第10話 青年と老犬と紫乃
国を出て、あてもなく彷徨っているという表現が当てはまっていた。
紫乃は相変わらず、どこを見ているのかわからない。
他人が見れば、ぼーっとしているように見えるのかもしれない。
そんな状態の紫乃が、途中で立ち寄った町を離れ、またしばらく木々に囲まれた道を歩いていた時だった。
木の根本に、オレと同じくらいのサイズの犬を大事そうに抱えた青年が座り込んでいた。
青年は紫乃よりも年上に見える。
旅人の装いをしており、それから、どうやら目が見えないようだ。
「あんた、どうしたんだ?」
オレの主人は、何か訳有りの人の前を、声をかけずに通り過ぎていく人じゃない。
それは、どんな時でも。
青年が抱える老犬は、息をしていなかった。
主人の腕の中で息を引き取ったのか。
「どこかに、埋めてあげないといけないのだけど、まだ、別れ難くて」
はらはらと涙を流す青年は、愛おしそうに動かない老犬を抱きしめていた。
オレが寿命を迎えた時の紫乃の姿を見ているようで、イヌなのに複雑な気持ちになる。
でも、青年は哀しんではいるが、悔いのない顔をしているし、老犬も幸せそうな表情に見えた。
紫乃は、青年の隣にドカリと、腰を下ろした。
「俺はちょっと休憩しているだけだから、気にするな。何か喋りたいことがあるなら、黙って聞いてやるぜ」
オレも、紫乃の隣に座る。
「ありがとう。君達の優しさに感謝を。この子の名前は、ジン。父が死ぬ間際、ジンと、それからチェロを託された。どちらも僕の宝物なんだ」
涙を流し、言葉を詰まらせながらも青年は思い出を語っている。
紫乃はしばらく黙って聞いていたが、青年の言葉が止まったところで今後のことを尋ねていた。
「あんた、これからどうするんだ?」
「もう、僕の旅はここでおしまいだ。ジンがいてくれたから、どこにでも行けたんだ」
「だったら、余計なお世話だとは思っているが、ここから少し歩いた先に町がある。大きくはないが、そこに住んでいる人達はいい人ばかりだった。旅人の俺にも、そしてフィルにも親切にしてくれた」
「君はフィルって名前なんだね」
オレの方に顔を向けたから、挨拶代わりに頰に鼻先を寄せた。
「相棒をどこに埋めたかわからなくなるくらいなら、その町まで行ったらどうだ?」
「その町が僕を受け入れてくれたらいいけど。時間はかかるだろうけど、行ってみることにするよ」
「付き合うよ。ちょっと、忘れ物をしたのを思い出したんだ」
立ち上がった紫乃に、青年はまた謝意を口にし、泣きながら笑っていた。
「あんた、見かけによらず力持ちだな」
シノは感心の声を上げる
青年の背中には大きなケースを背負い、体の前には、布に包まれた大きな愛犬を抱きしめて歩き出したからだ。
斜めにかけた鞄には、旅道具も入っているのに。
「僕の取り柄の一つだよ」
シノの誘導に従い、迷いなく青年は歩いている。
「連れ回すだけ連れ回して、ジンは幸せだっただろうか……」
ポツリと洩らされた言葉に、紫乃はちゃんと答えていた。
「幸せそうな寝顔だったよ」
「そうか……ありがとう……」
目的地に着く頃には、夕刻になっていた。
今日はこのまま町外れで野宿するそうだ。
ジンを地面にソッと寝かせた青年に、紫乃が言った。
「なぁ。それで、一曲何か弾いてくれないか?あんたの、愛犬のためにでいいから」
「うん。喜んで」
紫乃の求めに応じて、青年は、適当な場所に腰掛けると、奏で始める。
愛犬に想いを馳せて。
シノは、黙って聴いている。
誰を想っているのか、それは聞かなくてもわかることだ。
演奏が終わる頃には、いつの間にか周りに町中の人が集まっていた。
「君は、また戻ってきたのか?ここに住む気になった?」
「いや、俺じゃなくて、こっちの人なんだが」
「貴方、見事な腕ね。移住を希望なの?今度、教会の集まりの時に演奏してくれない?」
「鍛治士の工房で薪割りの手が足りないんだ。あんた、そこで働く気はないか?」
「僕は目が不自由ではあるけど、町に迎え入れてもらえるのなら、僕にできることは何でもしたいと思っています」
町長が代表で、青年に細かな事を説明している。
その日は野宿どころか、オレ達も特別に近くの宿に泊まらせてもらえた。
「ありがとう、紫乃。僕はこの町でイチから新しい生活を始めるよ」
翌朝、晴れやかな顔の青年の見送りを受けていた。
「大したことをしてないけど、あんたの幸せを願っているよ。ジンと同じように」
「うん。ありがとう」
青年に見送られて、紫乃はまた目的の無い旅に出発した。
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