~羽休め~ 涼芽とアリスでメアリです

「懐かしい匂い……」


 鏡に飛び込んだ有栖を待っていたのは、懐かしい思い出の匂い。

 今ではもう空き家となってしまった鷺ノ宮家にある、子供部屋だ。

 家具一つなくがらんとした部屋の隅に、可愛らしい花の絵が印刷された紙で包まれた、みるく味の丸い飴。


 あの時、あの場所での記憶が甦る――――


 有栖が拾われてから、半月もしたある日。客足の遠退く南田神社に、老夫婦が訪れた。


「ほお……可愛らしいお出迎えじゃな。飴ちゃん食べるかい?」


 人懐っこい涼芽はもちろん、目を輝かせながらすぐに飛び付いた。一方の有栖は、その様子を柱の裏から顔を覗かせ、指を加えて見ていた。


「ほれ。……後ろの子にも、ちゃんと分けるんじゃよ」

「わーいありがとう! たべよっありすちゃん!」


 とててて、と有栖に駆け寄った涼芽は、飴を有栖の手に忍ばせ、共に居間へと向かった。


「あ……」


 有栖は手をパーにして飴を見つめ、目をぱちくりさせた。


 これはまだ有栖が両親と暮らしていたころ、褒められる度に貰っていたものと同じだ。


 お父さんは仕事が忙しかったんだ。

 お母さんはきっと私を探している。


 その可能性が限りなく低いということを幼いながらに知っていながらも、有栖は二人のことをずっと待っていた。


「んー、おいしー!」


 ひょいと飴を口に放り込み、ころころと舌の上で転がす涼芽。有栖は表情をぴくりとも変えず、ただゆっくりと、丁寧に包装を解いていた。


「……んー、おいしいー」


 すべすべとした舌触りと、甘い香りが有栖の鼻腔を突き抜ける。しかし幸せな思い出の味は鉛のように薄く、彼女はただ無機質に顎を上下させているだけだった。


 長いようで短い時間が過ぎる中、音も立てずに開いた襖から、桃色の着物を着たお婆さんが姿を見せた。


「二人とも、ご飯の時間ですよ。今日は涼芽ちゃんの好きな、カレーライスです」

「わーい!」


 涼芽ちゃん。また、涼芽ちゃん。

 嬉しそうに居間へと消えていく涼芽の背中を見届け、有栖も続こうと足に力を込めた。

 しかし、立ち上がれない。

 体に力が入らない。

 幼いながらに有栖の心は、とっくに限界を迎えていたのだ。


「あ……れ……?」


 ずきずきと心は痛み、自然と涙が溢れ落ちる。有栖は一つ、二つと増えていく畳のシミを見下ろし、込み上げる深い悲しみ、自分を捨てた両親への思い、叫びを飴と一緒にぐっと飲み込んだ。


「――――ッ!」


 ごくん、という音を合図に、体は勢いよく跳ね上がった。襖を抜け、廊下を抜け、庭を裸足で駆け抜け。傷だらけ泥だらけの足背など忘れたかのように無我夢中で辿り着いたのは、いつもの古びた小屋だった。


 わたしは、いらないこ。

 わたしを、だれかみて。

 わたしに、あいをください。


 疲弊しきった有栖が手にしたのは、再び卓上の鏡だった。小さな顔をすっぽり覆い、赤く火照った頬を写し出す鏡に、彼女はくすりと笑った。


「……あはは、わたし、へんなかおー」

「久々に笑ったんじゃない? ……かの? 有栖、いつも悲しそうだったよ……のじゃ!」


 鏡に映る有栖の顔がぼやけ、次第に金髪の女の子の顔に変わっていく。鏡を隔てて見つめあっているのは有栖同士ではない、有栖と別の誰かだ。


「……だれ?」

「あたしっ……妾は、御社水鶏みやしろくいな。ずっと見ていたわよ、あなたのこと」


 水鶏は南田神社の御神体に宿る、付喪神だ。故に涼芽、有栖のことはずっと見てきた。姿こそ明かしはしなかったが、涼芽の有栖に対する愛、有栖の涼芽に対する引け目、寂しさを感じ取ってきたのだ。


「……だったら、たすけてよ」

「もちろんそのつもり。ほら、鏡を覗いてみて?」


 無愛想に、感情のない目で鏡を見つめる有栖。鏡に映った自分は、年相応に、感情を剥き出しにしてわんわん泣いていた。


「これ、わたし……」

「そ。あたしはあなたのことがそう見えてるの。もう見てらんないのよ」


 水鶏は有栖の額に手を当てた。


「大好きな、お母さんの所へ帰してあげる」

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バケモノグラシ。~同居人は、バケモノと呼ばれる美少女たちだった~ 今際たしあ @ren917

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