第12話 不審者、再び

 透が週末に出かけようとすると、アントンがどこへ行のかと聞いてきた。

甥っ子の合唱を見に行く、と透が答えると、一緒について行くと言う。透は、また、この間のように、レイラに変な報告をされても困るから、来なくていい、と断ったのだが、甥っ子なら焼きもちを焼くこともなかろう、とアントンはついて来てしまった。

 

 会場は前回と同じく府中の森芸術劇場だったせいもあり、各学校のO Gや生徒たちが大勢、応援に駆けつけている。東京都コンクールは地区予選の三日間の予選の各日で金賞をとった学校が、さらに東京都コンクールへ進み、そこで勝ち進めば、関東甲信越のブロックコンクールへと進む。東京都コンクールは東京という激戦区での地区予選で金賞を取った学校ばかりの為、どこも甲乙つけがたい。会場が同じ場所という事もあり、どの学校も前回よりもさらにリラックスして歌えたるせいか、さらにレベルは上がる。

 

 透が横目でアントンを見ると、合間に日本の学校の合唱は凄い、と報告を送っているようだった。アメリカン・コミックのヒーローのような体格のアントンが、感動して、体から比べると小さく見えるハンカチで涙を拭っている。見渡す限り、感動してハンカチで溢れる涙を拭うほど泣いている人は流石にいない。静実学園が歌い終わった後、アントンは立ち上がって、拍手をして叫ぼうとした為、透は慌ててアントンを座らせなければならなかった。

「なんで素直に素晴らしいと表現してはいけないんだ?」

その問いを納得させる答えを透は持たなかった。ただ聴く時のルールだからだとしか答えようが無い。良いものに出会った時に、アントンのように素直にそれを表現する事も大事ではないか。せめて、静実学園内では、生徒たちが素直に気持ちを表現する事を、邪魔しないようにしなければと、透は思った。

 静実学園は見事、東京都コンクールを勝ち進んだ。次は関東甲信越ブロックコンクールとなり、大宮ソニックシティの大ホールで歌う事になる。アントンも短い期間であれ自分が所属した学校が、勝ち進んだ事を自分の事のように喜んだ。


 匠が静実学園に入学してから、透は行事を見に来てはくれるが、声をかけには来ないのを知っている為、すれ違っても知らん顔をしていた。理事長の甥だとわかると、先生たちの態度や、周りの生徒からの見方が変わってしまうからと、以前、透から言われていたので、匠も承知している。

 透の横に不審者だと思われていた、ごっつい外国の人がいるのを見て匠は不思議に思った。それも透と仲が良さそうに見える。透は祖父の書庫を貸して、自分もそこに寝泊まりしていると、匠は父から聞いた。透は、匠に書庫の場所を教えてくれない。しかも、いつも行事の時には祖母や両親の近くに座っているのに、今日は家族と離れた所に、その外国人と隣り合って座っている。

 もしかして、透は相手が男性だから悩んでいるのだろうか、と匠は考えた。女心に鈍感なのも、それならば頷ける。日本ではいくつかの自治体で同性婚が認められているという話は聞いた事があったが、まだまだ偏見にさらされている。だから、透は悩んでいるのかもしれない。もしかしたら、匠が、気がつかなかっただけかもしれないが、透はモテるのに、彼女がいると言う話を聞いた事がない。

 よく見ると、相手の男性は筋肉質でアメリカンコミックのヒーローのようだった。匠がじっと見ている事に気がついた透は、アントンが匠に気がつかないように、アントンの逞しい肩を押して会場を去っていった。


 アントンは早速、今日の報告として、サファノバにも合唱コンテストを、と書いて送ったようだ。なんだかどうでもいいような事まで、報告しているのは透の日常が穏やかな証拠だろうか。

 透は今年、ブロックコンクールまで進めたので、来年も合唱推薦枠を2〜4名設けようと考えていた。匠も、もう一人の高田という女の子はもちろん、他の部員も頑張っているし、顧問の木野田の指導も的確だった。透は徐々に大学や、幼稚園、小学校の方もこの先、伸ばせる所を探して伸ばして行こうと計画を立てている。レイラの返事に答え、ついて行てしまったら、それは叶わない。


 アントンと書庫兼仕事場に戻った後。

「そういえば、レイラの二番目の夫はどういう人だったんだ?」

透は冷蔵庫からアントンの好きなミラクルドライの缶ビールを出してきて渡しながら、さりげなさを装って聞いた。透自身が聞いてどうするのだ、という気持ちと、自分で聞いておきながら、聞きたく無い気持ちとがせめぎ合って、心が疼く。アントンは気になるのか、と揶揄ったりはしなかった。

「ステファン様はサファノバの伯爵だ。結婚後もレイラ様に仕える執事か秘書のようだった。とても物静かな方で、レイラ様のやる事には全く口を出さなかった。そのせいか、レイラ様も穏やかに過ごされていた。二人の間には女の子が一人生まれた。そのお子様が去年亡くなられた」

「そうか……。アントン、私はサファノバの事はよく知らないし、国を運営した事などないから、あまりレイラの役に立つとは思えないんだが。レイラには、もっとサファノバの事をよく知っている、同じ国の人が必要なのではないだろうか」

「透、断りの返事のように聞こえる。そのままレイラ様に伝えていいのか? それとも、悩んでいるのか?」

「他国の未来がかかっているのかと思うと……。私が行く事で、レイラの立場が悪くなったりしないか心配なんだ」

透は、考えている事と違う事を口にしていた。アントンは透の背中を叩いた。

「誰だって、慣れない事に自信は持てない。透はレイラ様の支えになって、側にいてくれればいいのだ。それで、レイラ様が笑顔になれば。役に立つとか立たないとか、誰が決める? 誰にとってだ? そんなこと気にすることではない」

アントンはビールを一気に煽り、 空の缶を透に差し出す。透が受け取り、新しいビールを渡してやる。この間の事もあり、アントンが飲みすぎないように、冷蔵庫に入れるビールの本数を決め、冷蔵庫の中のビールだけ飲むように言い渡してある。いざとなれば、アントンの捜索活動をビールで潰して、邪魔する事も可能だ。

「同盟加入の話は前に、誰かが提案した。レイラ様は全く聞かなかった。今まで、レイラ様の母上が独立国家に拘っていたから、レイラ様も却下していたのだ。今回、透が話したら、すぐ考え直した」

「それまずいんじゃないかな? 国の事情をよくわかっていない者の言った事をすぐに聞き入れるのは……」

「だから、今、調査させている。頑固なレイラ様に話せる者がいればそれでいい。その人が自分の事ばかりを考えていない者であれば、いい。国民の為になるのであれば、レイラ様が前女王陛下の考えと違う事を選んでも良いと、気付かせる人物が必要だ。レイラ様は前例のない事は迷わず進めて行かれるのだが、前女王陛下が拘っていた事は、引き続き同じようにするしかないと考えていられるようだからな」

「私がサファノバに行ったら、アントンは嫌じゃないか?」

「透、人の気持ちはどうにもならない。私はレイラ様が幸せなら、それでいい。透は私がいやだ、と言ったら諦めるのか? その程度の気持ちなのか? 色々レイラ様の事を気にしているのに、透にとってレイラ様はただの友人なのか?」

「……」

レイラを想っている事は、はっきりしているのだが、透の心は決まっていないから、答えようが無かった。透はアントンに話しているうちに、自分がサファノバに行かない理由を探しているような気がしてきた。

「透が王配になれば、ビールを寄越せなどとは、もう言えないな」

アントンはそう言って笑った。

「そういえば、透はなんで生徒会長になった?」

不毛な話に引き込まれたく無いと思ったのか、アントンが話題を変えた。


「父は教師の立場から、学校を変えようと思っていた。だから、私は生徒の立場から学校を変えてみたいと思ったんだ」

 実際、透は生徒たちの要望を聞いて、校内のジムのマシンを部活動で使用していない昼休みや休憩時間には、開放してもらうようにしたり、お弁当用に冷蔵庫と電子レンジ設置を提案したりして、生徒から喜ばれた。透が理事長の息子だという事もあり、話が通りやすい事も大きかった。それは良い反面、常に先生や生徒から、「理事長の息子」、という目で見られていた為、ハメを外す事や、行儀の悪い事は出来なかった。透を特別扱いする教師もいた。少なくはあったが、透に対して反発する生徒もいた。それが嫌で、匠が入学してから、甥であることを伏せておいている。


 透が生徒会長になった時、高校の一割の生徒が留学生や海外から親の事情で転勤してきた生徒が占めていた。生徒会にレイがいた事もあり、アンケートや聞き取りで、言われたり、やられたりしたら嫌なことなどを聞き、それをまとめ、集会で先生と生徒に伝えた。

 例えば、じろじろ見るのをやめて欲しいとか、どこの国の人だから、これが得意だろうと決め付けられる事だとか、些細な事でも、繰り返し毎日続くと、ストレスになる。もちろん、気にしない生徒もいる。生徒たちは、無意識に発していた言葉が、身近なクラスメイトを傷つけたり、大きなストレスを与えたりしていた事に気付き、気をつけるようになった。

 レイは注目を浴びやすかった為、本人自身がその話をし、生徒に訴えた。生徒の中には、レイは目立つ事が好きだろうと、勝手に思っていた者も多かったせいか、レイの訴えを意外に思った者も多かった。

 色々な国の習慣や宗教観の違いを各国の生徒がお互いに話し、理解し合う時間も設けた。それにより、いくつかあった誤解が解けたりもした。障害がある人についても、して欲しい手助けなどを聞き、クラス以外の人からの手を借りる事ができるようにした。

 透は生徒会長をしている間に、静実学園の文化祭を、予算決めの段階から生徒主体でやるようにし、生徒の主体性を高めた。ちょうど修が教師の側から生徒の主体性をサポートする事に呼応して、透が生徒の側から主体性を持たせるようにして行った為、この期間に学校の改革はずいぶん進んだ。

 静実学園は規則が少なく自由度が高い、自立した生徒の多い学校になっていった。自由度が高いと言う事は、それだけ面倒臭いことも多い。自由には責任が伴うからだ。もちろん、失敗もあったが、失敗しても、失敗だとわかってから、やり直せば良かった。生徒たちの一進一退を学校側は尊重し、見守った。今も透は教師や生徒会から上がってくる意見を聞いて参考にしながら、改革を進めている。この学校を出た子たちは自分で考える力があると、静実学園の評判も偏差値も上がり、入学が年々難しくなってきている。

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