第8話 フィルが見届けた事
猫のサクヤと別れてしばらくしてから、悠紀流がオレに頻りに伝えてくることがあった。
「フィル。せめてアナタだけは、最後まで紫乃と一緒にいてあげてね」
それを言う時は、いつも紫乃がいない時だった。
オレを抱きしめて、別れを惜しむように言うんだ。
別れがあるのは仕方のないことだと思うけど、何故それを紫乃には伝えないのか不思議だった。
「紫乃は、絶対に認めてはくれないから」
認めたくないのは当然なのではないか。
オレでも悠紀流との別れを認めたくはない。
「私もよ。貴方達と、ずっと一緒にいたい」
でも悠紀流は、そうしなければたくさん人が死ぬから、嫌だと言った。
悠紀流とお別れをしなければ、たくさんの人が死んで、その中には莉音も含まれるからと。
結局、悠紀流は紫乃に何も言わないままその日を迎えた。
悠紀流と莉音の婚儀が行われたのだ。
悠紀流は哀しげな顔ではなかったけど、儀式の最中、ずっと誰かを探していた。
でも、それに気付くのは、オレと莉音くらいだ。
「紫乃を探している?ごめん、今日だけは彼は別の地を守っているんだ」
莉音は、寂しげな顔で言った。
「いいえ。そうではありません」
微笑み返す悠紀流だったけど、俯いた時に呟いた言葉は、オレだけが聞いていた。
“やっぱり、間に合わない”
って言ったのを。
婚儀を終えた夜、人間の言葉で言ったら初夜を迎える時に、悠紀流は初めて自分の我儘ともとられる意思を伝えた。
「少しだけ、一人にさせてもらえますか?正殿には、誰も近付けさせないでください」
そう言って、悠紀流は、全ての人間をそこから遠ざけたんだ。
その理由を、オレだけが知っていた。
余計な血が流れないようにって、そう願った末の決断だったことを。
ヒトの気配が消えた正殿に、その者達は影に紛れるように音も無く現れた。
黒い衣装に身を包んだ数人の男達。
剣呑な雰囲気で、悠紀流の前に立った。
「我らが一族の最後の希望であった澪姫が、病死した。適切な治療を受けていれば、助かったはずなのだ。お前達が、見殺しにしたのだ」
血の涙を流す彼らを、悠紀流は静かに見つめていた。
「円の一族の巫女。
男達の憎しみと怒りは、悠紀流に向けられていた。
悠紀流のせいじゃない。
悠紀流のせいじゃないのに、悠紀流は、抵抗をしなかった。
オレが動くことも禁じていた。
刃は、無情にも悠紀流の胸を貫く。
そして侵入者はすぐに訪れた時と同じように静かに消えていた。
悠紀流だけが残される。
赤い血溜まりの中に、悠紀流だけが。
悠紀流の“声”は、誰も聞いてはくれない。
なんで。
どうして。
紫乃がここにいれば、絶対に守ったのに。
遠くに行かされた。
紫乃がいないから、あいつらは来たんだ。
「フィル、いいのです」
床に横たわった悠紀流は、まだ生きていた。
弱々しい声で、苦しそうな息を吐く。
「フィル、紫乃に復讐を、させないで。これ以上、ヒトの血を、流させないで」
悠紀流の頰に顔を寄せる。
悠紀流の命を奪っていく者が、オレだって憎いのに、それをダメだと言う。
「妹を、頼みます」
悠紀流がいなくなってしまったら、妹の陽満薫が新たな巫女となるだろう。
また、戌守の一族が仕えるのだろうけど、でも、紫乃はもう……
「フィル、ごめんなさい。犬のアナタに、見届けさせてしまって」
オレしか、悠紀流の“声”を聞いてあげられなかったから。
本当は、紫乃に伝えたかった事が、たくさんあったはずなのに。
「フィル。ありがとう。ごめんなさい」
それが、悠紀流の最期の言葉だった。
悠紀流の死は、まず最初に莉音に伝えられた。
そして、呼び戻された紫乃に、
「僕が、君を遠ざけたばかりに……すまない……すまない……約束したのに……」
莉音の深い深い後悔とともに、知らされていた。
紫乃は、血が出るほどに拳を握りしめて、でも何も言わなかった。
悠紀流のモノを言わない骸を、静かに見下ろしていた。
泣きもしなかった。
声を発することもなかった。
莉音と一切話さなかった。
きっと、口を開くと自分自身への怒りを莉音にぶつけてしまうからだ。
何も言わないまま、悠紀流の埋葬が済むと、オレを連れて国を出ていた。
どこか遠くを見つめたまま、長い時を何かを探すようにさすらい、そして何も見つけられないままオレが先に寿命を終えていた。
オレは、悠紀流の願いを叶えてあげることができなかった。
最後まで一緒にいてあげてほしいって願いを。
紫乃がこの先一人でどうするのか、オレはそれを見届けてあげることができなかったんだ。
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