりと音が鳴った。


「んなはした金……と言いてえところだが、あんたらが俺にこの島をくれるまで食い繋がなきゃいけねえからな」


「誰が貴様にやると言った。この島は私のものになるのだ。ロホラン様が王になった暁にな」


「魔術兵器の研究所だっけ? 大陸の法の網から逃れるためにこんな辺鄙な島で兵器開発とは、あんたらもつくづく戦争がお好きなこった」


「王国の平和を思ってのことだ。近頃また蛮族どもが活発に侵入を試みておるからな」


「あんたは私服を肥やしてえだけだろうが」


「なら、貴様は私腹を肥やす機会をみすみす無駄にするのか?」


「なわけねえだろ。あんたらに協力すれば、この島の一部を俺たちが拠点にするのを黙認してもらえんだろ? こんなチャンスを逃す訳がねえ」


「それでいい。貴様の役目はひとまず終わりだ。しばらくは姿をくらませるがいい」


「仲間は解放してもらえるんだろうな」


「もちろんだ」


 海賊船長はようやく納得したように金貨の袋を拾い上げた。その彼にキホルが、ゴーシュとその直属の部下たちが別室で会議中であることを告げる。その後、二人は立ち去っていった。



 一部始終を聞き終えたフレーズは、脱力したようにその場にへたり込んだ。


「この島で兵器の開発を……?」


 ――ロホラン将軍は戦いがお好きな方じゃからのう。

 フレッドの言葉が再び脳裏によみがえる。

 ドッドッドッ……。心臓が音を立てていた。

 よろよろとフレーズは立ち上がった。そして、なにかに追われるかのように船室から駆け出ていった。

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