第17話 軽音コンテスト
9月中旬の土曜日。
東京都の高校軽音コンテストは八王子のオリンパスホールで行われる。ビデオ審査を通った20組だけあり、各学校とも自信のありそうなバンドばかりだ。今回の会場は、匠達が前座で出たライブハウスよりも約10倍近い人数が入る。ノリの良いスタンディングではなく、椅子席だ。
One smile for allのメンバーはコンテストの衣装を、黒い服で統一した。匠は透に買わせたレースのワンピース、ゆるくウェーブのかかった茶髪の結衣は、シルク風の黒いゆったりとした王子様のような提灯袖のブラウスに細身の黒い皮のパンツ、サラサラボブをハーフアップにした楓はノースリーブのバッスル風のミニ丈ワンピース、腰まであるストレートヘアをポニーテールにした波瑠はヨーロッパ中世宮廷服のようなスタンドカラーのロングコートに細身の黒のパンツ、ショートヘアの紬は細めの黒いジーンズに、黒のダボッとしたスタンドネックのロングパーカー。上下制服のバンドや、お揃いの服に身を包んでいるバンドもある。
匠は、最近気を抜くと、写真の母の顔が浮かんできてしまって、しょうがなかった。一眼見たら忘れられない、見た事も無いほどの圧倒的な美貌。今も大事に鞄の中にしまってあり、会うかどうか、迷いつづけている。写真を見るまでは、会いたいという気持ちが全くなかったが、写真という目に見える形で現れてくると、会ってみたい気がした。それに、写真の人物が、例え自分の母でなくても、一度本物を見てみたい、という気がしてしまう。
しかし、会ってしまえば、匠はサファノバへ連れていかれる事は目に見えている。言葉も習慣も違う上に、知っている人は誰もいない。気軽に日本に帰ってくる事が出来るかも怪しい。透は匠に、透が行くか行かないかで決めるなと言っていたが、透がいるといないのでは大きく違う。
(透ちゃんの答えを聞いてからでは駄目なのかな。せめて高校卒業まで待ってもらえないのかな。まだサファノバには行きたくないけど、それでも、母親だという人に会ってみたい。でも、生みの親に会いたいなんて両親には言えない。特に母さんには……。母さんもばあちゃんも生みの親を嫌っている。透ちゃんを誑かしたとまで言っているし……)
無意識に匠は爪を噛んでいた。
結衣は匠の様子がおかしい事に気がついた。励ましたりしてみたが、緊張しているだけではなさそうだった。心が上の空なのだ。今日はコンテストだと言うのに、このままでは、匠はいつもの様に歌えないだろう。もしかしたら、理事長なら事情を知っていて、匠を落ち着かせることができるかもしれない、と思い周辺を探しにいくことした。あの身長であれば、見つけやすいはず、と結衣は頭一つ上を探し始める。入り口辺りを探していると、さらに背の高い顧問の森と理事長が、一緒に歩いているのが目に入った。
「おはようございます! 理事長、森先生」
森が結衣に気がついた。
「結衣、誰か探しているのか?」
「理事長を探していました」
「どうかしましたか?」
「くみ、何か心配事があるみたいで……。本番だからじゃないと思うんです。何かあったのか、今日は凄く落ち着かない感じです。一緒に来てくれますか」
透は束の間迷ったが、頷いた。今日、アントンは調査に出ている為、付いて来ていない。ならば、匠と接触しても、問題はないだろう。森も付いてくる。それを陰から見ていた者がいた。
十ある楽屋のうちの一つに静実学園のOne smile for allが集まっていた。森がみんなの調子を尋ねたりしている間に、透は匠を、まだ人気のない客席へ連れ出した。オリンパスホールの深紅の座席はオペラやバレエを鑑賞する方が似合いそうだ。
「透ちゃん、どうしたの? 生徒がいる前で俺を連れ出すなんて」
「メンバーは、理事長とくみは叔父と姪だと知っているから、大丈夫だ。それより匠、木村さんが心配して、私を呼びに来た。レイラの事で悩んでいるのか?」
「……分からない。気を抜くと写真の顔が浮かんでしまって……。会いたい気持ちも少しあるけれど、会ってしまったら、そこから色々な事が大きく変わってしまうのが、怖くて。写真を見るまでは、会いたいと思わなかったのに……。母親が実際に、存在するとわかってしまったら、不思議な事に会ってみたい気がしてきた。それって育てもらった家族に、悪い気がして……。今の生活も壊したくない……」
「会いたいと思う事は、悪いことじゃない。自分を産んだ母親に会いたいという気持ちは自然なものだから、すまなく思うことはないよ」
「でも……。母さんと父さん、ばあちゃんはどう思うだろう?」
「匠は家族思いだから、そう考えてしまうんだね。でも、この機会を逃したら、もしかしたら、会う機会はないかもしれない。そうなった時、後悔しないだろうか? 一度進み始めたら、生活が一変してしまうだろうし、想像もつきにくい。普通の状況じゃないから、余計に迷うのはわかる。私も同じだよ」
「そうだったね。どうするの、透ちゃんは?」
透は苦笑した。
「匠にアドバイス出来るほど、決断できていないな。私たちは多かれ少なかれ、毎日色々と選択をし続けている。その選択が小さなものであっても、後から考えると、人生の流れを大きく変えたりする事もあるし、大きな選択だと思ってした事も、実はどちらを選んでも大して変わらなかったりする事もある。不安は自分が感じるもの。将来が見えない時や、具体策がわからない時に感じる。今すぐに消えるものじゃない。自分が気持ちを決めて、一直線に進み始めたら、消える。でも、今は本番前でそんなことを言っていられないよな」
匠は頷く。
「心配や不安がある時は呼吸が浅くなるから、まずは何回か深く深呼吸をする」
客席の隅から見える舞台の方では、器具の設置や照明音響のテストが行われている。けれど、まだ客席の片隅はあまり照明も入っていず、人気もなくひっそりとしたまま、時折、色鮮やかな光が通り過ぎる。匠は様々に色の変わる舞台を眺めながら深呼吸をした。
「口角を上げて笑顔を作る。自分は笑顔だと言い聞かせると、脳が騙されて楽しい気分だと思うらしい」
本当かな、と言いつつ匠は口角を懸命に上げる。透の温かい手が匠の頭に乗る。
「だんだん、良い笑顔になって来た」
「透ちゃんは、……あの人の笑顔に惹かれたの?」
透は虚をつかれた。
「……さぁね。内緒」
内緒も何もない。答えは顔に書いてある。匠はその答えを見て、自信を持って大きく笑った。
「今日の本番は大丈夫。有難う」
匠はさっと透をハグすると、楽屋へ駆け戻って行った。
「親子ともに引き際が鮮やかだな……」
匠だけではなく、透もまた、レイラに逢いたいと思った。多分、匠が思うよりもずっと強く……。
匠は、ついて来た透に、大丈夫だから、と言ったが、透は家族と一緒に客席から見ることを止め、森と一緒にリハーサル室、舞台袖まで付き添った。
勿論、理事長ファンの波瑠は大喜びだ。結衣は戻って来たくみが、いつも通り落ち着いているのを見て、安心し、透にお礼を言った。
透は他校の生徒からチラチラ見られている事に、気がついていても、みんなそんな風にお互いを見ているのだろうとしか思っていない。逆に匠は他校の生徒からチラチラ見られ、多少ピリピリしていた。
本番直前、森は落ち着いていたが、透は自分がステージに上がるのではないかと思う位緊張していた。ただ、表には出さず、にこやかな笑顔を貼り付けている。メンバーはライブの経験もあったお陰で、いい感じに緊張している。
ピリピリしていた匠だったが、透の緊張に気付いた。気付くと可笑しくなり、口には出さずにニヤニヤ笑って透を眺めた。気付いた森が、笑いながら小声で、匠に話しかける。
「築地先生、かなり緊張してるよね」
「え? 誰が緊張してるの?」
紬が聞いて来たので、匠はステージの方を腕組みして見ている透を指差す。他のメンバーもすぐに気がついた。
「え? あれで緊張しているの?」
「緊張していると、無意味ににこやかなんだよね」
匠が教える。森とメンバーに観察されている事に、ようやく気が付き、透が怪訝そうに振り返る。
「先生、なんで緊張してるんですか? 舞台に上がるのは私たちですよ〜」
楓が歌う様に言った。
「バレましたか……。子供や、親戚の子が舞台に上がったり、発表したりするのを目にすると、自分がパフォーマンスするよりも緊張するんですよ」
「そういうものですか」
「そういうものです」
匠は笑いを堪えすぎて涙目になっている。それを見たメンバーも笑った。もうステージの袖に来ている。緊張していようがいまいが、声がかかったら、行くしかない。行って、今自分たちに出来る最高のパフォーマンスをするしかない。
「理事長、ファイナル出場決まったら、帰りに奢ってください」
後ろで結衣が引っ張っているのにもめげずに、ハイ状態の波瑠がお願いした。
森も慌てて止めようとしたが、透は首を縦に振った。
「いいですよ。森先生も一緒ですしね。今日は車で来ましたから、帰りは皆さんを送りますよ」
「よっし、そうと決まれば、ファイナル行こう!」
紬が手を出す。結衣、楓、波瑠が手を重ねる。慌てて匠も手を重ねる。
「エントリーナンバー15番、私立静実学園高等学校、軽音楽部よりバンド名One smile for all、曲はオリジナルで嘘の真実、どうぞ!」
5人がステージへと駆け出して行った。ここからは、森も透も応援する以外、何も出来ない。透は、だから、緊張してしまう。近くにいれば、手を差し伸べる事もできるが、一度、舞台やステージの上に子供たちが立ってしまえば、見守る以外、何もできる事は無い。舞台には子供達しか立てない。その子の力を信じて、応援するしか無いのだ。ミスをしても、ひどい事になっても、本人たちがカバーするしかない。反対に、拍手喝采を受ければ、その子達の自信になる。子供達を育てるという事はそういうものだと思う。自分で立つ場所へ、そこに向かうまでの、自信と力をつけてあげる事だと。自分たちで対処する能力や、助けを求める力や方法を自分で考える事ができる様にする事が、教師や親に出来る事なのだと。
舞台の上からも舞台袖からも、菊が持って来た横断幕が見えた。「頑張れ静実学園!」と。菊と洋子が端を持ち、真ん中に和人が小さくなって座っていた。
「静実学園から来ましたOne smile for allです」
結衣が挨拶して、匠にマイクを渡す。
波瑠の静かなピアノから始まり、匠が囁くように呟くように歌い始める。紬のドラムのゆっくり刻んでいるテンポが徐々に速くなり、心臓の脈動と同じくらいになる。
ねぇ、どうして嘘をつくの
貴方は傷つけたく無いと思って嘘をつくのかもしれないけれど
その嘘が私を傷つけるとどうしてわからないの
あなたの嘘は私を守るため 私の嘘はあなたと一緒にいるため
あなたは笑うけれど 私にだってあなたを守ることが出来る
嘘の真実を知った時 世界は加速度をつけて周り始める
廻り出したら止められない世界へと
否が応でも私を連れ出して行く
もう二度と戻れない世界へと
貴方を失う事と引き換えられるなら
この世界なんて消えて無くなってしまってもいい
貴方の笑顔を引き出す事ができるなら
この世界を滅ぼす悪魔と取引する事になってもいい
嘘の中にある真実だけが全て
匠は歌いながら、もう今いる日常は遅かれ早かれ消えて無くなり、二度と戻ってくることが出来ないと、締め付けられるように思った。その気持ちを歌にのせる。
サビの部分は高音域で更に、声量が必要になる。匠の歌声は声量もあり、深く響き、心の中に入り込んでくる。気付くと異空間に引き込まれてしまうのだ。森が透に呟く。
「くみは以前と比べると、声に艶が出て来ましたね。この年でこれだけ艶っぽい歌い方をするとは……。何かありましたか?」
透が答えずにいると、森は一人で納得したように頷いた。
「思春期だし、色々あるのでしょうね。何か一つ乗り越えたり悩んだりする度に、大人に近づいて行くものですから」
「森先生、くみをOne smile for allにスカウトしてくれて、有難うございました」
「今更、どうしたんですか」
森はぎこちなく頭に手をやった。
「くみは小学校から合唱をやっていたせいか、主張するよりも調和を大事にし過ぎる傾向が強かった。でも、ボーカルをやるようになってから、少しずつ自分を主張するようになってきました」
「私はきっかけを作っただけで、変わっていったのはくみ自身の力ですよ」
森は憧れの先輩に、お礼を言われ大いに照れた。
静実学園からも応援が駆けつけ、コンサートさながらに曲に合わせてペンライトを振っている。
「それにしても、一週間に一度の練習であそこまで伸びるとは、凄いですね」
「軽音には一週間に一度ですが、合唱はほぼ毎日。だから、ほぼ毎日何かしら歌の練習をしていますよ」
「そうでしたね。うちも合唱部の練習方法を、取り入れた方がいいかもしれませんね」
「それは良い考えですね。早速、木野田先生と話が出来る様にしましょう」
演奏の最後のピアノが静かに響いた。客席は静まりかえった。
「有難うございました!」
匠とメンバーが一斉に頭を下げると、嵐のような拍手が沸き起こった。見ると静実学園の生徒だけではなく、会場中が立ち上がって熱狂的な拍手をしていた。
メンバーが舞台袖に駆け戻って来た。匠が透に飛びつくと、他のメンバーもつられて、抱きついて来た。透は雛を抱える母鳥のようにみんなの背に手を回し、ぽんぽんとあやす様に軽く叩いている。
「皆さんよく頑張りました。今までで一番良かったですよ」
「顧問は私ですが……」
森が横でボソリと言う。
結衣がハッと気づき、手を離すと、他のメンバーも慌てて透から離れた。紬が森にハイタッチすると、続けて波瑠、結衣、楓がハイタッチした。波瑠が声をかけようと匠を振り返ると、楓は黙って波瑠を止めた。匠がまだ透に縋り付いたままだったからだ。ステージでは次のバンドが、とっくに演奏を始めている。その音に紛れて、匠は透にだけ聞こえる大きさで話しかける。
「……あの人に会おうと思う」
「そうか……」
「今すぐじゃないけど。後、少しだけ時間がほしい……」
「匠の方が、決断が早いな。匠の心の準備が出来たら、アントンに話す事にしようか」
透は匠の頭を優しく撫でる。波瑠が呟く。
「なんか邪魔しちゃ、いけない感じだよね……」
森は、声に出さずに内心呟いた。
(匠君、甥っ子じゃなかったか? まだ中1だし、色々あるのかな……。去年まで小学生だったにしても、築地先生の匠君を見る目は、優しすぎないか?)
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