第13話 本当の母親
匠たち合唱部は東京コンクールが終わって、夏休みとなる。
「匠、話がある」
匠が和人に呼ばれ、キッチンに入ると菊と洋子も揃っている。透だけいない。実子でない話も衝撃的だったが、今度はなんだろう、いないという事は透の事だろうかと匠は思った。
和人が切り出した。
「匠の本当の母親がわかった」
洋子は心配そうに、匠を見ている。
「この間はわからないと言っていたのに、なんで? 調べたの? 調べなくて良かったのに」
「調べたわけではなくて、色々事情があって、わかってしまったんだ」
「聞きたくない」
匠は嫌な予感がした。
「いや、色々面倒な事が起こる前に、匠本人が知っておいた方がいいだろうという事になったんだ」
匠が咄嗟に出て行こうとした為、洋子がそっと腕を掴んだ。
「匠、大事な事だから、聞いて。何があっても匠は私たちの大事な子供。でも……」
和人が洋子を見て頷く。菊が珍しく黙っている。
「匠はサファノバという、ヨーロッパとロシアの間にある小さな国の、女王の子供だ。女王の周りにいる人が暗殺され、身の危険を感じた女王によって、日本に連れてこられた。サファノバの人が今、その子供の行方を探している」
「え? どういう事? その人が探し当てたから、わかったんじゃ無いの?」
「違うんだ」
和人が言葉を選びながら、続ける。
「女王である匠の母親は、透君の高校時代の友人だったんだ。透君が、その友人と話をしているうちに、その子供が匠だと気づいた。透君は、匠がどうしたいか決まるまで、女王が派遣した調査員を監視している」
「派遣した人物って、この間東京コンクールに透ちゃんと来ていた、ごっつい人?」
和人が頷く。
「ただ、透君は匠が見つかるのは時間の問題だと言っている。だから、早く匠に話した方がいいと。何しろ、そのアントンとかいう調査員はもう、この辺をうろうろしているから」
匠はやっと、透が匠を遠ざけた訳を知った。ならば、何故、匠に直接その話をしてくれないのか。叔父であって両親では無いからか、匠は透の変な遠慮が嫌だった。
「見つかったらどうなるの?」
「透君は、匠が選べばいいと考えているようだが、父さんはそう思えない」
「和君!」
「匠は現在、女王の唯一の後継者だ。だから、サファノバに行く事になると思う。相手が一般の人であれば、肉親と養い親のどちらを選ぶか、匠の意思が尊重されると思うが、国の存続がかかっているとなると、私たちの意思では、どうにもならないのではないかと思う……」
「何だよ、それ。俺は物じゃない! 捨てたり、拾ったり、必要になったから、また持ち主の元へ戻されるなんて……」
匠が出て行こうとするのを、和人が手を掴んで止めた。
「待ちなさい、匠。女王は匠を捨てたわけでは無いと思う。暗殺の危険を回避するために、日本に隠したんだと思う。今、透君を呼ぶから、自分の部屋で少し待っていなさい」
「捨てた事は事実じゃないか!」
「私たちは、匠の事、をそんな物みたいに思っていないわ!」
洋子が匠を抱きしめた。匠はその手を振り払ってまで、飛び出して行く事は出来なかった。育ててくれた優しい両親を傷つけたくなかった。
(悪いのは俺の生みの親だ、今いる両親じゃない)
菊がノロノロと和人を見る。
「透に話をさせるの?」
「仕方ありません」
「和君、匠は私たちの子供でしょ! 何でサファノバへ行くと決めてかかるの?!」
「レイラさんの子供でもある」
「透ちゃん呼んでも、話は変わらないんでしょ?!」
「透君が直接聞いた話だから、詳しい話は透君に聞いてみてほしい。ここにいるのが嫌なら、自分の部屋にいてもいいよ。透君が来るまでは、どこにも行かないで家に居なさい」
匠は黙って、2階の自分の部屋へ引き揚げた。外に飛び出して行こうにも、中学生の匠には行くあてがないし、透が来るまでは待とうと思ったのだ。
下では和人が透に電話をかけ、事情を説明し、すぐに来てくれるよう頼んでいた。電話を切った後、和人は洋子と菊の方を向いた。
「透君は迷っているようですが、透君が、彼女の申し出を受け入れれば、匠はサファノバに一人で行く事はないでしょう。そうなれば、透君が匠の親になるのですから、我々はまた、いつでもという訳にはいかなくても、匠に会えるはずです」
30分後、駆けつけた透に、和人は菊と洋子に言った事と同じ事を伝える。透は、それには返事をせずに、匠の部屋へ向かった。
「匠、開けていいか?」
きちんとノックをした後、透が声をかけた。アントンには、家族内で大事な用があるから、と出て来た。
「どうぞ」
いつになく硬い返事が返ってきた。透が部屋へ入ると、匠は椅子の上に膝を抱えて座っていた。透にベッドに座るように手振りで示す。透は呼ばれたものの、何を話すべきか、何を話さないべきか迷った。透の中で答えが決まっていない。決まっていても、決心がつかないというのが正しいか。
「匠、何を聞きたい?」
言ってしまってから、透は卑怯な聞き方をしてしまったと後悔した。
「何を? 透ちゃんの知っている事全部。いきなり、母親が分かったって何? 知らなくていい、って言ったのに」
匠は透の方を向き、抱えた膝の上できつく指を内側に組んでいる。
「ごめん」
「なんで謝るの?」
そうだなと透は呟いた。
「匠の母親であるレイラと私は、短い期間だけど高校の時、生徒会で一緒だった。この間、レイラが久しぶりに訪ねて来て話をしているうちに、匠が彼女の子供だと気がついた。彼女の国は小さい独裁国家で、大きな国から狙われている。匠の妹に当たる子供は去年、暗殺されたと思われる。レイラの姉も暗殺されている。レイラは危険を感じて、匠が生まれてすぐ死んだ事にして、こっそり日本に匠を置いて行った。置いていった本人たちも行方が分からないくらいだから、匠はその国では存在しなくなり、狙われる事はなくなった」
なるべく嘘をつかないように、透は言葉を選んだ。
「今回レイラは匠を探すために、アントンという調査員を残して、帰国した。アントンも私の同級生だ。だから、匠を探すのを手伝うフリをして、調査がどこまで進んでいるか見張っている。まだ、アントンは警察に聞きに行ったばかりだが、日本は記録社会だから、いつまで記録が残っているかわからないが、そのうち匠にたどり着くだろう」
匠の中で何かが繋がった気がした。入院していた透を時間外に訪ねた訪問者、母たちがダイニングで話していた事。
「なんでその人は、透ちゃんを訪ねて来たの? 病院に来た人でしょ?」
一瞬、透がたじろいだのがわかった。
「レイラは、私に国に来て、色々手伝って欲しいと言いに来た。偶然、私が入院していた為、昔やったように、窓から入って来た」
「窓から?」
「昔から、悪戯が好きだったんだ」
「俺が中学生だからって遠慮しなくていいよ。透ちゃん、その人と結婚するんじゃないの?」
そう言ってから、匠はハッとした。
(自分の母と透が結婚したら、透ちゃんが父になる。そうであれば、そんなに悪くないかもしれない。家族に会える。少なくとも、透ちゃんが側にいる)
「匠……」
透は溜息をついた。
「まだわからない。学校もあるし……」
「わざわざ、お忍びで日本に来て、さらにこっそり病院に来たって事は、透ちゃんにプロポーズしに来たのかな、もしかして……。もう断っちゃったとか?」
透が微かに首を横に振った。透の顔がほんのり赤くなったため、答えを聞く必要はなかった。透はなんでも出来て、格好もいいのに、女心に関しては、何故こうも鈍感なのだろう。女性にプロポーズさせて、長々と待たせているとは……。
「俺は、その人と似ているの?」
答えない事は、そうだと言っているようなものだった。
最近、透が必要以上に匠をじっと見ていたのは、そのせいだったのか、と匠は思い当たった。自分は母親に似ているに違いない。匠は眼鏡を外し、顔にかかっている前髪をかきあげ、透の前に立った。透の顎を持ち上げ、自分の方を向かせる。
「いつまで私を待たせるつもり、透? って言われないかな?」
「……匠? …… 頼むから、からかうのはやめて、眼鏡をかけてくれ」
匠は透の反応が無反応か、嫌悪か、困惑のどれかだと思っていたが、意外にも羞恥からか、手で顔を覆い赤さを隠している。片方出ていた耳が真っ赤だった。
嫌いで、どう断るかを悩んでいるわけではなさそうだ。匠は透の反応に驚いた。いつも落ち着いている透が、こんな冗談で狼狽える程、自分の母親に惹かれているのかと。母親の方も、高校時代に会ったきりであろう透にプロポーズしに来る程、想い続けていたのかと。もしかしたら、ずっと、連絡を取り合っていたのだろうか。もし、透が断ったら、匠は一人で異国へ行かなくてはならない。
「わかったよ。暗殺があったくらいだから、サファノバって治安が悪いの?」
匠は眼鏡をかけて、椅子に座った。透が狼狽えるほどに、見知らぬ母親に、自分は似ている。不思議な感じだった。
「……私も行った事がないから、わからない。サファノバは今、大国に飲み込まれないために、同盟加入を考えている。加盟すれば、大国は暗殺する意味を失うはずだ。そうなれば、安心して暮らして行かれると思うよ」
「透ちゃんが行くなら、その国に行ってもいいよ」
「私の事は、考えに入れずに、自分でどうするか考えるんだ」
「仮にも自分を捨てた親の元へ行って、すんなり上手くやれると思う? やっぱりいらない、って殺されるかもしれないと思わない? 殺されなくても、言葉も習慣も全く分からないところで、生活するんだよ? しかも、ただ後継者だからって、呼び戻されて、重い未来背負って……。血が繋がっていたって、なんの記憶も無いんだよ?」
「それでも、私が行くから行く、行かないから行かないという安直な答えの出し方はいけない。私の事は数にいれず、考えるんだ。まずは、行くか行かないかの前に、会うか会わないかを考えてみてほしい」
透はビデオから静止画像として切り取ってきた、レイラの写真を匠に渡した。
「お母さんの写真だ」
匠は食い入るように写真を見つめた。写真は上半身しか写っていない。白黒なのか、光が少ないのか、色がなかったのか、判別がつかない。白く見える長い髪、鎖骨の見える黒いドレス。多少は匠に似てはいると思うが、華やかさが違う。女王というのはみんな、こんなに美しいのだろうか。周りにも、映画の中にもこんな人は見たことが無かった。匠は素直に綺麗な人だと思った。写真を見るまでは、本当の母親、と聞いてもピンと来なかったが、写真を見て、実の母親が現実になって近づいて来た気がした。匠は自分がこの人に会いたいのかどうか、まだ良く分からないでいたが、実在するのだと実感した。
透はそっと匠の部屋を出た。キッチンにいる洋子たちに向かって、
「しばらく一人にしてやってください。ただ、何処かへ走り出ていくようであれば、止めて連絡をしてください」
とだけ伝えて、出て行こうとした。洋子が透の腕を掴む。
「匠はなんて?」
「私が行くなら、行くと。でも、私のことは考えに入れずに、自分で決めるようにと伝えたから。レイラの写真を渡したから、それを見て色々考えているんじゃないかな」
「私は反対だから」
洋子は静かに言った。透はその視線を避けて、玄関に向かった。
菊が恐る恐る透を見る。
「透はどうするの?」
「まだ決めていません。母さんは知っているでしょう?」
菊は黙って頷いたきり、口を閉ざした。
透は玄関まで送りに出て来た和人に、目を合わせた。
「もし、学校を継いで下さいとお願いしたら、継いでくれますか?」
「お父さんに聞かれた時は、透君がいたからNoと答えたけれど、透君が匠と日本を離れる覚悟であれば、仕方ない。出来るだけ頑張ってみるよ。困ったら助けてくれるかい?」
「もちろん。でも、まだ大きな問題がある……」
「透君、あまり難しく考えない方がいい。周りの事より、自分の幸せを考えるんだ。周りはなんとかなるけれど、自分は、なんとかならないよ。大勢を幸せにする事も大事だけれど、たった一人の大切な人を幸せにする事は、それ以上に大事だと、僕は思うよ。もし、行くと決め、行ったり来たり出来るのであれば、理事長を辞めずにいてくれたら、助かるな。私はこのままサラリーマンでも、理事長代理でもどちらでも構わないから」
和人はそう言って笑った。
「姉さんは、幸せ者だね」
透にアントンからの連絡が来たのと、洋子が玄関まで走り出てきたのはほぼ同時だった。
「サファノバ、欧州連合に加盟したって」
透がアントンからの連絡を確認すると、同じ事が書いてあった。
「随分、早いな」
和人が驚きつつも感心している。
「昔からレイラは行動力があるから。でも急いだのは、いよいよ身の危険を感じたからもしれない」
「透君、リーチをかけられたね。どうするか覚悟を決めないとね」
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