第32話 蛇

 羽田空港。

 アントンがやきもきしながら、レイラの到着をチェックインカウンターで待ちうけていた。同行した事務官と、マルコヴィッチはもう保安検査を受けて入ってしまっている。

「有用な情報を集めるために、日本にもう1日いたいのだが」

やっと現れたレイラが凛とした表情のまま、日本語で透に聞こえるように、アントンに問う。アントンが渋い顔のまま、サファノバ語で嗜める。

「透ともう片方のパークにも行きたいのでしょう? 駄目です。明日は隣国から訪問者が来るのですから」

レイラはアントンには聞こえない様に、透の近くで声をひそめた。

「次はいつ会えるか分からないのに……。もう一日だけでも、日本にいたかった。透、母上に勧められても、お見合いはしないで」

「大丈夫だから。冬休みに匠が行くよ」

「透は来ないの?」

「時間が取れたら」

アントンが足踏みしそうな勢いで言った。

「レイラ様! お名残惜しいのはわかりますが……」

レイラはアントンを無視して、通常モードに近い声で透に話し続ける。

「そっけないよね……。民間機だから拐って乗せてくわけにはいかないし」

「はいはい、拐われなくても、ちゃんと行くから。ほら、もう行かないと」

保安検査場の入り口で、レイラは振り返り透とハグを交わす。

「……帰したくないな」

透が珍しく、耳元で呟いた。レイラは真っ赤になった。アントンが早く、と入り口で促している。

「そんな事、今言われても、本当に困る……」

「もっと早く言えば良かった?」

「透の意地悪……匠を頼む」

「分かっている」

透はパークの袋ではない袋を手渡し、憎らしいくらい爽やかな笑顔でレイラに手を振った。


 透はレイラを見送り、帰ろうと振り返った。5メートルほど離れたところに、健斗が立っていた。

「築地さん、こんばんは」

「こんばんは。誰かの見送りですか?」

「女王陛下と最後に言葉を交わせないかと思ってきたのですが、築地さんに出し抜かれましたね。全く目の端にも入れてもらえなかったようで……」

健斗が自嘲気味に笑う。透はレイラといると、レイラが目立つ所為なのか、よく目撃される事に、驚きを通り越して呆れた。この場合、健斗がレイラを待ち伏せしていたのではあるが。

「会食はどうでしたか? 商談はまとまりましたか?」

「それはもうご存知では? 女王陛下は会食の後、この時間まで何をしていたのですか?」

「さぁ、情報収集か何かではないでしょうか」

「先ほど、二人が一緒にタクシーから降りてきたのを見ました。なので、何をしていたのかと、伺ったのです。ちなみに僕は読唇術が出来ます。先ほどの会話、申し訳ないのですが、一部見てしまいました」

「あまり、良い趣味ではありませんね」

「仕事上、必要な時が多々ありますので」

健斗はそう言うと、不遜な笑顔を透に向けた。

「急いでいるので、失礼」

透が健斗の横を通ろうとすると、前に立たれた。

「少し、話をしたいのですが」

「あなたと話す事はありません」

「そんな事を言っていいのですか? 僕は父から商談を任されました」

 商談をまとめるように言ったのは透であって、レイラはどちらでも良いと言った。この面倒くさい人物と関わり、後々、面倒な事になるくらいなら、最大手の大村といえど、相手にしなくても良いのではないかと、透は思った。

「どうぞ、ご随意に。私はただ紹介しただけですから」

健斗は少し驚いた。商談のまとまりを餌に話ができると思っていたのだ。大村との商談を断るとは、思っても見なかった。


「しらばっくれないでくださいよ」

透が歩き始めると、健斗がついて来た。透は健斗との会話から逃れる事は出来ないと諦め、人気の少ない方へ足を向ける。

「築地さんは、女王の日本でのコンパニオンですよね?」

「は?」

「女王はあの通りの美貌だし、自分の行く国にお気に入りの美形を取り揃えているのではないでしょうか」

「女王に対しても、私に対しても失礼ではありませんか?」

「そうであれば、築地さんのポジションを僕が頂いてもいいでしょう?」

健斗は全く人の話を聞いていないようだ。しかし、透としては本当のことを説明する気にはなれない。

「何のポジション?」

「コンパニオンですよ。日本にいる間だけでいいなら、いいじゃないですか。よくある話じゃないですか。絶世の美女と過ごせて、将来を迫られることもない。最高じゃないですか。彼女あちらの方はどうですか?」

透はこの男が喋るたびに、レイラが汚されて行く気がした。確かにレイラは、見た目は絶世の美女だが、駄々はこねるし、無茶はするし、人の気持ちは考えないし……。けれど、危険が迫れば迷わず駆けつけるヒーローのような所もある。そして、どうしようもなく愛しい。

「そんなに絶世の美女がお好きなら、美人女優とでもお付き合いしたらどうですか?」

「付き合いましたよ。変にプライドが高くて、困る。一般人はもう飽きました。どうせプライドが高いなら、王族と付き合ってみたいんですよ。彼女は高価な宝石そのもの。その為ならいくら払う事になっても構いません。一時期でも良いので、そのポジション譲ってもらえませんかね」

 この男とは、何をいくら話して見ても、同じ言語を使用しているにもかかわらず、意志の疎通が図れないだろうと、透は思うと同時に吐き気がした。

「築地さんだって、そうでしょう? あなただって相当なイケメンなのだから、女性でも男性でも、選り取り見取りじゃないですか? 僕の言っている事、わかりますよね?」

健斗は所詮、おぼっちゃまで、会社の経営責任は父親が取っているのだから、気楽な身分で好き勝手やっているのだろうと、透は想像した。欲しいものは、大村の名前とお金で手に入れてきたのだろう、と。

「築地さんは女王から、あなたの為に、もう一日、日本にいたいとか、拐って行きたいとか、相当溺愛されていますよね。あの凛とした女王の口から、そんな言葉が出てくると、ゾクゾクしますね。あなたが、何か囁いたら女王は赤くなっていましたね。どんな風にすれば、あの女王をそのように惑わせる事が出来るのか、教えてくださいよ」

透はますます気分が悪くなってきた。指摘された事が他人から見るとそう見えるのかと恥ずかしさも少しあったが、健斗の考え方に嫌悪を催す気持ちの方が強かった。


「実を言えば、築地さんにも興味があるんですよ」

人気のないところに健斗を連れてきてしまった事を、透は後悔した。言いがかりを付けられ、暴力に訴えられても、切り抜けられる自信があったから、人気の無い方へ足を向けたのだが……。形成不利な展開と見て、透はくるりと向きを変えて、歩き去ろうとした。それを察知した健斗が透の行く手を塞ぎ、不意に抱きつき、キスをしてきた。透は思わず、健斗を突き飛ばした。健斗が尻餅をついた。

「築地さんの唇、柔らかいですね」

尻餅をついたまま、健斗がニヤニヤ笑っている。透は不意にフラッシュバックに襲われ、壁に手をついてずるずると蹲み込んでしまった。

 偶然通りかかった清掃係の人が、慌てて駆け寄ってきた。スマホで空港内の診療所に連絡をしている。大丈夫ですか、と声をかけられているのだが、透は返事ができなかった。

 唖然としている健斗を置いて、透は担架に乗せられ、運ばれてしまった。暫く呆然としていた健斗は、何が起こったのか知りたくなった為、空港内の診療所を探した。健斗が診療所にたどり着いた頃には、透はもう空港内にはいなかった。


 空の上で、レイラは不意に嫌な予感に襲われ、教えてもらった透のスマホに電話をした。何回かけても出ない。アントンにもかけるように、伝えたが、やはり出ない。仕方なく、電話して欲しいと、メッセージだけ残した。自家用機ではない為、引き返す事は出来ない。

 気を紛らわせようと、ゲートで手渡された袋の中を見る。耳付きカチューシャと、自動で撮られたパークの写真と、見覚えのない箱が入っている。箱を出して開けてみると、中から、シンデレラのガラスの靴が出てきた。職人が、買った人の名前を入れていたところを、レイラが熱心に見ていたガラスの靴と同じものだった。綺麗だね、レイラがと言うと、透はふうん、と言っただけだったのだが。ガラスの靴にレイラの名前と今日の日付が入っていた。レイラはガラスの靴をそっと握りしめた。


 診療所の医者は、透の真っ青な顔を見て、少し休んでいくよう勧めてくれたのだが、健斗が追ってきそうだった為、診療所に着くや、すぐにタクシーを呼んでもらい、乗せてもらった。とてもではないが、公共の乗り物に乗って帰れそうもなかった。透はタクシーの中で、レイラからのメッセージを確認した為、深呼吸を何回か繰り返し、精一杯、平静を装って電話する。

「どうかした? 飛行機の中は退屈?」

「さっき、電話に出なかったから、心配になって……。ガラスの靴、有難う。大事にするね。いつの間に?」

「並んでいる間に。電話は、ごめん、気がつかなかった。今日は楽しかった?」

レイラの返事に、そう、良かった、また会えるのを楽しみにしている、と答えて電話を切った。

 透は通話を終えると、透はタクシーの運転手に、具合が悪い為、横になっているので、着いたら知らせてくれるよう頼んで、倒れるように横になった。

(ずっとフラッシュバックがなかったから、もう大丈夫だと思っていたのだが……)

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