第8話

「ありがとうございました。それじゃああの件、よろしくお願いします。では、また後日」

 東原家の玄関先で瀬立は言った。その姿を送り出すのは東原百合とその息子、直斗である。不安そうな顔をしている東原の足に隠れるようにして直斗が瀬立を見つめていた。

「いえ...こちらこそありがとうございます。ごめんなさい、たかが鈴のために...」

 申し訳なさそうな東原に瀬立は首を横に振って答えた。

「たかが鈴じゃないんでしょう。少なくとも、東原さんにとっては。大丈夫です、何でも屋はそういうもののために存在するんですから。どんどん頼ってください」

 東原は今にも泣きそうな顔で瀬立を見た。その横で直斗が彼女の手を柔らかく握る。

「ママ...?」

 呼ばれ東原は我に返り息子の頭を撫でた。

「大丈夫よ、なんでもないの」

 そして東原は小さな手を握りかえす。すると直斗の顔にはみるみるうちに笑顔が咲いていった。

 瀬立は微笑み、改めて東原に挨拶をしてからその場所を後にした。


 琥太郎が子供達の攻撃に白旗を挙げ堂々と降伏したころ、瀬立が公園に颯爽と登場した。その顔は琥太郎とは真逆で実に涼しい顔をしている。腹が立った。

 瀬立は公園内で一番盛り上がっている場所、つまり一番近くの砂場に目を凝らす。小学生と園児達が土台の上で遊んでいた。その土台こそ、琥太郎である。

「おやおや」

 そんな声を出して一歩砂場へ近づき、中腰で子供たちの下敷きになっている琥太郎を労った。

「これはこれは、随分懐かれたね、琥太郎」

「...これのどこがそう見える?」

 上に乗っかられ、袖を握られ、髪を引っ張られている。汗と砂が混じって顔から何まで前人どろどろ。どれほど目が節穴でも懐かれているようには見えないだろう。

 しかし瀬立は微塵も気にせずに問うた。

「仲がいいのは結構だけど、聞き込みの方はどうなったのかな」

「それが...うぐっ」

 砂場の上に潰れる。背中にあの坊主頭が突進してきた。

「兄ちゃんしっかりしろよ!」

「いいから琥太郎お兄ちゃんから降りてよ男子!こっちでおままごとやるの!」

「これはこれは、本当に懐かれたんだね」

「だから...違うって...」

 本当は色々言ってやりたかったが、暑さも相まって疲労が限界だった。弱々しく瀬立に手を伸ばし、

「助けてくれ」

とだけ言ってうなだれた。

 瀬立は苦笑し、

「わかったよ」

と立ち上がった。

 そして子供達の間に割って入り、琥太郎から一人ずつ剥がしていく。

「ごめんね、そろそろこのお兄ちゃん、返してもらってもいい?」

 瀬立が坊主頭に優しく言うと、坊主頭は嫌そうな顔をした。

「えー?せっかく兄ちゃんで遊んでたのにー?」

 兄ちゃんで、じゃなくて兄ちゃんが遊んでやったんだぞという心の叫びは無情にも届かなかい。もう何かを言ってやる気もしない。体力の限界だった。

「そっか。ありがとうね、琥太郎と遊んでくれて」

 瀬立は笑顔で言った。すると坊主頭は誇らしげな顔で鼻息を鳴らす。

「それから、君達も。ありがとね?」

 次に男子の向かいにいたおままごと隊こと女子の方に言った。言われた女子たちは頬を赤く染めている。それはそうだろう、瀬立の顔の良さはそこらの人間とは比べものにならない。イケメンは存在するだけで人生を得している。

「琥太郎も色々お疲れ様」

「ほんとだよ。まったく...」

 この男の到着が遅れったせいでひどい目に遭った。子どもなんて関わるものじゃないと改めて実感する。

 落とせる範囲の砂を身体中から払い砂場から出る。すると瀬立が琥太郎の背を叩いた。

「ほら、琥太郎。お仕事だよ」

「は?」

 すると瀬立は子どもたちの方に誘導した。琥太郎は自分がやらなければならないことをようやく理解する。

 与えられた仕事は聞き込みだ。

「あ、あのさ、みんな」

 今度はしゃがまずに中腰で聞いた。しゃがんで姿勢を低くしたらまた上に乗っかられるかもしれないと思ったからである。

 子どもたちは先ほどとは打って変わって静かに琥太郎の話を聞く姿勢をとった。素直と無邪気とはつくづく恐ろしいものだと思った。

「みんなの中に、最近鈴を拾った人とかいる?」

「鈴?」

 皆口を合わせて知らない、と言った。ここまでやったのに成果なしとは、少々堪えるものがある。これではただ遊んでやっただけではないか。

 琥太郎が肩を落としたのを見て、瀬立が質問を膨らませる。

「じゃあ、最近お友達の中でそういう子はいないかな?もしくは、最近新しく鈴をつけてる子とか」

 それにもほとんどの子どもが首を振った。しかし、坊主頭の取り巻きが何かを閃いたような顔で手をあげた。

「あ、俺のクラスにいるかも」

 まさかの収穫だった。琥太郎は目を見開く。

「その話、詳しく聞かせてもらえる?」

 瀬立が問うた。すると少年は揚々と語り始めた。

「俺のクラスに吉田ってやつがいるんだけど、最近になってそいつのプールバッグから鈴の音がしてさ。動かすたびに音がするからうるさいなって思ってて。ちょっと前までは聞かなかったんだけど」

「それ、どのくらい前から?」

「んー、一週間くらい?いや、そんなにはならないかな」

 琥太郎は瀬立と顔を見合わせた。時期も東原が落とした時期と重なる。これはかなり使える情報かもしれない。

「ねえ、その子のこと教えてくれる?」



 チリン。

 軽やかな音がして、でもとても綺麗な音。

 それに何より、見た目が綺麗。

 手のひらの上で転がすたびにころころとその柄をふんだんに見せて、そして音がなる。

 あの日、目の前に突然現れた鈴は、私の運命だった。



「なんだよ、兄ちゃんたちもう行くのか?」

「もっと遊んでけよー」

 男子小学生たちが口々に言った。言葉では惜しんでいるように聞こえるが、その顔はすっかり舐め腐っている。

「うるせえ。遊んでやったんだ感謝しろ」

 もはや年長者としての尊厳などどこにもない。その生意気な面を指で小突いてやった。しかしその琥太郎の頭を瀬立が小突く。

「こら琥太郎。協力者だよ?ちゃんとお礼しなさい」

「はあ!?」

 そもそもこの男がもっと早く到着していたなら全身砂まみれになることはなかったのだ。湧いてきた怒りをぶつけてやりたくなる。

「ほら兄ちゃん、お礼お礼」

「『ありがとう』って言えるかー?」

「お前ら...」

 琥太郎は拳を握る。するときゃっきゃと声をあげながら男子小学生たちは公園から逃げ去っていった。

 瀬立はやれやれといった顔でため息をつき、大人しく公園に残った、琥太郎が最初に声をかけた女子小学生に近寄ってしゃがんだ。

「君達もありがとうね」

 別に彼女たちは何か有効な情報をくれたわけではない。しかし、彼女たちがいなければ琥太郎が砂場にいることはできなかったし、結果的にあの悪ガキたちと出会うことはできなかったのである。

 瀬立が目でお礼をするように合図した。それには素直に応じる。瀬立と同じくしゃがみこんで笑みを浮かべながら言った。

「ありがとな。助かったよ」

 すると女子たちは嬉しそうに跳ねた。それを横で見ていた瀬立が小さく呟く。

「...罪な男だねえ、琥太郎は」

「は?」

 何の話かわからず首を傾げる。しかし瀬立は笑顔で話を絶った。

 女子たちと別れ公園を後にする。来た道を戻り、事務所へ戻った。というのも、砂まみれになった琥太郎をどうにかしなければならないという瀬立の判断だった。確かに、このままでいるのは気分としても良くない。自分にとっても他人にとってもである。

「シャワーを浴びておいで。休憩にしよう」

 

 いかにも高級なシャワーを終えると着替え一式が律儀に畳まれてあった。琥太郎の衣服も砂まみれになったので洗濯機行きとなったのである。

 少し大きめのTシャツとスウェットを着て脱衣所を出る。

 瀬立はソファでくつろいでいた。しかし、そのソファは接客用のものではなく、ダイニングテーブルに近い側にあるもので、接客用のものよりもシンプルな作りになっている。

 携帯を操作していた瀬立は琥太郎に気づき、笑みを浮かべて言った。

「シャワーはどうだった、困ったこととかなかった?」

「いや、別に。ありがとう」

 琥太郎の感謝に瀬立は笑みで答えた。そして手招いて誘い、携帯の画面を琥太郎の前に突き出した。

 画面には鈴の写真が表示されていた。

「これって...東原さんの?」

 瀬立は頷いた。

「俺としたことが、肝心のこの写真を貰うのを忘れていてね。これを取りにいってたんだよ」

 なるほど、と一瞬納得しかけたが、琥太郎は疑問を感じた。

「あの」

「ん?」

「...俺はその、デジタル機器のことはよくわかんないけど、それくらいだったらメールとかで送って貰えばよかったんじゃないか?わざわざそのためだけに出向いたってわけ?」

 それはなかなか考えにくいような気がした。いくら何でも、そのためだけにわざわざ人の家にまで出向くだろうか。効率が悪い気がするし、何より相手にとっても迷惑になりかねない。便利な世の中だ、それくらいのことならデータでなんでもできるのではないか。

 琥太郎の発言に瀬立は表情を崩さなかった。むしろ、待ってましたとでも言いそうな顔だ。

「...何だよ」

 耐えきれず琥太郎は言った。すると瀬立がその薄い唇を動かした。

「いや、俺って見る目あるなあって思って」

 突然自画自賛が始まり琥太郎は一瞬驚いたのち、ため息をついた。一体今の話のどこに自画自賛へ繋がる引き金があったというのか。

 琥太郎の態度に動じることなく瀬立はソファにもたれかかって言った。

「琥太郎の言う通りだよ。わざわざ写真を貰うためだけに行ったわけじゃない。むしろ、写真はその付属品に過ぎない」

 すると瀬立は目線を一瞬玄関の方に向けた。無意識のうちに琥太郎もそれを追う。しかしそこには何もなかった。ただの玄関があるだけである。

「『音を集めています』。そのことについて、話してきたんだよ」

 涼やかな声で言った瀬立に対し、琥太郎はその顔に疑問を浮かべた。

 音を集めている。それはすでに知っている。昨日聞かせられた上に書かされたから、理解はできていなくとも知ってはいる。

「それがどうしたんだよ」

 琥太郎が聞くと瀬立は嬉しそうな笑顔で言った。

「今回の探し物は鈴でしょ?だったら、絶対良い話が聞けると思ったんだよ!だから東原さんに先に伝えておいたんだ、『音の話を聞かせてください』ってね!」

 琥太郎はその時初めて瀬立瑞樹という男のテンションが上がる瞬間を見た。これまでの人生の中で様々な人間を見てきたが、『音の話』でここまではしゃぐ人間は今までに見たことがない。

 そして同時に考えた。ああそうか、自分はとんでもない変人の元で働くことになったのだな。琥太郎は静かに、そう理解した。

「こういうのはやっぱり熱意が大切だからね、直々に話をしに行ったんだよ。あ、心配ないよ。事前に連絡は入れておいたから」

 そういうところだけは常識的なのも瀬立という男なのであろう。否定しきれないところが逆に扱いづらい。

 とはいえ、人が熱中している趣味をどうこう言うのはあまりいいこととはいえない。むしろ趣味がない琥太郎にとっては、奇妙な趣味だろうがあるだけで尊敬しなければならないくらいだろう。

「琥太郎、どうかした?」

「いや、なんでもない。つーか、腹減った」

 だからといって興味もない音の話を聞かされるのも苦痛なので琥太郎は適当に話題を逸らす。適当にとは言ったが、事実部屋に掛けられた針しかないと思えるほどシンプルな時計は既に十二時を過ぎている。早起きとは言わないが朝に起きて無尽蔵のスタミナを持つ子どもと炎天下で格闘した琥太郎の胃袋は限界だった。すっかり空である。

 趣味の話を中断された瀬立は少し残念そうな顔をしていた。しかし気にせず琥太郎は腹をさする。ここで折れるわけにはいかない。

「キッチン借りてもいい?」

「え?」

 瀬立の顔は非常に驚いていた。琥太郎はそれに顔を顰める。

「なんだよ」

「いや、料理できるんだ。俺てっきりそういうのはできないかと思ってた」

 琥太郎はため息で答える。

「これでも一人暮らししてるんでね。別に、大したものはできねえよ。簡単なやつだけだ」

 これは自分を謙遜しているわけでは断じてない。紛れもない事実である。

 すると瀬立はその顔を明るくさせた。

「へえ!俺も食べたいな、琥太郎の作ったご飯」

「はあ...まあいいけど」

 一人分も二人分も大して変わりはしない。琥太郎は眉間に皺を寄せながらで快く、ではなかったが了承した。

 キッチンの使用許可も無事取れたので、琥太郎は早速冷蔵庫を開ける。昨日高級スーパーで買った食材と惣菜が多く入っている。しかし、いまいちこの瀬立という男の食生活が見えない。なんとなくその見た目から毎食フランス料理でも食べていそうだが、意外と庶民的なものが多い。

 しかしまあそんなことはどうでもいい。琥太郎はいくつか食材を取り出し冷蔵庫を閉めた。

 数分後、テーブルに料理を運んだ。

「おお、これは...炒飯!」

 手頃な皿に盛り付けたのは卵とネギだけのシンプルな炒飯である。タネも仕掛けも隠し味もない、いたってシンプルなものである。それに瀬立は目を輝かせた。

「そんな大したものじゃない」

「そんなことないよ。こんなに美味しそうなんだから」

 その目はやたらと真っすぐで恥ずかしさを覚えた。恥ずかしくなったので顔を背けてスプーンを渡して手を合わせた。

「いただきます」

「うん。いただきます」

 しばし休憩である。

 一人ではない食事が随分久しぶりだったことに気づいたのは炒飯を半分ほど食べ終えた後だった。

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