第11話 無理矢理デート
「ただいま!」
「お帰り。透君は、しばらく調べることがあって、家には帰ってこないって言っていたよ」
「……。そう」
いつもなら、母と菊が何か言ってくるのだが、珍しく口をつぐんでいる。今週末には合唱の東京都コンクールがある。
「今週末の東京都コンクールは、見に来てくれるって言ってた?」
「メールしておけば、来てくれるんじゃ無いかな?」
和人が匠を元気付けるように頭を撫でる。
「いいよ、別に。もう中学生だし、来てくれなくたって」
匠はぷいと、自分の部屋へ上がって行ってしまった為、和人は透に東京都コンクールに見に来てくれるよう、頼んでおいた。
夕食後、弁当箱を洗い忘れた匠が、キッチンに近づくと、菊と洋子が透の事を話しているのが耳に入った。匠はなんとなく、キッチンに入らず、外で聞き耳を立てた。
「透は行ってしまうつもりなのかねぇ。学校はどうするつもりなのだろう」
「相手は、あのまま成長していれば、相当な美形だから、透ちゃん、誑かされちゃったのかしら?」
たまらず、匠は声をかけた。
「透ちゃん、結婚するの?!」
「あ、匠、おかえり。どうしたの急に? 結婚? そんなこと無いわよ。昔の話よ。ほら、昔から、本人気がつかないけど、モテてるから」
「匠、透はお見合いをする事すら断っているくらいだから、忙しいんじゃないかねぇ」
洋子も菊も、匠にまともな返事をしない。
(二人して、何か隠している)
匠はソファの上に陣取っている父親の所へ行く。
「父さん、透ちゃん、結婚するの?」
「何を唐突に、どうしたんだい?」
「母さんたちが、透ちゃんが誑かされたのなんのって、話をしていたから」
「決まったら、透君から、話が出るだろう? 本人が何も言っていないと言うことは、まだ決まっていないんじゃ無いかな」
問い質したい本人もいないし、誰の答えも曖昧だ。
(きっと、透ちゃんの相手は母さんや、ばあちゃんから、あまりよく思われていない。つまり、人を騙すような相手なのかもしれない。透ちゃんは鈍感だから、その女が分かりやすくアプローチして来て、どうしたらいいのか困っているのかもしれない、その女をちょっと困らせてやろう)
と、匠は思った。母は透に腹を立てているようだし、祖母は珍しく不安そうだ。父だけが、いつものように飄々としている。そして、家に透がいない。透がいないとテナーのいない混声合唱のようで、匠は味気なく感じた。みんながバラバラに歌い出して、不協和音を奏で始めているような、そんな感じがした。
透はカラオケに迎えに来てくれて以来、家に寄り付かず、匠が理事長室を訪ねる時間にいた試しがなかった。
水曜日の放課後。
透は匠から表参道で待っている、と言う連絡を受けた。忙しいと断りの連絡を入れたが、既読がつかない。仕方なく、表参道までいくと、制服のスカート姿の匠が待っていた。
(いつもと感じが違う?)
よく見ると、匠がうっすらと化粧をしている事に気づき、透はたじろいだ。
「透ちゃん、言ったよね? 戸沢さんの所へ、ドレスアップして食べに行こうって」
「あれは、冗談だって……」
「この間から、透ちゃん、お、じゃなくて私を避けてない?」
「気のせいだって」
「じゃあ、避けてないって証拠に、私に付き合って。ドレスアップさせて、食べに連れて行ってよ」
珍しく、匠が駄々をこねる。透は溜息をついた。最近よく溜息をついている。
「お化粧までして、女装癖でもついたのか?」
「そうかもね。そうだとしたら、透ちゃんのせいだよね」
「わかったよ……」
差別と偏見を持たないようにと教えている上に、好奇心を奪ってはいけないと日頃言っている透は、匠が女装をする事を止める事は出来なかった。
匠はこの間、見たブランドショップのうちの一つへ透を引っ張って行く。そこで、何着か試着して、シンプルな黒いレースのワンピースを着た時に、透が目を微かに見開いたように見えたので、匠はそのワンピースに決めた。ワンピースのついでに、下がるタイプの大振りのイヤリングも買ってもらう。匠は、戸惑う透に、戸沢の店に連絡をさせ、すぐに向かった。黒いワンピースを着た匠はレイラの面影をちらつかせている。黙っている透を横目に、匠が戸沢に向かい代わりに口を開く。
「先日は酷い格好で来てしまい、すみませんでした。今日はきちんとした格好で来ました」
透はこんばんは、と挨拶しただけだ。
「素敵なお召し物ですね。ドレスアップして来て下さり、有難う御座います。築地先生、かなり疲れていらっしゃるようですね。元気が出るようなお料理をお出ししますね」
戸沢は厨房に消えて行った。今日は予約した時間がギリギリだった為、個室では無い。この間と違って、ちょうどお店が混む時間だったのだが、戸沢は料理を直接、持ってきて説明してくれた。
「透ちゃん、戸沢さんのお店なんだから、もっとシャッキリしてよ」
匠を見る目に、ちらりと苦悩の色を浮かべた透に、匠が囁く。
迷っている透にとって、匠を直視するのは辛い。しかも女装しているとなると、余計に面影がちらついてしまう。しかし、目を逸せない。時々、匠が食べているところをじっと見つめてしまい、匠が気づくと視線を逸らす。
「どうかした?」
「……綺麗だ、なと。私の見立てが良かったかな。匠、よく似合ってるじゃないか。」
透は「綺麗だよ」と言いそうになり、慌てて冗談めかして言い換えた。
「じゃあ、モデルにでもなろうかな」
匠は透が冗談で言っているのだと思った。
「あれ? この間、沙織が追わせたカップルじゃない?」
匠たちから少し離れた席で、岳が長沼に声をかけた。
長沼は匠がフェラーリに押し込まれて去った後、大学生の彼氏である岳とドライブデートをした。その際、匠と透の乗ったフェラーリを見つけ、後を追わせた。レストランの中に入って行く二人を見て、岳に、自分たちもあそこで食事をしたいとねだったが、その時、ジーンズにTシャツだった岳に、ドレスコードのある店だし、手持ちも無いから、今度、と言われた。
岳は約束通り、レストランを予約して長沼を連れて来たのだ。
「あ、ほんとだ。くみだ……」
匠は、今日は見るからに高そうな、黒のレースのワンピースを着ている。長沼は白地に淡い花柄の、ウェストに細いベルトがついているワンピースを着て来た。髪はゆるふわに編み込んでいる。岳が会った途端に絶賛してくれたので、今日はとてもいい気分だった。しかし、
「あの子、まるでモデルみたいだな……」
と岳が言うのを聞いて、一気に長沼のいい気分が吹き飛んだ。相手の男性はちょうど背中を向けているので見えない。
「ちょっと洗面所行ってくる」
長沼は遠回りして洗面所へ行きつつ、くみに見つからないようにチラッと、くみの相手を見た。横からしか見えなかったが、横から見ても、かなりのイケメンだった。二人はまるで、ドラマの中の女優と俳優のように華やかな雰囲気を醸し出している。男の方はきちんとした社会人のようだった。長沼が想像していたホストや、ヤクザとはかけ離れている。この間は茶髪だったが、今日は髪が真っ黒になっている。それでも同じ人物だと言うことは背格好でわかる。どこかで見たような気がするが、長沼は思い出せないでいた。
(くみの彼氏は一体何者なんだろう? コンテスト出場も、お金持ちの彼氏も、何もかも持っているなんて、ずるい。パパ活で出会ったに違いない)
そう考えると、長沼は少し気持ちがおさまった。
匠は戸沢のレストランの後も、透を解放しなかった。わざと腕に手をかけて頭をもたせかけて歩いている。透は匠が頭をもたせかけても何も言わないし、無意識にもきちんと匠をエスコートしている。匠の話に相槌を打ち、頷いてはくれるが、いつものように話をしない。匠には透が何を考えているのか、さっぱりわからなかった。それでも、学校の前まで行き、さらに透に家まで送らせ、やっと透を解放した。匠はどこかで、透を困らせている女が見て慌てていればいいと、思った。しかし、その女の居場所がわからない為、成功したかどうかはわからなかった。
匠が家に入ると、洋子が驚いた。
「あら匠、どうしたの、その格好?!」
「透ちゃんに買わせた。似合う?」
「え、えぇ? まだそこにいる?」
洋子が慌てて出ていく。珍しく、心なしか俯き加減の透が歩いているのが目に入った。家の中では、洋子の声に驚いて出て来た菊が、匠にターンさせて眺めている。
「匠は何を着ても似合うねぇ」
「透ちゃん、待って! どうしたの?」
「姉さん、こんばんは。匠から急に連絡があって、連れ回されてね。どういうつもりなのか、最初から化粧をして、制服のスカートを履いていた」
「透ちゃんが女装させたわけじゃないのね」
「そんなことするわけがない。あの服はねだられた……」
「どこの服よ?」
透がボソボソと答えると、洋子は仰天した。ワンピースだけでも1着十何万するブランドだ。
「なんで、そんな高い服を匠に……」
「匠は私が避けていると思って、試したんだよ。今まで何かをねだった事なんて殆どなかったのに、今日は珍しく強引にねだられた。だから、避けていないと示さないといけないと思って」
「そこまでしなくてもいいのに……。もしかして、匠はよく似ているの?」
洋子が不安そうに聞く。
「似ているよ、特に女装している今日は。困ってしまうくらいに……。姉さん、早く、匠に例の話をして。匠の気持ちが決まるまで、匠が見つからないように時間を稼ぐ為に、私は匠からしばらく離れているからと伝えてくれれば、こんな事はもう起こらないだろう。アントンが私の周りをうろついているから、今日のは大丈夫だったか心配だ。今週末、合唱のブロックコンクールがある。それが終わったら、匠に話したらどうだろう? コンクール直前に話すのは酷だろうから」
洋子は玄関に立っている匠をチラッと見る。匠と菊のシルエットが見える。
「匠はレイじゃないからね」
「わかっているから、大丈夫」
「透ちゃん、悩んでいるのね……。でも、私は匠を渡したくないから」
「……」
透たちは気がつかなかったが、匠の思惑通り、匠が透の腕に手をかけて、学校の近くを歩いている所をアントンが目撃していた。遠かったのと匠が透に頭をもたせかけていたせいで、幸いにも顔は見えなかったようだ。アントンはすぐにレイラには報告せずに、透の帰りを待ち構えていた。
透が戻ってくるなり、アントンは透の首を閉めんばかりの勢いで迫った。
「透! どう言うことだ?」
透は詰め寄ってきたアントンを手で押しやり、ソファに座った。
(やはり、見られていたか)
「さっき、女性と腕を組んで歩いていただろう?!」
「あれは、姪っ子。可愛いでしょ?」
「顔は見えなかったが……。すごく仲が良いじゃないか?」
「赤ちゃんの頃から一緒に住んでいて、自分の子供みたいなものだからね。目にいれても痛くないくらい。わかる、この日本語?」
アントンは律儀にスマホを使って調べている。
「レイラ様とどっちが大事だ?」
「そんな事、答えられるはずがないじゃないか。それにレイラと私は、婚約しているわけでもなんでもないのだから、ただの友人だ」
透も当然レイラの事を想っていると考えていたアントンは、透のあんまりな発言に腹を立てた。
「レイラ様に報告しておく。」
「絶対に誤解すると思うが、したければすれば良いよ」
「レイラ様は、透が日本に気持ちが残るものがあれば、サファノバに来る気持ちが少なくなると考えている。だから、姪の事は伝えておく。レイラ様がショックを受けてしまわれると困るから、『ただの友人だ』と言った事は伝えないでおく。レイラ様が透に拘るのであれば、来てもらわなくては困る」
透はレイラの想いに応える事が出来ないのに、近付かれてしまったら離れることも出来ないだろうと思った。それどころか、どうしようもなく、もう一度逢いたいとさえ思っていた。
翌朝、学校に行こうとしていた透に、アントンが声を落としてボソリと言った。
「昨日、レイラ様は機嫌が悪かったみたいだ。他の護衛にお前の報告のせいだと、責められた……」
「もしかして……」
「そうだよ、透の姪の事を私が報告したからだ。しない方が良かったのか……」
「もしかして、アントンの役目は私を監視する事も入っているのか?」
「監視なんてしていない。透の生活をレイラ様が知りたがっている」
それは監視していると言うのだ、と透は言おうと思ったがやめた。アントンは昔から真面目だった。
「私の日常なんて、頼むから放っておいてくれ。アントン、せっかく日本にいるのだから、少しは観光したり、楽しんだりしたらどうだ?」
そう言い置いて、透は学校へ向かった。流石のアントンも学校の敷地には入ってくる事は無い。その時間は子供を探す時間に当てているようだ。
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