第103話 薔薇と蝶

 透が来る頃には、レイラの説明と護衛たちの根回しもあり、大臣たちもだいぶ態度を軟化させていた。何より大臣たちは、透たちに育てられた、匠の素直さや向上心を見て、歓迎する気になったようだった。それに、透を拒否してしまえば、匠は帰国してしまうであろうし、二人がいなくなるとレイラは再び、光を失ってしまう事が目に見えていた為、透を王配として迎えようと言う機運は高まっていた。

 女王は、今、積極的に観光事業を新たに立ち上げて、サファノバの過去のイメージの刷新を狙っている。透を迎えるにあたって、レイラは今まで以上に、国の為に頑張っているように見える事も、大臣たちの安心材料となった。透は今や、傾国の詐欺師どころか、国を盛り上げてくれる人物として期待されつつあった。


 透はレイラから英語・サファノバ語の辞書を送ってもらい、合間を見て勉強した。必要とする者がほとんどいないため、日本語・サファノバ語の辞書は存在しない。イギリス滞在中、レイラが来る度に少しずつ、挨拶や簡単な会話も習っていたが、まだ会話が成立するまでに至らない。


今回の来訪は匠のお披露目と、レイラと透の婚約発表が目的である。とはいえ、城でニュース用に声明を録画し、新聞用に写真撮影する為、直接国民に話しかけることは、まだ無い。婚約指輪は透がイギリス滞在中に、二人でハウス・オブ・ガラードへ行き、購入してあった。


 透はレイラの執事からアントン経由で、これだけは守って欲しいと幾つかの事をお願いされていた。公式で人前に出たら、腕を組む、手を繋ぐくらいはいいが、あまりベタベタ触れ合わない事、出来る限り女王の意見を尊重する事、レディファーストを心掛けること。二人の時は、まぁ勝手にしてくれ、と投げやり気味にアントンは付け足した。執事は見ていないが、アントンは何度か、他に人がいないと思っているレイラが、透に対してどういう態度を取るのか見ていたからだ。透は言われなくても、全てそのつもりでいた。執事は、透といるレイラをあまり見ていなかった為、透にお願いしたが、透からすれば、レイラにお願いした方が良いのではないかと思った。


 透が到着した翌日は快晴で、予定を変更して庭園で撮影をする事になった。透は早く支度が終わったので、伊達眼鏡を掛けて庭園に出た。どんな人たちが取材しに来るのか、こっそり見ようと思っていたのだ。匠は後から、レイラと一緒に行くと言っていたので、透は一人で庭園の方に行った。


 透は記者の一人に、見慣れない顔だが何処から来たのかと、英語で話しかけられた。どうやら、伊達メガネのお陰で、透が婚約者当人であると気づかれなかったようだ。ロンドンから来た日本の記者だと告げると、日本について、色々と質問された。サファノバと日本は、これまでほとんど繋がりが無かった為、情報が欲しいのだろう。


「日本では、日本人が我が国の女王との婚約する事は話題になっているのだろうか?」

と言う質問に、日本ではキーロヴィチ監督のM Vのバンドメンバー以外に出ている二人は誰だ、という事から話題になったと答えた。サファノバではそのM Vは話題になっていない様だった。サファノバでは珍しい、日本から来た上、にこやかに質問に答える透の周りに、待っている間、暇を持て余した記者たちが集まってきた。

「我が国の女王は、気品があり聡明で、常に凛としていて、その上、大変美しいから、婚約する日本人はものすごくラッキーだ。しかし、隣に並び続けるには相当勇気がいるかもしれないな」

透は笑いながら、肯定した。

「そうらしいね。きっと、今頃、その事に気づいて、恐れをなして何処かに隠れているかもね」

「サファノバ王室は今や、世界の中でも有数のお金持ち国家だ。その日本人は財産を狙っているのではないか。女王は誑かされているのではないか」

「日本の知り合いから聞いたんだが、婚約者は高校の頃からの知り合いだったらしいから、それはないのでは」

透は、そこだけは誤解のない様、真面目に答えておいた。記者たちは、その話を知らなかったようで、メモをとっている者までいた。

「一体、どんな人物が女王陛下の心を射止めたのだろう?」

「何処にでもいる、普通の人物じゃないかな?」

「口が上手かったり、女性を虜にする術に長けていたりするんじゃないか」

透は困ったな、と思いつつ言葉を重ねた。

「高校時代から、お互いが初恋の相手だったらしい、と聞いたよ。婚約する男も、相手が女王だと後から知って、相当悩んだらしい」

「まぁ、そりゃそうだろうな」

「俺だったら、女王陛下にプロポーズされたら、一も二もなくイエスって言うがな」

そう答えた若い記者に、お前はそういう奴だ、と数人が笑った。

「悩んだって事は、婚約者は、意外に真面目なやつかもしれないな」


まだ若い女性記者が、透の前へ出てきた。

「日本の記者さん、日本人の男性はみんな、あなたみたいにナイスガイなの?」

透が返答に困っていると、ちょうどアントンが声をかけてきた。

「透、こんな所にいたのか。なんだ、ゾーヤ、来ていたのか」

「アントン兄さん、この人と知り合いなの?」

アントンはゾーヤと呼ばれた女性記者に頷いた。

「透、ゾーヤは私の妹で新聞の記者をしている」

「アントンの妹だったのか。あんまり似ていないから、わからなかったよ」

「ゾーヤは母親似で美人だからな」

自慢気にアントンが答えた。かなり嬉しそうだ。よろしく、と透は手を差し出した。ゾーヤは透の手を握ったまま、アントンに尋ねた。

「私、彼について日本に行ってみようかな? 連絡先、聞いてもいい?」

アントンは首を振った。周りの記者が冷やかしの声を上げた。

「駄目だ」

「アントン兄さんだって、高校の時に日本に行ったでしょ? 私はもう成人よ。」

ゾーヤは情熱的だ、と周りの記者たちが揶揄っている。

「あれは、仕事だ。とにかく、透は駄目だ」

「何で?」

「ゾーヤ、私には婚約者がいるから……」

「あら、いいじゃない。私の方がいいに決まってる」

透はこの国の女性とはあまり会ってはいないが、気が強くて、自信満々な女性が多いのかな、と思ったが、口には出さない。


 レイラが匠を伴って、撮影場所に姿を表した。薔薇の花弁で出来たかのようなドレスを身に纏っている。細っそりしたレースの袖、蕾のようにレイラの上半身を包む幾重ものシルク、細く絞ったウェストを挟んで、スカート部分は薔薇の花びらを何枚も重ね合わせたようなミモレ丈のドレス。レイラ自身が、まるで大輪の薔薇そのものだった。

 待ち構えていた記者たちの口からため息が漏れた。ゾーヤも透の手を離す事も忘れ、息をつめて見つめている。

「いつ見ても、絵画の中の女神の様に美しいわ」

「まるで薔薇の女王のようだ」

「流石、我が国の女王陛下は、麗しい」

 レイラは記者たちに写真を撮る暇も与えず、その称賛を、凛とした表情のまま聞き流し、真っ直ぐに、記者たちの方へ歩み寄って来た。記者たちは慌てて、男性は会釈を、女性はカーテシーをした。ゾーヤも慌てて、透の手を離し、カーテシーをした。記者たちは女王が誰か、知り合いでも見つけたのかと、お互いを見、キョロキョロした。


 ちょうどその時、青く光る羽を持つ蝶がレイラの前を横切り、透の漆黒の髪に止まった。レイラは微笑みながら、透の髪から蝶をそっと自分の手に移した。その様子が、生ける薔薇に止まった蝶を思わせ、記者たちは写真やカメラを回した。ゾーヤが慌てて、透の袖を引っ張って、挨拶、と言ったが、透はレイラと目を合わせ、微笑んだたまま動かない。レイラがチラリと、透の袖を引っ張っているゾーヤを見た。ゾーヤは慌てて、先ほどアントンに言った事を、透にわかる様に英語で繰り返した。

「女王陛下、私も陛下を見習って、この人に付いて日本に行き、学んできたいと思います」

透が驚いたように、ゾーヤを見た。レイラは透の様子から状況を把握したようで、ゾーヤに囁いた。

「ゾーヤ、透に一目惚れしてしまうのは分かるが、それは困る。透は、私の婚約者だ」

ゾーヤはそれを聞いて、青くなった。アントンが天を仰いでいる。

「失礼致しました。知らなかったのです……」

レイラは他のことに関しては、寛容だが、透に近づこうとする人物には容赦しない、という事をアントンから聞いていたゾーヤは、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。アントンは、妹に、こう言うわけだから、あまり透に近づきすぎない様に、と小声で伝えた。しかし、晴れの日の今日、レイラはそんな些細な事は気にしなかったようで、アントンもゾーヤもほっとした。


 レイラは透の顔から伊達眼鏡をそっと外した。透がレイラに腕を差し出し、レイラが腕を絡ませる。それを見た記者たちは、先ほどまで一緒に話していた日本の記者だと思われた人物が、婚約者だと気づいて、騒然となった。将来の王配にかなり失礼な事を口にしてしまったと考えたからだ。

 

 透は記者たちに聞こえないように、レイラの耳元にそっと称賛の言葉を囁いた。それを聞いた途端に、レイラは着ているドレスと同じ色に頬を染めた。カメラを回していた者も、蝶を移す瞬間を撮っていた者も、女王に何が起こったのだろうと不思議に思った。サファノバ女王は常に凛としていて、顔色を変える事が無かったからだ。

 

 腕を絡ませ、写真を撮った後、記者から、見つめ合っている所を、とリクエストが出た。先に目を逸らしたのはレイラの方だった。しかも、先ほどと同じ様に再び頬を染めている。

 記者たちは、今まで見た事のない女王の意外な一面––婚約者と見つめあうだけで、頬を染めてしまう––可愛らしい所を発見した。記者たちは透の事を、女王の隣に並ぶのに、勇気など全く必要ないと認めた。


 記者たちは口には出さなかったが、ある事に気づいた。アレクシスの時は、腕を絡めるどころか、二人の間は1メートル程距離があった。近くにいるように見えるように写真を撮るのに苦労したというエピソードがあった。ステファンの時は50センチメール位あいていた。透とは隙間なく、ぴったり寄り添っている。その上、いつもは凛としているレイラが、柔らかく微笑んでいる。そして、女王は本当に幸せそうだと、記者たちは思った事を安心して書く事が出来た。


 透の経歴や、二人の出会いのエピソードなどがレイラの口から話された。レイラは事前に打ち合わせた通り、非常識なエピソードは話さず、一緒に生徒会をした事や、子供を亡くした1年後の去年に、日本まで透にプロポーズをしに行った事等を、時折、透と視線を交わしながら話した。そして、自分がある人物に軟禁された所を、透が救いに来た話も付け加えた。記者たちは未来の王配が、気さくな人物である事も書き足した。そんな事からも、先ほど披露されたエピソードは、誇張した話ではなく、本当の事だろうと、受け入れられたようだった。

 

 匠については、暗殺を免れるために日本に隠していた子であり、正式な後継者とする事が発表された。匠の養母と透は姉弟であり、匠の成育に透が関わった事も伝えられた。透とレイラがそれぞれ匠の肩に手を乗せて三人で写っている写真も、まるで今までいつもそうだったかのように自然で、微笑ましい写真となった。三人での写真を撮り、やっと撮影が終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る