第12話 キティは二人の幸せを願っていた


「うっ…ううっ……」



 メルはうなされている。


 どんな夢を見ているのか。


 早く起きてと、胸の上に乗って見つめた。


“さぁ、朝よ!起きて!メル!”


 私の視線で圧を感じたのか、メルの目がうっすらと開かれる。


「……おはよう、キティ。君は今日も美人だね」


“おはよう、メル”


 メルは毎朝、アシーナと私に美人だよって言うことを忘れなかった。


 メルは、アシーナの夫。キティと呼ばれた私は、アシーナに飼われていた白猫よ。


 私は、アシーナが13歳の時から一緒にいたの。


 とっても優しいご主人様だったのに、今はもう、いない。


 だから、私がメルを見張っていないといけないの。


 メルの、生きようとする糸がぷっつりと切れてしまわないように。


 私も、メルも、アシーナのことが大好きだから。


 アシーナに頼まれたの。


 メルをお願いって。


 だから、今日もちゃんと明るい陽の下で過ごせるように、しっかり起こしてあげるのよ?


 体を起こしたメルは、サイドテーブルに置かれたアシーナの結婚指輪を手に取った。


 それをしばらく見つめて、キスをしてからやっと立ち上がって着替え始める。


 それだけでも、メルがアシーナをどれだけ愛していたかわかる。


 アシーナは、自分が生まれた村ではいつも虐められていた。


 醜い容姿をしているからと。


 生まれながらに顔の右側から肩にかけて青いアザがあったアシーナの事を、両親すら気味悪がって遠ざけた。


 だから、アシーナにとって私が唯一の友達であり、姉だったのよ?


 それで、アシーナとメルがどのようにして出会ったのか。


 それはアシーナが16歳になった時。


 アシーナが一人になりたい時にいつも行く場所があった。


 森の奥深くで、大きな青い花が岩肌に生えていて、そこの周りは不思議と怖い生き物は寄ってこなかった。


 だから、アシーナはそこでいつも一人で歌っていた。


 でも、ある日。


 いつものようにそこに行くと、岩肌に体を預けるように座り込んでいる男の人がいた。


 それが、メルだった。


 メルは、黒い髪に青い瞳の、人間の女の子が好みそうな顔をしていた。


 端正な顔立ちって言うの?


 それから、アシーナよりも少し年上に見えた。


 人の訪れに気付いたメルが顔を上げた。


「やぁ、こんにちは。ごめんね、こんな所に人がくるとは思わなかったから驚かせてしまったね。もしかして、君の大切な場所に、僕がいすわってしまっているのかな?」


 アシーナは戸惑っていた。


 アシーナに親しげに笑いかけてくれる人なんか、今まで誰一人としていなかったから。


 初対面の人ならなおのこと。


 そんな彼は、怪我をして動けないでいるようだった。


「ケガ……しているのですか……」


 自分から滅多に話しかけないアシーナだけど、怪我人を無視できなかったのか、怯えながらも震える声で話しかけている。


「ちょっとね……」


 ちょっとどころか、痛みに耐えるように体を震わせている。


 ただでさえ白い肌なのに、蒼白になっている。


 お腹を押さえているから、怪我をしているのはそこなのかな。


「……薬草を探してきます……熱はありますか?」


「僕の事はいいよ。もう少しだけここで休憩したら、どこかへ行くから」


「無理……です。きっとあなたは……動けません」


 俯いてボソボソ喋っていたけど、最後の言葉だけはキッパリと断言していた。


「キティ。この人と一緒にいてくれる?」


“いいわ!私が見張っててあげる”


 私がメルの隣に座ると、アシーナはどこかへと行った。


 いつも自分が使っている薬草を探しに行ったのだと思う。


「君はキティって言うんだね」


“そうよ。アシーナが名付けてくれたの。いい名前でしょ?”


「君のご主人様は、素敵な女性だね。それから、君も君のご主人様も、美人だ」


“何よ。猫に言うなら美猫でしょ。でも、アシーナの事を美人って言ってくれるのなら、あなたはなかなか見込みのある人ね”


「最期の時に、あんなに綺麗な子に出会えたのなら、僕は幸せ者だよね」


 口調は軽いけど、やっぱりかなり具合は悪いみたいで、目を閉じて眉を寄せて唇を噛んだから、さらにピッタリとくっついて、アシーナが帰ってくるのを待った。


 しばらくしてアシーナが戻ってくると、恐る恐るといった様子でメルに触れて、手当を始めた。


 その時に二人が名乗り合っていたけど、最近では村でアシーナの名前を呼んでくれる人もいなかったから、メルに名前を呼ばれただけで真っ赤になっていたアシーナの顔をよく覚えている。


 死にかけていたメルは、アシーナの助けを借りて、そこでしばらく療養した。


 アシーナはただでさえ少ない自分の食料を、動けないメルのために届けてあげていた。


 とっても環境は悪かったのに、奇跡的にメルが回復したのは、アシーナの献身的な助けがあったからだ。


 だからか、動けるようになったメルがそこを発つ時に、アシーナにも一緒に行こうと誘った。


「私みたいな醜い女といれば……メルさんまで変な目で見られてしまいます……」


 当然だと言うように、アシーナはメルの申し出を断っていた。


 メルは、アシーナの手を優しく取ると、服の袖をそっとめくる。


 そこにあるのは、時間が経って青黒く変色した肌だ。


 その上から、新たな暴力の痕も重ねられている。


 それは、服に隠されたすべての場所にあるのを私は知っている。


「本当に醜いのは、君のことを平気で虐げることができる人達のことだよ」


“私は小さいから、アシーナの事を助けてあげることができないの。逆にアシーナに庇われて、アシーナがさらに酷い目に遭ったの”


 私が言ったって、人間には聞こえないけど、言わずにはいられなかった。


“アシーナを助けて。アシーナを守ってあげて。私にはできないから”


「君の家族がこんな事をするの?」


「……」


 アシーナが何も言わないから、それを肯定と捉えたのだと思う。


「ねぇ。前髪、ちょっとだけ切ってもいい?僕は君の目を見て話したい」


「え……でも……」


 メルがアシーナの両手を包み込むと、顔を覗き込むように体を近付けた。


“このタラシ!近いわ!アシーナをもてあそんだら、私が許さないのだから!”


 私の抗議を無視してアシーナを座らせたかと思うと、メルはナイフで器用に前髪を切っていく。


「ほら。どう?こっちの方が可愛いよね」


 私に尋ねてきたから、それには同意の意味でアシーナの手にすりすりと顔を寄せた。


「行こう、アシーナ」


「どこに……?」


「この村を出よう。こんな狭い世界が君の全てじゃない」


 ほんの少しだけ迷う素振りはあったのだけど、メルが手を引いて歩き出すと、アシーナもそれについて行く。


 私も二人の足元をトコトコと歩く。


 森を出た二人は少しの旅を経て、この町まで来たというわけなの。


 アシーナの家族があの後どうしているかなんて知らない。


 とにかく、アシーナには酷いことばかりする人達だったから。


 ところで、この町に到着した二人だったけど、私にだってわかることがあった。


 新しい生活を始めるには、お金がいるって。


 どうするんだろうと思っていたら、メルは金貨を三枚だけ持っていた。


 見窄らしい男女の若者が、こんな大金を持っていたら不審に思われるものだろうけど、町の役場での彼は大したものだった。


「彼女との結婚資金に、死に物狂いで働いて、一生懸命貯めたんだ。これで小さな家を買いたいのだけど、いい家はあるかな?」


 金貨一枚とちょっとのお金で、簡単に望み通りの家を手に入れていた。


 よく動く口の軽さに呆れながらも、なんだかんだでこの町での生活をスムーズに始めることができていた。


 もちろん、この時はまだアシーナは結婚のけの字も考えていなかった。


 メルは物書きや代筆の仕事をする傍ら、アシーナに読み書きを教えた。


 アシーナは、メルの底なしの優しさに最初は戸惑っていた。


 話しかけられてもおどおどしていて、でもメルはめげなかった。


 根気強く接して、毎日毎日あのよく動く口でアシーナを口説き、しまいには彼女からの信頼と愛を勝ち取っていたのはアシーナが17歳を過ぎた頃だ。


 メルは飽きもせずにアシーナに毎日毎日“君は綺麗だ”と言い続けていたから、アシーナの表情はしだいに明るくなっていった。


 笑顔を見せるアシーナは可愛い。


 この町の人達は、最初こそアシーナの事を遠巻きにしてたけど、メルがアシーナにデレデレしている姿を見たり、毎日毎日メルからノロケを聞かされたりしているうちに、自然とアシーナとも打ち解けていった。


 二人が結婚式を挙げる日、町の教会に多くの人がお祝いに訪れてくれていた。


 毎日、二人の幸せそうな顔を見ていた。


 でも、お別れの日はすぐそばまで近付いてきていた。


 メルとアシーナが出会った時、アシーナはすでに不治の病に侵されていた。


 アシーナが私達を置いて旅立ったのは、アシーナが19歳を迎えた時だ。


 アシーナの葬儀の日、町中の人が悲しんで、お別れを言いに棺の前に立った。


 メルの悲しみが誰よりも深いのは当然のことだった。


 世話好きの人が一生懸命に声をかけ続けてくれたから、抜け殻のような放心状態のメルが、ちゃんと最後まで喪主を務めることができたのだ。





「おはよう。今日もいい天気だよ」


 メルは毎日、アシーナの墓碑に足を運ぶ。


「君がいなくなってから、随分とこの国は怖い場所になったよ……僕に何ができるかな……」


 メルが喋っていること、私も、町のおじさん達が話しているのを聞いたの。


 西の方では、魔女狩りなんてものが行われているって。


 たくさんの女性や、少女まで、悪い魔女として、残酷な方法で処刑されているそうよ。


 不穏な空気が世界を取り巻いている。


「君からもキティを説得してくれないかな。また逃げてここまで来てしまったんだよ」


 メルがやれやれって、ため息をつきながら私を見た。


 メルは、アシーナが眠るこの地を離れたくはないからって、怖いことから避難する他の住民に私だけを預けようとしたから、全力で拒否って、アシーナのお墓の前まで来たところなの。


“メルが行かないなら、行かないから”


 私の声なんか聞こえないメルは、アシーナに語りかけている。


「僕はね、この地を離れられない。離れたらダメなんだ。どんな身分になろうとも、僕には、最後まで責任があるから」


 それは、アシーナとお別れするのが嫌なのだと思っていたの。


“ダメよ。アシーナのことを想うのなら、まずはあなたがちゃんと生きないと”


「心配しなくても、まだ生きるつもりだよ。ちゃんと生きるから……」


“約束よ?ちゃんと生きるのよ?死んだように生きちゃダメってことよ?”


 メルが私を抱き上げたから、大人しく一緒に町まで戻る。


 そこには、たくさんの大人が、たくさんの荷物を運んでいる最中だった。


 立ち話をしている人達の声が聞こえてくる。


「トロンスホ地区の大虐殺はまだ終わっていないらしいぜ」


「“民族浄化だ”って、あいつらは狂っている」


「今のうちに避難を終わらせないと、次はここだ」


「穏健派の国王と王子が殺され、軍が政権を握ってからだ。この地獄が始まったのは」


 その中の一人が、メルに気付いた。


「メル、あんたが避難計画を立ててくれたから、スムーズに事が運んだ。あんたは、この町の恩人だ」


「僕には、こんなことくらいしかできないから。港の方を手伝いに行きますね。もうすぐ最後の船が到着します。あなた達も急いでください」


「ああ。こっちももうすぐ終わる」


 港の方へと進んで行くと、もっと多くの人が集まっていた。


 岸から離れていく船が見えるけど、本来なら私はあれに乗せられるはずだった。


「君達、どうしたの?もうすぐ船が出るよ」


 メルが声をかけたのは、木箱の前に集まっている子供達にだった。


「メルぅ~、船から降ろされた荷物に、灰色の猫ちゃんがまぎれていたの」


「黒い毛が模様を作っている猫だった」


「その猫、あっちに向かって走って行っちゃったんだ」


「探しに行かなくてもいい?もうすぐ危ない場所になるんでしょ?」


 子供達がメルに訴えたあっちとは、魔女狩りが横行している混沌とした地域がある方角だ。


「大丈夫?」


「うーん。猫は自分が危ないって思ったら、そこには近付かないから大丈夫だよ。それに、その猫があっちに行くって、決めたことだから」


 子供達は納得してない様子だったけど、


「さぁさぁ、君達は早く船に乗るんだ。そうしないと、怖い兵隊さんが来て、拐われちゃうよ」


 メルに促されて、船に乗り込んでいく。


「ママ、おうちとバイバイしたくない」


 今度は親子の会話が聞こえてきた。


 不安げな顔の女の子が、涙を拭ったはずみで抱いていた人形を地面に落とす。


 それを拾ったメルは、“ごめんね”って言いながら渡したの。


 まるで、この状況に責任があるというように。


 木箱の上に私をおろしたメルは、しばらく荷物を積み込む作業を手伝っていた。


 私はそれを眺めて待った。


 メルが迎えに来てくれるまで待った。


「キティ。最後の船が出港するから、僕らも行こうか」


 最後の船が出港する。


 それに、残っていた町の人はみんな乗れた。


 甲板でメルに抱かれながら、船の出航を待った。


 メルが一緒に来てくれたから、ホッとする。


「誰か手を貸して欲しいの。母が足が悪くて移動できなくて」


「僕が行こう」


 世話好きのおばさんに私を預けると、船室に続く階段へと向かう。


 じっとしていられないよね。


 体を動かしている方が楽なんだろうって、しばらくおばさんの腕の中でメルが戻るのを待っていた。


 でも、どれだけ待ったのか。


 メル、遅いなぁって、ふと顔を上げた時に、信じられないものを目にした。


 どうして、メルがそこにいるの?


 船はどんどん岸から離れていくのに、メルは埠頭に立っていた。


 私を一度だけ見ると、クルリと背を向けて町の方へと走っていく。


 これが最後の船なんだよ?


 これに乗らないと、どこにも行けなくなっちゃうのに。


「あの子は……バカだね、あんな所に一人残っても、アシーナは喜ばない」


 メルの姿を見つけたのか、私を抱いたおばさんの声も震えていた。


 メルは、最初から私達と行くつもりなんかなかった。



“嘘つき!”


“嘘つき!”


“ちゃんと生きるって約束したじゃない!”



 腕の中でもがく私が、海に落ちないようにしっかりと抱え込まれる。


 いつの間に首にかけられていたのか、二つのリングが重なり合って、キンっと音を鳴らす。




「いたぞ!!あれは、第二王子メルキオールだ!!」


 港に到達したたくさんの兵士が怒声を響かせ走ってゆく。


 メルの後を追って、走ってゆく。


“嫌だ、嫌だ、これがお別れなんて嫌”


 私の声なんか届かない。


 メルの背中が見えなくなってゆく。


 武器を持った人達のせいで、メルが見えなくなってゆく。


“あなたのお墓なんか作ってあげない!絶対に作ってなんかあげないのだから!”


 私がどれだけ悲しいかだなんて、きっとメルにはわからない。


 人の身分なんか、責任なんか、私には関係ない。


 私よりもいっぱいいっぱい生きられるメルに、アシーナの事をちゃんと覚えていてもらわないといけなかったのに。


 アシーナがいなくても、ちゃんと幸せに生きてもらいたかったのに。





 私達の乗った船が目的地の港に着く頃、あの国で最後に生き残っていた王子が処刑されたとの報せが皆に伝えられ、もう戻らないであろう大切なものを、皆、憂いていた。


 私は、二つのリングを首から下げて、二人がいつまでも一緒にいられますようにって、毎日毎日お願いした。


 毎日、毎日、お願いした。









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オレがヒトになりたいと願ったワケは 奏千歌 @omoteneko999

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