Ⅲ 捜し続けたあなたへ

第19話

 夕暮れの教室、窓から吹いてくる風でカーテンが揺れていた。開いた窓から聞こえる校庭のサッカー部の声とは対照的に、教室は非常に静かである。

 その真ん中で、俺は彼女に聞いた。

「景倉はさ、将来の夢とかある?」

 突然の問いに彼女は一瞬驚いたような顔をしてから、少し考え込むようにした。なんてことない仕草だったのに、十年経った今もその姿が頭から離れない。

「そうだな...私は」

 そのさきの答えを、なぜかずっと思い出せないでいる。


 夏の祭りから二週間が経ち、九月になった。とはいえ、まだまだ暑い日が続いている。

 そんな残暑の夕暮れ後の話である。

「ただいまー。あー!疲れた!」

 家に着くや否やプライベート用ソファに倒れこんだ。

「お疲れ、琥太郎。見つかった?」

 瀬立が冷たい麦茶をグラスに入れてガラステーブルに置く。琥太郎はうつ伏せのまま答える。

「あーありがと。見つかったよ。瀬立の方は?」

 顔だけ瀬立の方に向けた。瀬立はにっこりと笑った。どうやら解決したらしい。

 例の夏祭りが終わり、琥太郎達の活躍が会報に載ってから依頼の量はとてつもなく増えた。落し物捜索や逃げ出したペットの捜索、子供の面倒を見るなど、何でも屋らしく多岐に渡って駆り出されている。町内会の力は凄まじい。

 しかしその忙しさがむしろ琥太郎にはちょうどよく感じていた。如何せん今までの日々は息つく間もなかったため、少し忙しいくらいが性に合っている。

 ちなみに今日は逃げ出した猫の捜索に行っていた。朝から町中駆け回り、日が暮れるまで猫を追い続けようやく見つかったというわけである。対して瀬立は悩み相談に乗って欲しいという依頼だった。最初この依頼が入った時、どうしてそんな依頼がとも思ったのだが、これが意外と好評らしくちょっとしたブームになっている。主に女性からがほとんどだが、瀬立は留学の経験もある上にそれなりに有名な大学で勉強していたそうなので役立つ知識を聞けると人気らしい。物腰が柔らかな上に顔がいいので、意外と需要はあるようだ。

 ソファに沈みかけた琥太郎は瀬立の手に見慣れぬものを見かけた。

「なにそれ」

 なにやらノートのようで、端がよれた表紙にはNo.16と書かれている。

「ああ、これね。実は集めた音の記憶をまとめてるんだよ。悩み相談が思ったよりも早く終わったから、聞いた音の話をまとめてたんだ」

 琥太郎達はもちろん依頼をこなすだけではない。人々から音の話を集めるのも同時進行で行なっていた。依頼者達は暖かい人間が多いのか、意外と無茶振りとも思える話も答えてくれた。趣味に付き合わされている琥太郎にとっては正直どうでもいい話だが、瀬立としてはありがたい限りだろう。

 琥太郎はソファから体を起こす。こうダラダラしてはいられない、今日の夕食を作らなくては。

 そう思った時だった。

 ピンポン、とインターホンが鳴った。

 こんな時間に誰か用だろうか。琥太郎は瀬立を見たが、首を横に振る。どうやら予約が入っていたわけではないらしい。そもそも予約が入っていてもこんな時間には設定しない。なるべく生活の支障にならない時間帯に設定しているのだから。

 わけもわからないが、とりあえず瀬立が玄関へ向かった。琥太郎は飯のためにキッチンへ向かいエプロンを首にかけたのだが、それは完全に着られないまま戻される。

 瀬立が人を連れてきたのだ。

「お客さんだよ、琥太郎」


 事務所にやってきた客は来客用のソファに案内された。瀬立は机を挟んで反対側の一人がけのソファに、琥太郎はその横の座高の低いシンプルな作りの椅子に腰を下ろした。親戚の持ち物だった椅子らしく、とりあえずはこれで我慢してほしいと言われたが、琥太郎としてはとても気に入っている。

「うわ、なんか...思ったよりも家ですね」

 瀬立が紅茶を置いたテーブルの前で依頼人が呟いた。瀬立は笑みを浮かべて答える。

「ええ。ですので緊張しないでリラックスしてくださいね」

「あ、はい!ありがとうございます」

 短めの黒い髪に少し日焼けした肌がいかにも健康的な印象を与えるスーツ姿の青年が答えた。にかっと笑ったその笑顔も、イメージ通りである。

「すみません、こんな時間に来てしまって」

「いえいえ。構いませんよ」

 と瀬立は言ったが、横にいる琥太郎はそれに心の中で反論した。こんな時間に来られては飯の時間が遅くなってしまうじゃないか。

 そんな頭の中を覗かれないように必死に真顔で耐えつつ、琥太郎は青年に向き合った。

「それで、今日はどういう依頼で?」

 本題に入り、青年はやや姿勢を正した。そしてまっすぐな声で言った。

「人を、探してほしいんです」

 言うと青年は通勤カバンの中からある一冊の分厚い本を取り出した。しかしすぐにそれは本ではないことに気づく。

「...アルバム?」

 青のベロアの表紙に『卒業』という文字が刻まれている。それは紛れもなく学校で貰う卒業アルバムだった。

「実は、今度中学校の同窓会をやることになりまして」

 青年は緒方俊平おがたしゅんぺいという名前で、近くの会社で働くサラリーマンだという。現在二十五歳で、朝から晩までバリバリ働いているためにこの時間帯に事務所にやってきたらしい。

「中三の時のクラスで同窓会やろうってことになったんですけど、ほら、今年でちょうど十年経つってことで。それで、その主催の一人に選ばれまして、俺。それで同窓会のお知らせするために、当時のクラスメイト達に色々連絡とってるんですけど、他の人たちはほとんど連絡ついたんだけど、一人だけ全然わからない人がいて」

 すると緒方はペラペラと机の上に置いたアルバムを捲る。そしてあるページでピタリと手を止め、アルバムを琥太郎たちの方へ向けた。

「この人なんですけど」

 琥太郎は身を乗り出しアルバムを覗く。緒方が指先で示した先には、一人の女子生徒の写真が載っていた。

「名前は景倉彩香。この人を探してほしいんです」

 緒方は真剣な表情で言った。

 琥太郎はもう一度アルバムに目を戻す。肩までの艶のある髪に大きくて華やかな目、整った形の唇は柔らかく弧を描き微笑を湛えていた。なかなかの美人である。

「俺も色々探してはみたんですけど、他の元クラスメイト達に聞いてみてもわからないらしくて。母校に行くにも、地方だからなかなか行けなくて。仕事が忙しくてなかなか時間も取れないし...だから、もうここはお願いしようっていう話になったんです」

 八方塞がりというわけだ。

「それは大変でしたね。わかりました、お任せください。そういう時のために僕たちがいますから」

 瀬立が笑顔で言った。すると緒方は少し顔を緩める。なかなかに切羽詰まっていたのだろう。

「では、今のところどこまで調べているかだけ、教えてもらってもいいですか?」

 瀬立が聞くと、緒方は眉を寄せて肩を落とした。

「実は...なにもないんです」

「なにもない?」

 琥太郎が聞き返すと、緒方は琥太郎を見て頷いた。なんというか、しっかり視線を合わせてくるその態度に人となりが現れている。真面目でまっすぐな人なのだろう。

「誰も知らないんです。潮田中学...あ、俺たちの母校の中学を卒業した後の進学先を、誰も知らないんです。景倉本人から聞いてないって、だから知らないって」

「進学しなかった、ということは?」

 瀬立が聞くと、緒方は首を横に振った。

「いえ、それはないと思います。だって俺、聞いたんですよ。景倉、受験勉強もしてたし、それに卒業前に『四月から高校生だね』って話したんです。だから、進学はしてるんだと思います」

 彼女、嘘をつくような人じゃなかったから。

 そう言った緒方の眼は驚くほどにまっすぐで、純粋で、正直だった。

 瀬立は頷き、しかし表情は真剣な顔で聞いた。

「わかりました。では、当時の担任の先生などには?」

 緒方は首を振った。

「担任の先生は亡くなってるんです。数年前...確か二年前、とかかな。それくらいに。だから、なんの手がかりもなくて。現地に行けば色々情報を得られるんでしょうけど、如何せん時間が取れなくて」

 聞くと今は任せられた事業のために動いているらしく、手が離せられないようだ。

「見つけたいんです。どうしても」

 その表情が少しだけ泣いているように見えたのは、琥太郎の気のせいだったのだろうか。

「わかりました。依頼の性質上、緒方さんの協力が必要になることもあると思います。その時は協力してください」

「ええ、もちろんです。俺にできることがあれば、なんでも。あ、そうだ...一つ聞きたいんですけど」

 瀬立は茶目っ気いっぱいに首を傾げた。こういう仕草はなんというか、顔に似合わない。

「音の話、というのは?」

 やっぱり、と思ったのは琥太郎である。

 瀬立は嬉しそうに笑った。

「趣味なんです。人の中にある音の話を聞くのが。人生の中で印象的な音とか、記憶に残っている音、忘れられない音...そういうのを集めていまして。緒方さんもよければ依頼完了までにお聞かせください」

 話の内容にか、あるいは瀬立のテンションが思ったよりも高くなったことになのか、緒方は一瞬困惑したように固まったが、すぐに爽やかな笑顔で答えた。

「ええ、ぜひ!考えておきますね!」

 彼はとてもいい人らしいことは十分に伝わった。

 緒方を見送り、琥太郎はキッチンへ向かった。とりあえず依頼は置いといて、胃袋を満たすことが先である。

 この時の琥太郎はこの依頼がその記憶に深く残るものになるとは、考えもしなかった。

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