第6話 初めて真っ当なイヌに出会った


 また、どこかの山の奥深くを彷徨っていた。


 そこはどこだったか、とにかくいつの間にか迷い込んでしまい、迂闊にも、餌と水にありつけずにいた。


 それも、何日も。


 さすがに脱水に陥り、行き倒れ寸前だった。


 てか、もう、パタリと地面に倒れ込んでいた。


 俺はここで死ぬのかと、諦めかけていた時だ。


 鬱蒼とした暗さがある山の中で、俺の頭の所に影がさしていた。


 うっすらと目を開けると、視界いっぱいに黒い何かが映って、ギョッとした。


 長い舌が見えて、そして、大きな牙も見えたからだ。


 魔物に、俺は、ここで、食べられるのかと、覚悟した。


 その黒い大きな何かは、俺をそっと咥えると、ノソリノソリと歩き出した。


 どうやら巣に持ち帰られるようで、抵抗する気力もなかった。


「フィル、どうした?ソレ」


 目を閉じていたら、人間の男の声がした。


 その声をかけた人物を見ると、成人したてくらいの若い男だった。


 やたら長い武器を片手で持っていて、意志の強そうな光を宿した赤い眼がやたら印象的だった。


 俺を咥えている獣を明るい場所でよくよく見ると、デカいイヌのようだった。


「猫?行き倒れか?こんな所で珍しいな」


 俺を見て、そして部屋の奥に向かって声をかけた。


「おい、姫さん。こいつ、どうにかしてやれるか?」


 フィルと呼ばれたイヌに咥えられて、妙に神秘的な絶世の美女の前に連れて行かれていた。


 人間の信仰なんか分からない猫の俺でも、平伏したくなるような相手だった。


 その姫さんと呼ばれた人間自体を祀っているのか、彼女は少し高くなった所に鎮座していた。


 思えば、ここは祠みたいになっていたな。


 随分と神々しいのに、この男は雑な呼び方をしていたが……


「紫乃の言葉遣いを正そうとしても無駄です。サクヤ」


 姫さんが俺に話しかけてきた。


 色々驚き過ぎて、言葉を失う。


 何故、俺の考えが分かる。


 何故、俺の名前が分かる。


「私は悠紀流。万象の声を聴く巫女としてこの地を守っています。紫乃は、代々巫女を守ってくれる一族の者です。そしてフィルもまた、その一族に仕える犬の一族なのです。ここまではいいですか?とりあえず、アナタを助けたいと思います」


 フィルは悠紀流の膝の上に俺を乗せた。


 すぐに何かを呟きながら俺の体を撫でてくれて、そこからじんわりとした温かいものが体中に広がっていった。


 ニンゲンの使う回復魔法なのだろうか。


「莉音の奴が来るだろ?迎えに行ってくるけど……」


 俺達を眺めていた紫乃が声をかけてきた。


 客が来るのか。


「今はフィルがいれば大丈夫です」


「そうか。じゃあ、フィル、頼んだぞ」


 フィルが尻尾をパタっと振ったのを確認して、紫乃は外に出ていった。


 俺は上を見上げて、話しかけた。


“助かった。客が来るのに、申し訳ない”


「大丈夫ですよ。莉音は、私の婚約者で、心優しい方ですから」


 そこで、俺は引っかかった事を口にしていた。


 ネコだからな。


 遠慮なんか持ち合わせていない。


“アンタ、婚約者が来るのに、嬉しそうじゃないな”


「………」


 悠紀流は、困ったように笑っていた。


 それから少しの間、無言だった。


 俺は、悠紀流の膝の上でずっと寝ていたけど、そこは心地よい場所だった。


「アナタは、ナコさんという方を探しているのですね」


 ”そうだ。ずっと、旅を続けてきた”


「羨ましいです。私も飛び出せていけたら……」


 婚約者の話題の続きなのは分かった。


 ”万象の声が聴けても、あんたの声は、想いは、誰も聞いてはくれないのだな”


「仕方のない事ですから」


“あの紫乃って男に連れ出してもらえばいいだろ。あいつなら、アンタが一言言えば、どこまでも連れて逃げてくれるんじゃないのか”


 少し見ただけの俺でも感じ取れたんだ。


 悠紀流は分かっているはずだ。


「紫乃の家族に迷惑をかけてしまいますから。それに、婚約者のことを愛している気持ちもあるのですよ。ただ……」


“それ以上に恋焦がれる奴がいるから、か。ニンゲンも、大変だな。自らの想いの通りにうごけないのだから”


「ふふっ。ネコのアナタにこんな話を聞いてもらえるとは思いませんでした」


 悠紀流は、また、寂しそうに笑っていた。


「ナコさんは、西の港から、船に乗ったようですよ」


“分かるのか?元気にしているのか?”


「家族といますが、アナタとの別れを悲しんでいます。遠く、離れてしまっていますから……」


 そうか……けど、ナコがせめて家族と離れ離れになっていないのなら、いいのか……


 悠紀流は少しだけ考えるような仕草を見せて、そして俺に言った。


「サクヤ。ナコさんには、必ず会えます。巡り会えます。どうか希望を最期の時を迎えても、捨てないでください」


“なんか、アンタの言う事なら信じられるな。アンタはどうなんだ?”


「自分の事は分かりません。だから、私は、婚約者とあの人の二人の幸せを願います」


“そうか。アンタの幸せを俺も願っているよ”


「ありがとうございます。もう、出発できそうですか?」


 そう聞かれると、自分の体が驚くほど回復しているのに気付いた。


 疲れなんか何もない。


 ”大丈夫そうだ”


「良かったです。フィル。サクヤを麓まで送ってくれますか?」


 頼まれたフィルは、パタパタと尻尾を振って答えていた。


“世話になる”


 フィルに声をかけ、悠紀流にお礼をもう一度伝えて外に出た。


「アナタの幸せを願っていますよ。サクヤ」


 別れと旅立ちは、あっさりとしたものだった。





 フィルの主人は紫乃だけど、悠紀流に仕えているんだってな。


「─────」


 そうか。


 お前の主人も、幸せになれるといいな。


「─────」


 そばで見守ることが幸せか。


 今の俺なら、それも分かるが、けどなぁ……


 お互いが自分の気持ちを押し殺すって、どうなんだ?


 やっぱり、ニンゲンは複雑だな。


「─────」


 婚約者と紫乃も親友同士なのか。ますます複雑だな。





 フィルの背中に乗せてもらってそんな話をしていると、麓に到着していた。


 ここでお別れだな。


 助けてくれて、ありがとな。


 俺もフィルとフィルの主人達の幸せを願っているよ。


 じゃあな。


 フィルはまた、パタパタと尻尾を振って、俺を見送ってくれた。


 教えてもらった港を目指し、ひたすら走る。


 悠紀流の言葉を胸に刻んで、ナコを探す旅を再開した。







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