三題噺

朝乃ゆうひ

眩しい始まり、プールサイドの君、水平線のはて


照りつけるの太陽の光。遥か遠くに見える積乱雲と真っ青な空、遠くから聞こえる蝉の声はまさに夏本番を告げているようだ。

そんな中、僕はプールサイドに打ち上げられていた。

「おーい、そんなところで倒れたら背中火傷するよー」

遠くから声が聞こえるが今は小指一本も動かす体力が残っていない。

夏の陽光に焼かれたコンクリート造りのプールサイドが背中の皮膚をジリジリと侵食していくのがわかる。

いよいよ纏っていた水分を全て使い果たし、皮膚細胞を破壊しようとしたところで全身が一気に冷却された。

「だから火傷するって」

先程の声の主がすぐそばで僕を見下ろすように覗き込んでいた。

今しがた中身を全部吐き出したであろう水色のバケツを手に持っている。

太陽を背に立っているため顔は見えないが

「しみず」

で間違ってはいないだろう。

「はいはい、清水みずきさんですよーっと」

バケツをフェンス側に置きながらこちらを見るでもなく彼女は適当な返事をする。

清水みずき。女子水泳部エースで僕の幼馴染、少し癖毛気味のミディアムショートで僕より頭ひとつ分背は低い、目鼻は整っておりクラスでは可愛い系の位置付けだが猫目ぎみの少し鋭い眼が特徴で本人は少し気にしている。

ついでに僕がプールサイドで石焼になる原因を作った張本人でもある。



『ねえ、5km自由型で勝負しようよ』


彼女がそう言ったのは数時間前の終業式後、HRも終わり夏休みに向けて頭の中で計画を練りながら部室に向かっていた最中である。

ちなみに僕も水泳部。男子水泳部内では三番目ぐらいの実力、つまり『そこそこ泳げるけどエースとまでは言えない』ぐらいのレベルである。

一度県大会には行ったものの一次予選敗退という結果だ。

そんな僕を彼女は度々勝負に誘ってくるのだがその意図は不明である。

「ほーら、そんなところでいつまでも寝そべってないでこっち来なさいな」

プールサイドに置いてあるベンチに腰掛けた幼馴染がちょいちょいと手招きしている。

先程かけられた水も乾きつつあったので僕はのそのそと起き上がり彼女の隣二十センチ程隣に座った。これが僕たちの適切な距離である。

「今回もみずきお姉さんの勝利ですなー」

「水泳部のエース様には敵いませんよ。ていうかお姉さんって……、生まれたのが二ヶ月早いだけじゃ冷たっっ!」

頬にスポーツドリンクのペットボトルが押し当てられた。

隣をに目を向けると両手に水色の五百ミリリットルペットボトルを持った幼馴染が二へっと笑いながらこちらを見ている。予定通りのリアクションを見れたことが嬉しいようだ。

というかいつの間に自販機まで行ったのだ。

勝負と言うのだからもちろん彼女は僕と同時間帯に泳いでいたはずだ。そんな彼女が冷たい飲み物を持っていると言うことは僕よりかなり早くに泳ぎきって、部室の冷蔵庫まで行って帰ってきたと言うことである。

「んっ」

「サンキュ」

最低限の言葉でドリンクを受け取る。

「にしても昔は私の方が泳げなかったのにいつから逆転しちゃったのかしらね」

「中学二年のときはもう負けてたイメージだけど」

「その時はトントンぐらいだったよ」

そういえば水泳を始めたきっかけも彼女だった。

確か小学生の時に家族間で一緒に行った旅行で彼女が海で溺れかけて、次からは助けられるようにと思って始めたのがきっかけだったと記憶している。

ただそれ以来彼女を助ける機会は無いどころか水泳の実力では遥かに上に行っている。

「さーて、じゃあもう一本いっときますか!」

「マジかっ」

どんだけ体力あるんだこいつ。

たった今五キロ泳いだところでドリンク飲んで五分、十分休憩しただけだぞ。

「じゃあいいわ、私だけ泳いでくるからそこで見ててくれれば」

かなり疲れたからすでに帰りたいのですが、という抗議は聞き入れてもらう前に彼女は水の中に飛び込んで行った。




「ふいー、泳ぎましたなー」

「まさかもう一本泳がされるとは」

「水泳部が何を言っとるか。むしろご褒美でしょうよ」

「お前がそれだけ強い理由を垣間見た気がするよ」

結局あの後彼女は二本、僕は一本泳いだ。

プールサイドも適度な温度に冷めてきたので僕たちはコンクリートに直接座り込んでいる。

「でも何だかんだで私といい勝負してる君はすごいと思うよ」

「一本多く泳いでおいて言われてもな」

確かに、と言いながら彼女はスッと立ち上がり、水平線のはてに沈みゆく太陽に目を向ける。

「ねえ、知ってる? 水平線までの距離って大体五キロぐらいなんだって」

水泳キャップを抜いた彼女のしっとりと濡れた髪は、滑らかな曲線を描いて肩まで届く。惜しくも肩まで届かない髪の先端には夕陽を反射してキラキラと橙色に輝く水滴が、まるで琥珀色のガラス細工のように彼女を飾っていた。

「だから浜辺から五キロ泳いだらあの夕陽まで手が届くのかしら」

今しがた飲んだドリンクによるものか水分を含んだ彼女の唇は橙色に変化した太陽光を反射して妙に艶かしく感じた。

どきりとした。

「そんなわけないだろ。五キロ先にはただ海が広がってるだけだよ。太陽もとっくに沈んでる」

心臓が早く動いているのを感じながら、それは恐らく今しがた五キロを泳ぎきったところだからだと自分に言い聞かせる。

「野暮なこと言うなー、君は。でも実際行ったことないんだからわからないわよ」

だから、と続けて

「よかったら今度確かめに行ってみない? 水平線のはてまで」


そう言って笑った彼女の顔は、夕陽の所為かいつもより少し赤く見えた。

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