第4話

 瀬立が再び家の中へ戻ってきた時、人数が増えていた。瀬立が分身でもして二人になっていたとかいうふざけた話ではない。家の中に入ってくる人間が増えていたのである。

「すごいよ琥太郎。看板のおかげで、もうお客さんが来た」

 にっこり笑った瀬立の後ろに、女性がいた。女性は小さくお辞儀をし、琥太郎に挨拶をした。琥太郎もすかさず頭を下げる。

 挨拶を返す頭の中で、琥太郎は突っ込んだ。幾ら何でも看板の効果が出るには流石に早すぎる。出してすぐ客が来るなら苦労はしない。看板に何か客寄せのまじないでもかけてあるみたいではないかを疑うくらいだ。

 しかし疑念はすぐに消える。そんなにうまい話があるわけないと思いつつも、客がくることは悪いことではないからだ。むしろ新しい職場で幸先のいいスタートを切れたことに安堵し、琥太郎は玄関の先にある看板に深く感謝した。

 一人表情をころころしている琥太郎を一切気にすることなく、瀬立は女性をソファに案内した。大人しそうな女性で、見た感じでは20代後半から30代前半くらいに見えた。皺のない白いワンピースに身を包み、ボブの髪が小さく揺れている。見た目だけで言えば、人生に充実していそうで琥太郎が嫌いな人間だったが、その割には顔が随分とやつれていた。

 琥太郎が客を陰から観察している隙に瀬立は客人に紅茶を用意し、彼女の前に置いた。

「ありがとうございます。...お店、なんですよね。なんだかそんな風に見えない...」

「住居を兼ねてますからね。申し遅れました、私、社長の瀬立瑞樹と申します」

 言うと瀬立は琥太郎に渡したものと同じ名刺を女性の前に差し出す。

「あ、どうも...ごめんなさい、私名刺は持ってなくて...」

「気にしないでください。その代わりといってはなんですが、こちらにご記入お願いできますか?」

 瀬立は女性の前に紙とペンを置いた。依頼を受ける上で重要な書類のように見える。いわゆる依頼書、というものだろうか。

 女性が紙に記入を始めると、瀬立が琥太郎を振り向いて手招いた。陰から見てないでこっちへ来いと言う意味らしい。

 瀬立のそばに行く。そして、隣で立っているようにと合図された。客人用のソファは何人か座れるものだが、こちら側には瀬立一人が座れるソファしかない。それでもここにいろということは、依頼を聞けということだろうか。

 女性があらかた記入を終え用紙から顔を上げたタイミングで瀬立が聞いた。

「それで、依頼とは」

 穏やかな表情で言った瀬立とは対照的に、女性のやつれた顔に一層影が落ちた。そして震える声で言った。

「...鈴を、探して欲しいんです」

「すず?」

 琥太郎は思わず聞き返した。それに女性は弱々しく頷いた。

「大切な鈴を失くしてしまったんです」

 

 女性の名は東原百合とうはらゆりと言った。近所に家を持ち、夫と4歳になる息子と住む専業主婦だという。

 事件が起きたのは四日前の午後、買い物から帰ってきたときだっという。

「財布につけていた鈴がなくなっていたんです。これくらいのサイズの鈴で」

 東原は右手の親指と人差し指でビー玉くらいの大きさを作る。このサイズの鈴に紐がついていたのだという。

「帰ったときには財布に紐しかついてなくて...すぐにスーパーとか帰り道とか色々探してみたんですけど、何日経っても見つからなくて...」

 スーパーの落し物にも届いていなかったらしく、なすすべなしと思った際に偶然ネットでここを見つけ来たのだという。瀬立は看板を用意せずにサイトだけは用意していたようだった。もっと早く相談したかったそうなのだが、瀬立が看板を出さずに営業していたため、営業しているという確証が得られず通り過ぎる毎日だったという。そして本日ようやく、看板を見かけて入ることができたというわけだ。

 琥太郎は横目で瀬立を見た。紛失から数日経っているのはこいつのせいじゃないか。

 苦しそうに東原が膝の上の拳を握った。高そうなワンピースに一気に皺が生まれる。

 よほど大切なものなのだろう。琥太郎はどこか他人事にそう思った。

 すると静かに話を聞いていた瀬立が東原に聞いた。

「見た目の特徴はどんな感じですか?」

「ちりめんの生地が貼り付けられてて、水色の地に和柄の模様が入ってるんです」

 すると女性は持っていた鞄から財布を取り出す。長財布の横にひっそりと千切れた紐がくくりつけられていた。

「この先にあったんです」

 瀬立の前に財布が突きつけられる。琥太郎も少し近寄って見てみると、糸の先が少しほつれていた。おそらく、何かの拍子で切れてしまったのだろう。

「お願いします。大切なものなんです。どうか...」

 消え入りそうな声で言った東原に、瀬立は頷いて笑顔を彼女に向けた。

「わかりました。お任せください」

 瀬立のその言葉を聞いて、やつれた東原の顔に少しだけ笑みが浮かんだ。


 これまで探していた場所や行きつけのスーパーの場所など、依頼に必要な情報を聞き出し、それを終えると東原は帰った。息子を両親に任せて買い物に出たついでに来たのだという。

 東原が去ると瀬立がソファから立ち上がった。

「じゃあちょっと行ってみようか」

「どこにすか」

 琥太郎は聞いた。話の流れからして捜索に行くのだろうとは思うが、具体的な場所がどこなのかはわからない。

「とりあえずスーパーに行ってみようか。ちょうど、買い物にも行きたかったから」

 大事な捜索が買い物のついででいいのだろうか、という問いを胸の中にしまい琥太郎は外出の準備をした。

 

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