第13話

 時は遡り、東原の一件が片付いた翌日のことである。

 悲しくも依頼も入っていないので、瀬立と街案内を兼ねて商店街へ行った時だった。

「お!瑞樹くんじゃねえか!」

「こんにちは、岡崎さん」

 商店街の一番端にある八百屋のいかつい親父に声をかけられ、琥太郎達は足を止めた。

「ちゃんと食べてるか?お前さんは料理ができないからなあ、心配になっちまうよ」

 店先まで出てきた親父に瀬立は苦笑しながら言った。なんだか随分と親しげである。常連なのだろうか。

「ええ、でも大丈夫そうです。今の世の中、便利ですから」

「そうか?ならいいけどよ。...その子は?」

 親父はようやく瀬立の脇にいた琥太郎に気づいた。

「ああ、雇ったんですよ」

 瀬立が言ったのをきっかけに琥太郎は頭を下げる。

「琥太郎といいます。よろしくお願いします」

 この八百屋は安い。普段使いにはもってこいだ。

 八百屋の親父はそうかそうかと言ってその浅黒い顔で笑い、琥太郎の肩をばんばんと叩く。

「頑張れよ、若者は働いてなんぼだ!」

「は、はい...」

 それはとても共感するのだが、肩を叩くのはやめてほしい。意外と力が強い親父だ、肩が痛い。

 また今度、と挨拶をして八百屋を去る。すると今度は肉屋の前で止められた。

「あら瑞樹くん!」

「こんにちは」

 瀬立は笑顔で答えた。今度は婦人である。

 黄色い悲鳴をあげながら瀬立と話している。流石にこのビジュアルを持つ瀬立はご婦人方にも人気らしい。

 すると婦人はスタイル抜群のイケメンの横にいるみすぼらしい野良猫をようやく見つけた。

「あら、その子は?」

「うちの新しい従業員です。琥太郎っていいます」

「どうも」

 すると婦人はあらあ、と言って琥太郎の顔を見る。そして手を叩いて喜んだ。

「かわいいじゃないのー!やだ、どこで見つけたの?」

「道端で拾いまして。可愛がってくださいね」

 まるで拾った猫を紹介してるみたいである。それには突っ込みを入れたかったが、肉の安さに免じて抑えてやろう。この商店街は天国か。

 そんなことを考えつつ、肉屋を後にする。するとまたも店先で捕まえられ、このような出来事が数歩進むたびに起こるのである。

 それは全て、この瀬立瑞樹という男が理由だった。会う人会う人彼の名を呼んでは挨拶をしては他愛ない会話をしていくのである。

 商店街も終盤にさしかかったとき、琥太郎は聞いた。

「あんた、全員と知り合いなのかよ」

「まあね。普段から顔出してるから」

 それだけでここまで親しくなれるものだろうか。考えてみると、ある結論に至った。

「...顔か」

 瀬立は苦笑した。

「それもないとはいえないけど...特にご婦人がたは。でも、俺個人としては愛される力がそうしてるのかな、と」

「愛される力とか...自分で言うか普通」

「ほら、俺末っ子だから」

「知らねえし」

 しかし末っ子と聞けば少し納得できるのも事実である。自由奔放というか、人が許してくれることをわかってやっているような気がする。さぞ甘やかされてきたのであろう。でなければこの余裕は生まれてこない。

「琥太郎は兄弟とかいる?」

「いな...くはないのか」

 当然いない、と答えようとしたが、それは間違いであることに気づく。思い出したのだ。琥太郎はその場に立ち止まった。

 自分自身でも初めて気づいた。数年前、父には新しい家族ができた。ということは、自分には弟か妹かがいるのだ。

「聞いてもいい?」

 瀬立が落ち着いた声で聞いた。琥太郎はそれに頷く。

「ああ。いや、別に聞かれたくないとかそういうのじゃないんだけど、自分でも初めて気づいたっていうか」

 すると瀬立は安心したように小さく息を吐く。

「腹違いの...弟か妹がいるんだよ。多分...じゃないか、いるんだと思う。会った事ないけど」

 実に不思議な感覚だ。兄弟がいることに気づくことがこうも不思議だとは思わなかった。まあ、普通に生きていれば絶対に経験しないことだとは思うが。

「え、俺兄貴かよ」

「いや、そんな軽い感じ?すごいね琥太郎」

 珍しく瀬立が驚いている。それに琥太郎は驚きを覚えるのだが。

 弟か妹がいるらしい。とはいえだ。

「ま、会うことなんかないけどな。父親にも会うことないんだし、その新しい家族に会う事もないだろうし」

 どこか遠くで生きる会った事もない半分血が繋がった弟か妹のことを思って過ごせるほど、琥太郎の人生は充実していない。ニートは免れたが、今もこうして仕事がなくて散歩中だ。それなりの崖っぷちである。

 兄としてできることは、ただその幸せを遠くで祈ることくらいだ。

 ふと自分の置かれた状況を不安に思う。仕事が天から降ってこないだろうか。そう思った時である。

 降ってきた。空から大量の色達が。

 それはばさばさと琥太郎の上に降りかかり、瞬く間に地面に散らばった。鮮やかな色が地面いっぱいに広がる。

「なっ!?」

 突然の衝撃に動揺し、思わずしゃがみ込んだ。恐る恐る身を解くと、辺り一面には大量の紙が散らばっていた。しかしよく見るとそれはただの紙ではなく色鮮やかな折り紙であった。

 琥太郎の上に大量に降りかかった折り紙は、どうやら瀬立の上には降りかからなかったらしい。何事もなかったように(というか本当になかったのだろう)その場に立っていた。瀬立は悠々と腰を折ってそれを一枚拾った。

「折り紙?」

 瀬立はそれが降ってきた先を見つめた。天から降ってきたと思ったが、よく見ると商店の二階の窓が開き、そこから年配の女性がこちらを見下ろしていた。

「すみませーん!拾ってくださるー?」

 女性が上から言うと、今度は商店の横にある階段から年配の男性が降りてきた。

「ああ、すみません...って、瑞樹くんじゃないか!」

「こんにちは久保田さん。一体どうしたんですか?」

 建物から出てきた男性、久保田は拾いながら答えた。琥太郎も地面に散らばった折り紙をかき集める。

「いやあ、暑かったもんで扇風機をつけたら、ちょうど折り紙がその前にあってさ。換気で窓も開けてたもんだから、一気にばあっとね」

 男性は手を右から左へ波のように動かし、何があったかを説明した。

「それは災難でしたね」

 苦笑しながら瀬立は答え、拾い終えた折り紙を久保田に渡した。ありがとう、と言って久保田は笑った。

「あの、これ」

 琥太郎も拾い終えたものを久保田に渡す。すると久保田は同様に人のいい笑顔でそれを受け取った。

「ありがとう...って君、この辺じゃ見ないね。最近越してきた子?」

 その質問には瀬立が答える。

「ええ。うちで新しく雇ったんです。住み込みですから、これからよろしくお願いしますね」

 琥太郎は小さくよろしくお願いします、と言いながら頭を下げる。

「そうかいそうかい。私は町内会長の久保田です。よろしく」

 優しく笑う人だと思った。元大家の中野は常に怒っているような人だったが、久保田という人は実に穏やかな顔をしている。老人は全員同じような顔に見えるけれど、よく見ればこうも違うものだと不思議に思う。

「しかし、こんなに沢山折り紙集めて、何かするんですか?」

 瀬立が折り紙を抱えた久保田に聞いた。

「ああ、実はね、来週の町内会のお祭りで使おうと思ってね。ほら、去年瑞樹くんも参加してくれたやつ」

 聞くとそのお祭りは商店街を飾りつけ、お子供達にとっては一大イベントらしい。瀬立も去年はお手伝いとして参加したのだという。

「しかし当日は来週なのに、今から新しく準備ですか?去年は今頃には準備終わってましたよね」

 瀬立が言う。すると久保田は眉を下げ困った顔をした。

「いやあ、実はさ、ちょっと困ったことがあって」

 そこまで言うと久保田は何かを閃いたように目を見開き、そして瀬立の肩に手を置いた。

「そうだ!瑞樹くんがいるじゃないか!」

 久保田はそのままばんばんと瀬立の肩を叩き笑った。琥太郎と瀬立は顔を見合わせる。

 久保田はもう一度肩に手を置くと、その皺が刻まれた顔いっぱいに笑みを浮かべて言った。

「瑞樹くん、いや、『何でも屋』さん。頼みたいことがあるんだよ」

 わずかに驚いた顔をしたあと、瀬立はいつもの笑みを浮かべた。白い肌の鮮やかな唇が弧を描く。

「ええ。お任せください」

 琥太郎はその決断を見ていることしかできなかったのを心から後悔することになる。しかし、この時の琥太郎がそれを知るはずもなかった。

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