第14話
久保田は瀬立の肩から手を離すと、たった今拾い上げた折り紙を瀬立の目の前に出した。そして勢いよく言った。
「鶴を折ってくれ!」
久保田の言葉に琥太郎は首を傾げる。しかし瀬立はわずかな沈黙も許さず、笑顔で返事をした。
「ええ。もちろんです!」
「本当かい?ありがとう、助かるよー!」
握手をし、にこやかに笑う二人に琥太郎は割って入った。目の前のあまりにもスムーズすぎる流れに一瞬ついていけなかったが、琥太郎はその依頼を必死に止めた。
「いやいやいや!そんな依頼内容も詳しく聞かずに!?こんな簡単に引き受けていいのかよ!?」
「ええ?だってもう鶴を折れっていう内容聞いたじゃない。それ以上もそれ以下もないよー。単純明快だ。ですよね、久保田さん」
「ああ。言葉の通りだな」
そんなバカな、とは思いつつも、代表と依頼者が納得しているのではただの従業員である琥太郎ではそれ以上追求することはできなかった。
しかしそれでも諦めきれなくて食い下がる。このままスルッと承諾するわけにはいかないはずだ。琥太郎は瀬立に依頼に必要な処理の話をした。以前東原が書いていたようなものを書かなければならないはずである。
「それはもちろん書いてもらうよ。いいですよね、久保田さん」
「ああ、もちろん。ただ、報酬の件なんだが...」
久保田はそこで顔を渋くした。もしや、とは思ったが、久保田のこれまでの態度からして報酬を払えないほどに生活が逼迫しているわけでもあるまい。
瀬立が問うと、久保田は事情を話した。
「まあ、なんというのかな。町内会のお祭りだろう?経費なのか自費なのかが微妙で、相談してからでもいいかい?」
なるほど、と琥太郎は思った。どうせ報酬の支払いは事後である。それまでに結論づけてくれればいい。先ほどまでの焦りはしっかりとした大人の会話によって琥太郎の頭から消え失せていた。別に琥太郎としても依頼が嬉しくないわけではないのだ。ただ、瀬立のたまに見せる楽観というか、勢いのみの行動が不安なのである。事実、それで琥太郎にクソ野郎と言われたのも事実だ。
久保田の話を聞いてふむ、と何か考えていた瀬立はポンと手を叩いた。
「では、こういうのはどうですか?」
久保田はなんでしょう、と聞き返した。瀬立は笑みを崩すことなく提案する。
「会報に僕たちのことを載せてくれませんか?恥ずかしながら、事業を始めたばかりで知名度がなくて困っていまして。これを機に街の方達に僕たちのことを知ってもらえば、それだけで十分報酬になりますよ」
すると久保田は顔を明るくさせた。
「おお!それいいね、うん、そうしよう!会報も賑やかになるし、瑞樹くんにも宣伝効果っていうメリットがあるし。そうだ、せっかくだから作業中の写真とかも撮って載せよう。その方が会報の雰囲気とも合うし、それに」
「それに?」
瀬立と琥太郎は声を合わせて聞いた。すると久保田は瀬立と琥太郎の顔を交互に見て、
「君たちみたいなのがいると、紙面が華やかになるからさ」
瀬立はありがとうございます、と素直に受け取った横で、琥太郎は引き攣った笑顔を浮かべた。
はは、俺は引き立て役ですか。
事務的な処理は後で行うとして、とりあえず材料や現在の進捗状況を確認しようとそのまま商店の二階へ上がらせてもらった。
中は質素な部屋で、先ほど窓から顔を出した年配の女性の他に、黄色のエプロンを身につけた五〇代くらいの女性がいた。彼女たちは入ってきた琥太郎たちに小さく挨拶をした。
「手伝ってくれる人を探してきたよ」
先頭を歩いていた久保田が琥太郎達を紹介した。
マダム達が囲むテーブルの上には色とりどりの折り紙達がそれなりの厚みをしてずらりと並べられていた。まさか、これを全て折るとでも言うのだろうか。
「さっき拾ってもらった分とここにある折り紙全部、それにあの部屋の隅にあるダンボールの中の折り紙、全部折ってもらいたいんだ」
琥太郎は目と耳を疑った。今、机の前にある折り紙の数だってそれなりの量なのに、まだダンボールの中にもあるという。いやしかし、ダンボールの中には意外と少ない、みたいなことだってあるかもしれない。部屋の隅にあるダンボールは二つ。実は中に入っているのは空間の方が多い、みたいなこともあるかもしれないと琥太郎は言い聞かせてみた。
「ダンボールの中、拝見しても?」
瀬立が聞くと、久保田がもちろん、と答えた。
瀬立についていき、琥太郎は瀬立が開いたダンボールのその中にあるものを確認した。
開けて、静かに閉じた。琥太郎が抱いたわずかな希望は見事に打ち砕かれた。
「全部、ですか」
「全部、だね」
「そうですか」
泣きたくなった。希望を持って見積もっても二人で来週末までに終わるとは思えない。
とんでもない依頼を引き受けてしまったな。琥太郎は静かに、天を仰いだ。これは当分折り紙をしながら食事ペースだ。
「ちなみに、いつまでに完成させればいいですか?」
瀬立が笑みを崩さずに言った。どうしてこいつの顔はこうも変わらないのだ。十分ピンチだというのに。
「来週の真ん中までには全部完成させてほしいな。飾りつけとかもあるからさ、じゃないと週末に間に合わない」
なぜだろう。先ほどからあんなに穏やかに見えた久保田の顔が鬼の顔に見えるのだ。
「わかりました。間に合わせますね」
瀬立は相も変わらず人のいい笑顔と涼やかな声で答えた。
誰でもいい。この男の胸ぐらつかんで目を覚まさせてほしい。
久保田の親切で借りた台車にダンボールを二つ乗せて商店街を後にした。道ゆく人から不思議な目で見られたのはこの際どうだっていい。それより一秒でも早く折り始めないと間に合わないことの方が問題だ。
琥太郎が台車を押し、瀬立が横で呑気に街案内なんかをしていると、ようやく事務所についた。なんだか随分と長く感じたのは台車に乗せた紙の束が重かったせいか、途方もない依頼のせいか、それとも呑気な上司のせいか。
玄関まで台車で乗り入れたが、そのあとは瀬立と二人がかりでダンボールを部屋の中まで運んだ。ちょうどプライベート用ソファの横を二つ、ダンボールが占領した。
運び終えた瀬立が聞いた。
「琥太郎、鶴折れる?」
「え、まあ一応」
一応小・中学校で一度くらいは鶴を折らされた経験がある。上手下手はわからないが、ちゃんと鶴の形にはなる。
「そっか。俺、折れないんだよね」
ダジャレじゃなくてね?と言った瀬立の冗談は聞こえなかった。それどころではない。その前の発言に恐怖すら覚えたからだ。
なんて?
「なんて?」
心の声と実際の言葉がシンクロするのは琥太郎の長所なのか短所なのか。それは今はどうだっていい。
「だから、折れない。鶴折ったことないんだよ。折り図を見ればなんとかなるとは思うんだけど...俺、不器用だからさ。一羽折るのも時間かかっちゃうと思うんだよね。あ、じゃあ俺は久保田さんのとこ行ってくるね。依頼書書いてもらうから」
留守番頼むね、という声を理解できたのは、一分後である。
これはなんという感情だろうか。ふつふつと湧いてくる怒りに似ているようで、けれど絶妙に力が入らない。むしろそれを波のようにさらってしまうものがあるのだ。かといって悲しいはずもない。不思議だ、こんなに色々と思うことがあるのに、不思議と穏やかなのだ。
琥太郎はその場に崩れ落ち、自分の行いを悔いた。
あの時止めておくべきだった。久保田が頼みたいことがあるんだ、と言ったその時、瀬立にちょっと待てと言ってやればよかった。その依頼、断った方がいいとあの時の自分に伝えてやりたい。くそ、どうしてこの世界にタイムマシンがないのだ。青い猫型ロロボットはなぜ実現しない。
猫の手も借りたい。何でも屋に依頼したいのはこっちの方だった。
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