第113話 一年半後

 サファノバ城の芝生の庭。小さな女の子が猛烈な速さでハイハイしている。

「アンジー! どこまで行くの?」

「アンジーはお母さんに似て、運動神経がいいね。来週、ばあちゃんが来て、アンジーを見たら驚くよ、きっと……。最初は、怒っていたのに、写真を見た途端に、こっちに来たいなんてさ……勝手だよね。俺が謝ってもしょうがないけど、ごめんね」

「いいんだ、匠。アンジーは……面影があるから。会いたくなる気持ちはわかる」

レイラはそう言うと、少し寂しそうに笑った。

「アンジーは特別な子供なんでしょ?」

少しでも母親の気持ちを引き立てようと、匠が話しかけた。その気持ちを察して、レイラは無理に笑顔を作って頷いた。

「生まれて来た時に、黒い羽を握りしめていたんだよね? 部屋の中に鳥はいなかったのに」

「いつか、我が家に伝わる長い物語をしよう。でも、今日ではなくてね」


 来週、初めて菊がサファノバに、初孫に会いに来る。アンジーはアンジェリーカの愛称だ。信じられないでいた菊に、レイラはアンジェリーカと透の親子鑑定の結果を送った。二人は紛れもなく親子だと結果が出たのだ。そして、アンジェリーカの写真を見た菊は、サファノバに来る事を決めたのだった。


 匠は、一生懸命ハイハイする妹のアンジェリーカを見て笑っている。漆黒のサラサラの髪に真っ白な肌、紫の瞳。匠はアンジェリーカを初めて見た時に、白雪姫だと思った。彼女の父親であり、自分の父になる筈だった人の事を、そうからかった事も覚えている。

アンジェリーカが勢い余って、ぺちょんと転んだ。匠は庭の奥まで行ってしまった妹を、泣いたら助け起こしに行こうと立ち上がった。


 いつの間にか庭の奥で、誰かが膝をついて、アンジェリーカが起き上がるのを見守っていた。大事なアンジェリーカの近くに、人がいる事に気づいたレイラは、視線を向けた。必要とあれば、ナイフを投げるつもりだった。

レイラに気づいた人影は、かぶっていたフードを外し、レイラに向かって微笑んだ。レイラは反射的に立ち上がった。レイラの飲んでいた紅茶のカップがテーブルから転がり落ち、紅茶が芝生の上に零れた。

 懐かしくて、その温かい微笑みに、レイラは言葉を発することも出来ずに、ただ駆け寄った。レイラは自分の頬を温かい涙が伝っている事にも気がつかなかった。

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