第102話 歌と馬

 春休みに入ると、匠がサファノバに来た。大臣達や家令たちとの顔合わせも、無事に済んだ。匠がレイラ似のせいか、大臣たちからは好意的に受け入れられた。しかし、レイラの曇りのない表情とは対照的に、匠の表情はどこか曇りがちだった。匠は一人で来て、この後に控えているお披露目の事を考え、緊張していたのだ。

「匠、何か心配事でもあるの?」

「何でも、ないよ」


 匠はクリスマスの時に、自分がすぐに後を継ぐから、とは言ったものの、まだ日本にいたいと、今は思った。まだ、メンバーと一緒に歌っていたい。楓と波瑠は大学に受かるまで、活動しないと言っているが、受かれば受かったで、忙しくなって活動できないだろう。大学に通うまでのほんの1〜2ヶ月くらいは活動できるかもしれないが、本当に活動出来るかどうかは分からない。紬は夏休みまでは、部活動を続けると言うが、夏休みに入れば、受験勉強一色になるだろう。


 匠と結衣が活動を続けたくても、結局、同じメンバーではもう続ける事は不可能だった。音楽事務所との契約の話が持ち上がっていたが、契約すれば、新しいメンバーを探してきてくれるのかもしれないが、それも気が進まない。契約したとしても、匠はじきに、サファノバへ戻って、言葉から勉強しなくてはならないから、歌には専念出来ない。いずれにせよ、One smile for allのメンバーとしての活動は、もう終わりだった。この春休みで、事実上メンバーは解散となる。匠がサファノバへ旅立ってしまった事で、活動が出来なくなったからだ。

 日本で歌い続けるために、王位継承者となる事を拒否してしまえば、透はレイラと結婚出来ないかもしれない。それを考えると、匠は絶対に拒否できなかった。せっかく、やっと、想いあっていた二人が結婚するというのに、それを自分のせいで壊すわけにはいかなかった。


「匠、なんでもないと言う顔じゃない。何か心配事でもあるの?」

忙しそうにしているレイラが、匠の顔を覗き込んで聞いてきた。

「俺は、いつまで日本にいていいの?」

「日本を離れるのが、嫌なのかな?」

匠がコクリと頷く。レイラは小さく溜息をついた。匠はこの美しい母を困らせたく無かった。それでも、やりたい事は日本にあるような気がした。ただ歌いたいだけなのか、結衣と一緒に組んで歌いたいのか、よく分からないでいた。

「よく、分からないんだ。もっと、歌っていたいけれど、この国の事を早く勉強しなければいけないのは分かっているし……」

「直に、透が来る。それから、よく話し合おう。透はきっと、匠の好きなようにさせればいいと言うかもしれないけれど、色々学んで貰わなければならないから、私からはそうも言えない。ベストではないかもしれないけれど、匠にとってベターな答えを見つけよう。匠にとって辛い事かもしれないけれど、匠はもう自分の気持ちだけで、将来を決める事は出来ない。それでも、昔の私よりは、きっと選択の幅が広がるとは思う。私も透もそうなるように努力するつもりだ。住み慣れた土地を離れる事がストレスなのはわかる。ましてや、匠はこの国の後継者だ、といきなり言われたのだから……。そうだ、気分転換にサンダーに会いに行く?」

 忙しいはずのレイラが、職務を後回しにして、匠の手をとり厩舎へ向かった。匠は牧場や乗馬体験などで、馬に乗った事も触れた事もあったが、自分の馬を持ったのは初めてだった。匠が恐る恐る、近寄って撫でてもサンダーは大人しく撫でられている。

「サンダーは性格がいいよ。匠みたいだ」

「俺は馬と同じ……それって褒めてる?」

レイラは笑いながら、サンダーを撫でる。匠はサンダーを撫でているうちに、モヤモヤしていた気分が少し穏やかになってきた。サンダーの漆黒の立髪に顔を埋めると、干し草のいい香りがした。

「乗ってみたいな」

レイラはアントンとキリルを呼んで、匠の乗馬を任せた。キリルは高校を出たばかりだが、子供の頃から馬が好きで、馬に慣れている為、レイラも安心して任せる事が出来る。アントンは通訳の為に呼ばれた。その日から、匠は暇さえあれば、キリルから馬の世話の仕方と乗馬を習った。


 乗馬は一種のセラピーにもなる為、匠の気持ちはだいぶ落ち着いた。同時にアントンに聞きながら、歳の近いキリルと会話を試みるようになった。キリルは穏やかな性格で、匠の辿々しい言葉を辛抱強く聞き取り、ゆっくり話し、適切な言葉を教えてくれた。キリルは馬の世話をしながら、大学に通っている。大臣たちが、穏やかで忠誠心の強い性格のキリルを、将来、匠を支える護衛か大臣の一人となるよう選んできたのだ。キリルは大臣と護衛を輩出するミハイルの属する家の末弟だった。大臣達の思惑通り、匠とキリルは少しずつ、友人関係を築き始めた。

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