第16話 護衛の有給
透が修の書庫兼仕事場に戻ろうと歩いていると、アントンが不審な男達に囲まれているのが見えた。
相手は五人で、五人ともプロレスラーのような体格をしている。五人の一人から何か聞かれたアントンが首を振ると、乱闘が始まった。アントンはあっという間に二人倒している。透を見つけたアントンが、
「透! 見てないで、逃げるか、手伝うか、警察に電話しろ!」
と叫んでいる。どうやら、たちの悪い相手らしいが、飛び道具は持っていないようだ。
アントンが声をかけた為、透に気がついた一人が向かって来た。透は仕方なく、平手で顔をつき、のけぞったところを蹴り上げた。見ると、アントンは余裕で、後二人を片付けていた。
呻く五人を残して、二人はそのままその場を離れた。
「透もクラヴマガを習っているのか?」
「昔レイラがやっているって聞いてね、習ったんだ」
「何でもっと早く手を貸さない」
「手伝うまでもなかったじゃないか。それにまだ手術したばかりだから、あまり動けないんだよ」
二人が去った後、伸びていたうちの何人かが目を覚ました。
「アントンと親しそうにしていたのは誰だ?」
「アントンは、トールと呼んでいたようだ」
「こりゃいい。何かあると思ってアントンを突ついたら、もっといい獲物が見つかったな」
「誰だ、それ?」
「サファノバ女王の想い人だ」
書庫兼仕事場に戻ると、透は、次回、戸沢の調理実習に生徒と一緒に参加して、フレンチを習うのもいいなと思いながら、中華料理好きのアントンの為に、麻婆豆腐と中華スープとキクラゲの辛子醤油和えを作った。透がビールを渡しながら、アントンに尋ねた。アントンはすっかりミラクルドライビールの虜になっている。
「さっきの男たちは何者だ? 何で襲われたんだ?」
「さぁ、聞こえた言葉だと、隣の国かサファノバの者だと思う。我が国が欧州同盟に加入したから、大国の嫌がらせもあり得る。いきなり、『日本で何をしている』と聞かれた。答えずにいたら、殴りかかってきた」
「アントン気をつけないと。目当ての子供を目の前で拐われてしまったら、大変だよ」
「そうだな、気をつける。いい匂いだな。何の匂いだ?」
「麻婆豆腐だ」
「透の作った料理を毎日食べているなんて報告したら……」
「報告しなくてよろしい」
アントンが皿に盛った側から、もりもりと豪快に食べる。
「旨い!」
「足りるか?」
「いや、食べ過ぎると、体の動きが悪くなるから、これで十分。何しろ、私は護衛だからな。透の作った物は、なんでも美味いな。考えずに食べていたら、あっという間に太りそうだ」
「そうか。少し、肉付きが良くなったんじゃないか?」
「え?! 本当か? 不味いな……」
アントンは筋肉隆々のアメリカンコミックのヒーローの様な体格だ。護衛やボディーガードという職業がよく似合う。
「アントンのこの髪は、地毛か?」
透がアントンのくるくるした巻毛に触ろうとした為、アントンは慌ててのけぞった。
「急に触られると、反射的に攻撃したくなるからやめてくれ。この髪はパーマではなくて地毛だ」
「ふーん。小さい頃は天使みたいだったんじゃないか、もしかして」
アントンは不意に真っ赤になった。透は悪戯心を起こしてで、急にアントンを突ついてみようかと思ったが、アントンの攻撃能力を思い出し、控える事にした。アントンから本気で攻撃されたら、命に関わりるぞと、透の本能が告げている。
「スープも美味いな。日本人はみんな料理が得意なのか?」
「そんな事はないよ。サファノバには調理実習はないのか?」
「無いな」
そういえば、調理実習の時、留学生たちはなかなか大変そうだったと、透は思い出した。レイラは野菜を切るのに、恐ろしい包丁の使い方をしていた。アントンは今思えば、ナイフを使い慣れている感じはしたが、料理ではなく違う方で使い慣れていたのかもしれない。やたらとクルクル包丁を回していた。海外では調理実習は全員が習う科目ではないらしい。
「サファノバでも、調理実習を取り入れたら? アントンも高校の時にやったよな? 覚えてる?」
「そうだな……」
「毎日の食生活が豊かになると、人生も豊かになる。あ、そうそう、今週末は用事があって、いないから。アントンも一日くらい休んで、少しは東京見物したらどうだ? 有給はないのか?」
「ユーキュー?」
(護衛には有給はないのだろうか?)
どうやら、アントンは有給という言葉自体を知らないらしい。日本語として知らないだけなのか、そういう概念がないのか。次回もし、レイラに会う機会があったら、有給について、どう思っているのか聞いてみよう、と透は思った。
透は溜息をついた。アントンが、観光バスにでも乗って、どこかへ旅行にでも出掛けてくれれば、匠の様子を見に家に戻ることが出来るのだが。休む事なく毎日、熱心にあちこちへ行き、調べ、とうとう養護施設という言葉を見つけ、電話をかけまくっている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます