たった一度の相合傘

チェシャ猫亭

雨の思い出

 雨だ。

 日曜の朝。梅雨時だから、雨は仕方ない。

 特に用事もないし、今日は思い切り、朝寝坊しよう。


 雨は、正直、あまり好きではない。

 いい思い出でもあれば、別だけど。

 何かあったかなあ。付き合った人はいるけど、雨にまつわる思い出なんて、ないなあ。

 しばらく、ぼんやり、考えるともなく、考えていたら、記憶の底から、何かが浮上してきた。


 雨の思い出、ある。

 たったの一度、だけど。



 中三の秋。

 生徒会長選挙の立ち合い演説会で、四戸しのへ俊樹の存在を知った。大きな声で、はきはき話していた。小柄で、日に焼けた肌、白い八重歯。クラブは剣道部、と、その程度の知識だった。

 四戸は、生徒会長に当選した。


 翌年、私は志望校に受かり、一年が過ぎた。

 四戸が同じ高校に入り、彼も電車。バスを乗り継いでの通学が始まった。

 バスの後部座席に、四戸は、他の中学から来た同学年の男子ふたりと陣取った。声が大きく、話の内容が筒抜け。しょうもない話ばかりで、私も、同じ中学の理恵ちゃんも、あきれた。似た者同士も、いいところだ。

 私たちは、習ったばかりの英語のことわざを、小声で唱和した。

「Birds of a feather flock together.(類は友を呼ぶ)」


 二年の夏。

 私のクラスは、S半島にキャンプに行った。

 キャンプ場への途中、すれ違ったトラックの上から、

「加賀さーん!」

 私を呼ぶ声がする。

 こんなところで、誰?

 トラックの荷台で、四戸が手を振っている。と、両側から、頭を押さえつける二人。バスの後部座席で、四戸とつるんでいた子たち。


 思いがけないところで出会え、声をかけられたのがうれしかった。

 後に聞いた話では、四戸たちは、学校に無許可でキャンプに行った帰り。ばれると困る、というので、あの二人が制止したのだった。


 秋。

 文化祭で、フォークダンスがあった。パ-トナーを替えていくうちに、何故か四戸とばったり。初めて、手と手を触れ合わせた。温かい、乾いた手だった、と思う。


 ダンスが終わると、理恵ちゃんがすっとんできて、

「冴子、ひどい。私だって、四戸のこと、好きなのに」

 と、怒られた。


 はあ?

 理恵ちゃんには、好きな人がいるでしょ、片思いだけど。

 私だって好きな人はいた、ハンドボール部の、山平さん。運動会のクラブ対抗リレーで見かけて一目ぼれ。廊下で、たまにすれ違うだけで、口もきけずに終わった。

「私だって」

 と言われてもねえ。別に私、四戸のこと、好きなわけじゃないよ。


 だけど、その後。

 幼馴染の敏子ちゃんが、私に言ったのだ。

「冴ちゃん、四戸のこと、好きなんでしょ。四戸を見る目の色が、ぜんぜん違う」

 と。

 動揺した。

 私は、そんな目で四戸を見ていたのか。自分じゃ全然、自覚なしだったよ。

 まあ、嫌いじゃないけどさ。

 子犬みたいで、愛嬌があるし。

 でも、好きかって言われると?


 三年の梅雨時。

 その日は午後から雨降りで、最寄りの駅に帰り着いた私は、折り畳み傘を広げて、駅頭を出た。

「加賀さーん!」

 背後から、誰かが追いかけてくる。

 四戸だった。

「傘に入れてください」

「いいよ」

 内心、うれしかった。

「俺、傘を持ち歩かない主義なんです」

 けろっと言う。

 今日は、朝は降ってなかったけど。

 朝から大降りの日は、どうするのだろう。

 訊いてみればよかった、今も残念だ。


「どうして、レスリング部に入ったの」

 話題に困って尋ねると、四戸は、

「俺。相手をぶちのめすスポーツが、好きなんです」


 相手をぶちのめす。剣道も、レスリングも、そんなスポーツとは思えないんだけど。

 物騒な言葉が、あっけらかんと無邪気に、四戸の口から出たのがおかしくて、

「そう」

 と、笑いをこらえるしかなかった。


 その他に、何を話しただろう。

 どのくらいの間、そうやって、ひとつの傘で歩いたのだろう。

 何も覚えていない、何も。


 どこかの角で、ここまででいいです、ありがとうございました。

 四戸がそう言って、手を振った。

 相合傘は、ほんの短い時間だった気もする。

 どうして覚えていないのだろう、あんなに楽しかったのに。


 それが、四戸と話した、最後だった。

 受験に忙殺され、どうにか第二志望の大学に受かり、私は京都へ。

 実家が引っ越し、十八までを過ごした町との縁は切れた。

 四戸が東京の大学に行ったこどだけは、誰かに聞いた。

 その後の消息は、全くわからない。


 でも、バスの中のバカ話。キャンプ場へ向かう道で、手を振ってくれたこと。フォークダンスに、相合傘。

 布団の中で思い返すうちに、自然と頬がゆるみ、笑みが浮かんだ。

 四戸との思い出は、すべて楽しく、温かく、そして、ちょっぴり、せつない。


 雨は、いつの間にか、やんでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

たった一度の相合傘 チェシャ猫亭 @bianco3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ