第21話

 車が長野に入り向かったのは、緒方が通っていたという中学校である。

 山間にあるいわゆる田舎の学校らしいのだが、琥太郎は山々が視界いっぱいに広がる窓の外の景色があまりにも珍しくて道中ずっとガラスに額をくっつけていた。瀬立はそれが面白いらしく、ずっと笑っていた。しょうがない、都外は初めてでここまで山がある景色は生まれて初めて見るのだ。

 近くの駐車場に車を止めると歩いて学校まで向かった。夏の気配を十分に感じる草木の匂いが東京よりも随分と濃い。

 校門をくぐる。琥太郎にとっては久しぶりの行動だが、他所の学校なので少し変な気分だ。校内に入り、事務室の五十代くらいの男性に用件を伝える。すると男性はああ、と頷いて入校許可証を渡してくれた。そして少し待機するように要求すると、放送を入れた。それから少しすると、白髪混じりの階段から降りてきた。

「どうも、こんにちは。瀬立さんですか?」

 瀬立は人当たりのいい笑顔で答える。

「はい。緒方さんの代理でやってきました、瀬立瑞樹と申します。こちらは部下です」

 瀬立は名刺を差し出しながら琥太郎を雑に紹介した。

「どうも」

 軽く頭を下げると男性も礼を返した。その顔は琥太郎を見て少しだけ不思議そうに眉を寄せる。琥太郎が見つめ返すと、男性は慌てて目線を逸らした。挨拶が思ったよりも失礼だっただろうか。

「緒方さんから連絡は頂いています。私は副校長の成田と申します。立ち話もなんですから、こちらへどうぞ」

 そう言って成田は琥太郎たちを会議室へ案内した。絶妙な閉塞感を感じさせる古びた紙の匂いがする部屋だ。成田は琥太郎達を会議室に案内すると、資料を持ってくるまで待機するように言った。

 本日こうして中学校に足を運んだのは、昨日緒方が自分にできることがあるならという言葉に甘えたからである。瀬立が彼に頼み込んだのは中学校に連絡を取って欲しいということだった。いくら緒方の代理人とはいえ、部外者にやすやすと卒業生徒の情報を教えてくれるはずはないと思ってのことだった。

 正直、中学校に連絡して景倉彩香の進学先が知りたい、くらいだったら理由を話せば電話で教えてもらえそうな気がしていた。しかし緒方にはそれができなかったのである。どうやら琥太郎達が思うよりもずっと忙しいらしく、学校に人がいる間に連絡ができないようだった。最近では朝から晩まで任せられた仕事のことで精一杯で、休日も会社に出向いているらしい。昨日はたまたま早く上がれただけで、いつもならもっと遅い時間に帰宅しているそうだ。加えて、緒方という人間は同時進行ができるほど器用ではないのだという。琥太郎としてはとてつもないブラック企業では、と思ってしまう。

「それにしても、どうして他の人たちは学校に連絡しなかったんだろうね」

「え?」

 神妙な面持ちで瀬立が呟く。

「だって、緒方さんの他にも同窓会の主催者はいたわけじゃない。ほら、『主催の一人に』って緒方さんも言ってたでしょう?なら、他の人が連絡を取ればよかったのに、どうして誰もそれをしなかったんだろうね」

 確かに、言われてみればそうだ。他の人にはほとんど連絡もついていて、景倉に連絡が取れていないことはきっと知っていたはずなのに。主催の全員が緒方のように忙しい日々を送っていたと考えるのは少々無理がある。

 ならば、なぜ。

 そこまで考えた時、会議室の扉が開いた。

「お待たせしました」

 成田が何冊かファイルを持ってやってきた。それを琥太郎達の前に置かれた長机の上に広げる。

「昨日の夜、教員の帰り際に連絡があったものですから、調べがついていなくて。生徒の名簿がこちらで、当時の教員のも役立つかなと思って持ってきました」

「すみません、少し急いでおりまして。ありがとうございます。拝見します」

 瀬立は渡された青いファイルを開いた。そこにはずらりと人の名前が載った名簿が表になっており、名前の横には進学先が書かれている。ファイリングの一番最初のページは今年の三月に卒業した最新の卒業生のものだ。緒方の代はこの十年前である。

 瀬立はペラペラとページを捲っていく。琥太郎はページを覗き込むようにしてページの端を見ていた。

 ピタリ、と瀬立の長い指が止まる。人差し指はそのままページの上から名前をなぞっていく。そして『緒方俊平』の場所で止まった。

「これが緒方さんのだね。そして」

 人差し指がわずかに下がる。ちょうど一行分だ。

 そこには『景倉彩香』と記されていた。

「見つけた」

 瀬立が呟く。意外にもあっけなく見つかった名前に琥太郎は驚きつつも安心した。そのまま目線をずらし、名前の横に記された進学先に目をやった。

「『私立緑山高校』...?」

 それに反応したのは成田だった。その顔は随分と驚いた顔をしている。瀬立が聞いた。

「緑山高校は、どんな高校ですか?」

「ここから随分遠くの学校ですよ。山を越えた先ですから。それに、あまりいい高校ではないんです」

「というと?」

 瀬立が問うと、成田は声を抑えながら囁くように言った。

「緑山高校は評判が良くないんですよ。いわゆるヤンキー校というか、不良が多くて。生徒だけならともかく...いや、そうではないのですけど、加えて教員達もあまりいいとは言えなくて。勉強の指導もそうですけど、生活の面においても嘘だか本当だかわかりませんが、良い噂は聞きません。だから、うちの生徒達にはあそこの高校はなるべく避けるようにと言ってあるくらいです」

 成田の顔は話している間にどんどん眉間に皺がよってその状況がうかがえる。一体どれだけやばい学校なんだ、と琥太郎が顔を引きつらせている横で、瀬立は名簿を見つめた。

「それは、十年前も同じ状況でしたか?」

 成田は険しい顔で頷いた。

「ええ。十年前どころか、あそこの良くない評判はここ最近の話じゃないですよ。言葉を選ばずに言えば、伝統のヤンキー校です」

 ということは、景倉がいた当時も教員から指導されていたということか。

 だとしたら、どうして景倉彩香は緑山高校に進学したのだろう。間違ってもアルバムで見た景倉の姿は不良には見えない。

「教員名簿の方も拝見していいですか?」

「ええ、どうぞ」

 ありがとうございます、と瀬立は笑みを浮かべてファイルを開いた。緒方と景倉が在籍していた当時の教員を調べる。

「ああ、この人だね。緒方さんが言ってた人は」

 瀬立の指先を見ると、そこには『兎田信人うさいだのぶと』と書かれている。詳しく見ると緒方と景倉のクラス、三年二組の担任だったことが記載されていた。

「兎田さんは緒方さん達を担任したあとに定年退職されてるね」

「そう言えば、数年前に亡くなったって言ってたな」

 ということは七十いくつで亡くなったというわけか。しかし、それがわかったところでどうにもならない。せいぜいその死を悼むことくらいだ。自分の無能な頭が憎く感じる。

「あの、成田さん」

 瀬立が問うた。そしてファイルの一部を指で示しながら聞く。

「この人のこと、ご存知ですか?」

 琥太郎は成田と同じ動きで瀬立の指先を見る。そこには『斎藤美佳さいとうみか』という女性の名前が書かれていた。琥太郎は最初瀬立の意思がわからなかったが、名前の横に書かれていた文字を見て納得した。

 斎藤美佳。当時の緒方と景倉の副担任だ。

「ああ、斎藤先生ですね。知ってますよ。二年くらい前までうちで働いてました」

「彼女は今どこにいるかわかりますか?」

 すると目線を宙に向ける。記憶の引き出しを開け放っているようだ。

「そうですね...確か、長野市の方の高校に転勤になったと思います」

「連絡することはできますか?」

 瀬立が聞くと、成田は意外にも簡単に頷いた。

「はい。職員の中に知っている人がいると思います」

「ではお願いします。連絡が取れたら名刺の方の電話番号にお願いします。そうですね、用件は『景倉彩香のことで聞きたいことがある』でお願いします」

 早足で説明した瀬立に成田は困惑の表情を浮かべたが、なんとか頷いてくれた。

「では、僕たちはこれで。協力してくれてありがとうございました」

 瀬立はそれだけ言うとそそくさと会議室を出てしまった。ぽかんとしか顔をする成田に琥太郎は、

「ありがとうございました。すみません、うちの上司、ちょっとだけ変なやつなんです」

と言って瀬立を追いかけた。

 一人会議室に残された成田は不思議そうに足音の聞こえる先を追うだけだった。


「待てって瀬立!」

 長い足で廊下をすたすたと歩いて行く瀬立を琥太郎は小走りで追いかけた。瀬立は少しだけ振り向いただけで速度を落としはしなかった。

 やっとの思いで追いつくと、瀬立が呟いた。

「この依頼、思っていたよりもずっと深そうだね」

 琥太郎はやや上がった息を整えながら瀬立の顔を見た。その顔はいつものふにゃふにゃの笑顔ではなく、いたって真面目な顔だ。

「深い?」

 琥太郎は聞き返した。瀬立は瞬きで頷き、

「闇が、かな」

と言った。その声はいつも通り涼やかだが、ひどく冷淡に聞こえる。

 闇が、深い。

 瀬立の言っている意味は正直わからない。それは今に始まったことではない。きっと瀬立はその頭の中で琥太郎の何倍も何百倍も色々なことを知っていて、そして考えている。だから琥太郎にわかることなんてほとんどないし、その頭を琥太郎が再現することはできないが、しかし、少しずつ何かが引っかかっているような感覚は琥太郎にもあった。

 景倉を探さなかった主催者達、学校が忌避するような高校に進学した景倉本人。そもそも、誰にも進学先を言わなかったのは何故なのか。

 これは推理とかそういう理屈ではない。何かがあるような気がする。直感でわかる。

 校門に差し掛かった時、瀬立が口にした。

「もしかすると、見つけるだけじゃ終わらないかもしれないね」

 その言葉が的中することを、なんとなくだが琥太郎はわかっていた気がする。

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