第4話 仲直り
古く重厚な扉。それを若い女の手が上品にノックする。
「どうぞ」という声に「失礼します」と返し、メイドのミルティーユは客人を部屋に招き入れた。
「ほー、なかなか立派な居間だな」
無一は室内をひと目見て感嘆した。彼自身もいまは清潔な服を着て、さっぱりとした格好をしている。
「居間というか応接間というか、まぁそんな感じね」
聞き慣れた、けれど以前と違い穏やかな声。
部屋の奥に置かれたソファにフレーズが腰掛けていた。
無一は周囲を見回す。石造りの壁や床の絨毯、テーブルや椅子を始めとした家具調度品。どれも古そうだが、よく手入れが行き届いている。
堂々と脚を組むフレーズに促され、無一は対面のソファに腰を下ろした。
その二人の前にミルティーユが紅茶を差し出す。
「昨夜はよく眠れた?」
爽やかな香りを楽しみながらフレーズがたずねる。
「夕過ぎに目がさめた割にはな」
「かなり疲れてたものね」
「おかげさまでな」と無一は苦笑する。
一昨日の夜。宿屋でフレーズと激闘を演じた無一は、彼女が履いていた下着を“盗む”ことで勝利を収めた。
だが、そのかどで激怒したメイドのミルティーユに蹴飛ばされ、彼は昨日の夕方になるまで気を失いつづけたのだった。
「ま、そのあとはこうしてうまい飯や服をもらったり、女神様みたいな美女に甲斐甲斐しく世話してもらったりしたからな。感謝こそすれ恨む気はねえよ」
無一はフレーズの傍らに立つミルティーユに目配せをする。
だが、当の美人メイドは完璧な微笑を少しも崩しはしなかった。
「わたくしは、お嬢様のお申し付け通りにいたしたまでですわ」
つくづく美人だな、と無一は鼻の下を伸ばしながら思う。
二十歳をいくらか過ぎたくらいか。それ以前に出会った二人の少女とは違い、成熟した女の魅力に満ちあふれている。女性としては背が高く、全体としては細身に見えるのに、胸と尻は見事としか言いようのない豊満さ。ともすれば下品だとか、非現実的で不健全だとかと
ひと目見た瞬間から、無一は彼女の美しさの虜だった。初対面でいきなり痛烈な前蹴りを食らったことさえ、いまや『運命的な出会い』と題された記憶の額縁に飾られている。
それに比べて。
「ところで、おまえはなんで猫耳なんか生やしてるんだ?」
「み、ミルティーユの趣味よ! 断じて私のじゃないんだから‼」
フレーズは慌ててカチューシャについた猫耳を隠そうとする。
だが、すかさず横からミルティーユの手が伸びてきて、とがめるようにその手を掴んだ。
「お嬢様、猫は『にゃー』と鳴くものですよ? 語尾には『にゃー』か『にゃん』と付けていただかなくては」
「うぅぅ、わかってるわよ……にゃん」
「はぁあ~~~ん! おかわゆいですわ~~~♡ お嬢様がダメにされたマントを縫い直す活力が湧いてきますわぁ~~~~~♡♡♡」
彫像めいた美貌のメイドは突如として相好を崩した。
なるほど趣味か。哀れなりフレーズ。
「……それはそうと、おとといの夜のことだけど」
フレーズは話題を変えるべく、再び無一に水を向ける。
「ポミエちゃんから話は聞いたわ。その……あのときはごめんなさい。勘違いで剣を向けたりして」
「向けたというか、斬りかかってきたよな?」
「だ、だから謝ってるでしょう?」
「わかってるって。まぁ勘違いされても仕方ない状況だったからな」
実はあながち勘違いとも言えない部分もあったのだが、そのあたりはポミエがうまく話してくれたらしい。
「そういえば、ポミ公はどうしてる?」
「ポミ公? ポミエちゃんならまだ寝てると思うわ。なんだか昨夜も息苦しそうにしてたし、ちょっと心配よね……」
思案する時の癖なのか、フレーズは虚空を見上げながら紅茶を口に含んだ。
「あいつはサキュバスだからな。おおかた発情でもしてるんだろ」
「? ハツジョウって?」
「……とにかく、あの日はこっちも悪かった。ごめんな、パンツ盗んだりして」
「――ぶっ‼」
フレーズは唐突に紅茶を吹き出した。恥ずかしい記憶を思い出したらしい。
「…………ま、まぁ、話が早くて助かるわ」
ミルティーユに差し出されたハンカチで口元を拭うと、フレーズは無一に手を差し出した。
虚を突かれた無一が呆然としていると、彼女は不思議そうに小首を傾げる。
「仲直りの握手よ。アンタの故郷ではしないの?」
「いや、意外だと思ってな」
「意外って?」
「なんつーか、おまえは『二度と触らないで、このヘンタイ!』とか言うタイプかなーって」
「なによその偏見……」
「お嬢様は寛大なお方ですから」
ミルティーユが二杯目の紅茶を注ぎながら私見を述べる。
「……まぁ、怒りっぽいところがあるのは否定しないわ」
フレーズは溜息をつきながら膝上に手を戻した。
「けど、私は過去よりも未来を重視する主義なの。というか、少なくともそうありたいと願ってるわ」
「……なるほど」
無一は自分の手を見た。
つい先日、目の前の少女の下着を奪い取った時の感覚が蘇る。
「……ミルティーユさん、なんか手を拭くものとか持ってねーかな?」
「うふふ、こちらに」
美人メイドはにこやかに微笑み、湿らせた清潔なタオルを差し出してくる。
それを受け取った無一は、自らの手を丁寧に拭き清めた。来る前に洗ったばかりだったが、気持ちの問題だ。
「そんじゃ、あらためてよろしく頼むぜ」
「まったく。仲直りしたくないのかと思ったじゃない」
フレーズはホッと息を吐き、差し出された手を握った。
「……ところで、いくつか聞きたいことがあるんだが」
「いいわよ。けど、その前に私からも聞いていいかしら? たぶんこっちの質問の方が早く終わると思うから」
「おそらくですが、無一様の方が多くのご質問をお持ちでしょうから」とミルティーユが補足する。
「わかった。なんでも聞いてくれ」
無一はそう言って紅茶をひと口すすった。
「それじゃあ、ふたつほど」フレーズは人差し指と中指を見せるように立てる。
「第一に、アンタはいったい何者なの? 異国から船で来たと聞いたけど、ひょっとして〈オルン〉の……大陸の外から来たってこと?」
無一は頷いてみせる。
「訳あって祖国を離れたくてな。海を渡ってきたんだ。本当はもう少し近い国に行くつもりだったんだが、いろいろあって船が流されたらしい。……で、ここがその〈オルン〉なのか?」
「わたくしたちがいま立っているこの地は、〈メロー島〉という小さな島なのです」
ミルティーユは銀の丸盆を二人の前に置いた。紅茶を運ぶのに使っていたものだ。
それからフレーズに断り、彼女のカップをその丸盆の傍に置く。大小2つの円形がテーブルの上にわずかに離れて並んだ形だ。
「この大きなお盆が〈オルン〉という大陸で、小さなカップが〈メロー島〉ですわ。そのふたつの間が海、ということになりますわね」
子供に教え諭すように優しく説明してくれる。いい女教師になれそうだ。
「にしても、〈オルン〉の外から来た人なんて初めて見たわ」
フレーズは瞳を輝かせている。大陸の外から人が来るのはよほど珍しいことらしい。
「それじゃあ次の質問。どうして私たちと同じ言葉を喋れるの?」
「あぁ、言葉の問題か。最初はチンプンカンプンだったな」
「『最初は』って? こっちには初めて来たんでしょう?」
「海の上で漁師のおっちゃんに教わったんだ。最初に乗ってた船が嵐に遭って、どのあたりかもわからねえ海を漂ってた時に助けてもらってな」
彼はひと月ほどで言葉をマスターしたことや、その漁船もまた嵐で難破してしまったことを二人に語った。
「ホントかしら?」
「お嬢様。殿方の冒険譚にはとりあえず相槌を打っておくものですわ」
「……ま、信じるかどうかはそっちの自由だ」
ともあれ、ひとまずフレーズの疑問はだいたい解消したようだった。
「なら、今度はこっちが聞く番だな」
いきなり本題に入ってもいいが、その他にも聞きたいことは山ほどある。
幸い時間はたっぷりと用意されているようだ。フレーズは「なんでも聞いて」とばかりに悠然とソファに背中を預けているし、ミルティーユは焼き菓子を盛った皿をちょうどテーブルに置いたところだった。
本題については最後に聞くとするか――無一は心の中でそう決めた。
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